バティでも選外…アルゼンチン歴代ベスト11 名選手の宝庫なのに「ポジションに偏り」

アルゼンチン代表ベストイレブンに選ばれた名選手たちは?【写真:徳原隆元&Colorsport&AP&アフロ】
アルゼンチン代表ベストイレブンに選ばれた名選手たちは?【写真:徳原隆元&Colorsport&AP&アフロ】

多くの名選手もメッシ、マラドーナ、ディ・ステファノには及ばない

 アルゼンチン代表の歴代ベストイレブンの選出は意外と難しかった。多くの名選手を輩出しているわりにはポジションに偏りがあるのだ。

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 まずGKに決定版がいなかった。1950年代に活躍して後世に影響を与えたというアマデオ・カリーソ、ワールドカップ(W杯)優勝メンバーであるウバルト・フィジョール、ネリー・プンピード、エミリアーノ・マルティネスが候補だが、1990年W杯のPK戦で止めまくったセルヒオ・ゴイコチェアを選出した。技量というより印象度である。

 左SBも人材が少ない。ホルヘ・オルギン、フアン・パブロ・ソリンも考えたが、MFからディエゴ・シメオネをコンバートすることにした。現在はアトレティコ・マドリードの監督として知られている。現役時代は攻撃から守備までどのポジションもこなせるマルチプレーヤー。1998年W杯では左ウイングバックとして現在の「偽SB」的な働きをしていた。

 逆に人材の宝庫は攻撃的MF。「10番」としてはリカルド・ボチーニ、アリエル・オルテガ、フアン・ロマン・リケルメ、パブロ・アイマール、さらにバロンドール受賞者のオマール・シボリもいるが誰も選べない。このタイプにはリオネル・メッシ、ディエゴ・マラドーナ、アルフレード・ディ・ステファノの3人が絶対的だからだ。

 第二次世界大戦で中止となったW杯2大会の優勝候補はアルゼンチンで、「ラ・マキナ」で有名なリーベルのアタックラインが強力だった。「偽9番」の元祖であるアドルフォ・ペデルネーラが有名だが、技巧で図抜けていたのはホセ・マヌエル・モレーノと言われている。中止になったW杯が開催され出場していたら、さらに高い評価をされていたかもしれないが実績においてメッシ、マラドーナ、ディ・ステファノには及ばない。

 2トップの右にメッシ、左にマラドーナ、トップ下に史上最高の「偽9番」であるディ・ステファノ。「10番」を3人起用したので、傑出したストライカーだったガブリエル・バティストゥータ、レオポルド・ルーケ、ラモン・ディアス、クラウディオ・カニーヒア、マリオ・ケンペスはいずれもポジションがなくなってしまった。

 中盤の底も多くの名手がいるがフェルナンド・レドンドとした。レアル・マドリードなどで活躍した左利きの攻撃力に秀でたアンカーである。第1回W杯でアルゼンチン、第2回はイタリアでプレーしたルイス・モンティ、1966年W杯の退場で有名になってしまったが優れたMFだったアントニオ・ラティン、バルセロナではCBだったが代表では献身的な守備でいかにもアルゼンチンの選手らしかったハビエル・マスチェラーノもいる。そのなかでレドンドは異質なタイプと言える。

 司令塔レドンドの脇を固めるのはオズワルド・アルディレスとフアン・セバスチャン・ベロン。2人とも運動量が豊富で技術も素晴らしかった。アルディレスは非常に俊敏で実物を見たなかでは屈指の名手だ。ベロンはロングパスの精度が別格。マンチェスター・ユナイテッドに所属していたころ、ウォーミングアップでハーフコートの対角線に位置してデイビッド・ベッカムとロングパスを蹴り合っていたのを見たが、それだけで金を払う価値があると思ったものだ。

 右SBハビエル・サネッティは堅実なプレーと旋回の速さが印象的。中央は親子でCBだった生粋のDFロベルド・アジャラ。小柄なのに助走をつけたヘディングが強力で左足のフィードに定評のあったダニエル・パサレラ。堅守のイメージがあるアルゼンチンで、GKと左SBの人選が決まらなかったのは意外だったが、堅実すぎて個が目立ちにくいということかもしれない。

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西部謙司

にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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