中村敬斗に漂った「持て余しちゃってる感」 恩師が明かす飛び級プロ入りの裏側「このなかにいても」

三菱養和時代の中村敬斗(右)と生方コーチ(中央)【写真:本人提供】
三菱養和時代の中村敬斗(右)と生方コーチ(中央)【写真:本人提供】

中村敬斗の恩師・生方コーチがプロ入りの経緯について話した

 北中米ワールドカップ(W杯)に挑む日本代表メンバーに選出されたMF中村敬斗(スタッド・ランス)。中学年代から高校年代にかけて所属した三菱養和サッカースクールで指導を受けた恩師の生方修司チーフコーチに、初のW杯でゴールを決めた中村の歩みを聞いた。第2回はガンバ大阪に加入した経緯と、有言実行の言葉について。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・上原拓真/全3回の第2回目)

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 中学3年生から三菱養和ユース(高校年代)の試合に飛び級で出場し始めた中村。当時は体格差のある年上との対峙に苦しむこともあったというが、トライアンドエラーを重ねながら次々に壁を乗り越えていった。

「相手にはぶっ飛ばされるけど、やっぱり”いい間”で1対1になると、スルスルっと抜けて。キックはやっぱりあるから。自分の形に持っていけば取れるっていうのがあったんで。『あの形に入ったな』となると、やっぱりやれてた印象がありますね。だから監督も使ってたんだと思いますよ」

 高校進学後は、年代別の日本代表にも選出され始めた。2017年10月にはU-17ワールドカップのメンバーに入り、グループ初戦のホンジュラス戦で圧巻のハットトリックを達成。決勝トーナメントでU-17イングランド代表に敗れたが、大会4得点を決める活躍を見せた。

 当時のチームメートには、MF久保建英(レアル・ソシエダ)やMF菅原由勢(ブレーメン)といった、現在も日本代表で共闘する仲間がいた。久保はFC東京ですでにJリーグを経験し、菅原も名古屋グランパスU-18で主力として活躍。代表は、三菱養和では得られない刺激を受ける場所でもあった。

「Jのクラブは高校生になったらトップの練習に行くじゃないですか。そういうのが三菱養和にはないので。だからやっぱり代表に行くと、『トップの練習行った、行かない』という話があったりしたみたいで。代表に行くたびにそんな不安は、特に口にしていたような気がします。

 それでも、17年12月にG大阪への加入が内定。当時の中村は三菱養和でも頭抜けた存在で、生方コーチも、すでに余裕すら超えて「実力を持て余している」印象を抱いていたという。そのタイミングで、親交のあったG大阪の青木良太スカウトが中村の才能を評価し、オファーを出した。生方コーチも「快く送り出してあげました」と、プロの世界へ進む中村の背中を押した。

「代表に行くとみんながプロを経験している状況になっていたんですよね。高校1年の終わりから2年になったぐらいからかな。このなかにいても、プリンスリーグだからそれなりのチームとはやれるんですけど、やっぱりもう『持て余しちゃってる』感を自分もチームメートも感じていた」

 プロ入りを前に、中村が伝えたのは「絶対に世界で活躍する選手になりますから」という言葉だった。Jリーグで活躍する前から、世界で戦い、活躍する先の未来をイメージしていたことに生方コーチも驚いた。

「別にガンバに行ってどうのこうのじゃなくて、もう先を見てる選手なので。とにかくガンバでしっかり結果出して、海外にしっかり行けるように頑張ります、みたいな感じで話をしていましたよね」

 2019年にはオランダ1部トゥウェンテに期限付き移籍し、初の海外リーグに挑戦。20年からはベルギー1部シント=トロイデン、21年にはオーストリア1部FCジュニアーズを経て、同1部のLASKリンツに移籍した。

 LASKリンツでは、22年に契約延長を勝ち取るなど中心選手として活躍。23年3月には初の日本代表にも選出され、ウルグアイ戦でA代表デビューを飾った。同8月には当時フランス1部のスタッド・ランスに移籍し、欧州5大リーグに挑んだ。

 生方コーチに伝えた言葉通り、世界で活躍する姿を実現させた中村。そして日本代表の主力として、生方コーチの目の前で有言実行の大仕事をやってのけることになる。(第3回に続く)

(FOOTBALL ZONE編集部・上原拓真 / Takuma Uehara)



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