ドイツで異彩放つ24歳は「チームの歯車」 現地で見た”本物の資質”…脳裏に浮かんだ小野伸二の姿

ザンクト・パウリの藤田譲瑠チマ【写真:徳原隆元】
ザンクト・パウリの藤田譲瑠チマ【写真:徳原隆元】

ザンクトパウリで奮闘する藤田譲瑠チマに重なった姿

 6月に開幕する北中米ワールドカップに向けて、チーム構築もいよいよ最終段階を迎えているSAMURAI BLUEが、今月下旬に行われるスコットランドとイングランドとの強化試合に臨むメンバーを発表した。怪我によるコンディション不良のため、何人かの常連選手が招集を見送られたが、リストアップされたそのメンバーは、好調を維持する海外組を中心とした顔ぶれとなった。

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 そんな森保一監督によって選び抜かれたハイレベルな28人のなかで、個人的に注目している選手がいる。ドイツのザンクトパウリでプレーする藤田譲瑠チマだ。

 話はここで2か月ほど遡る。1月23日、ドイツ・ハンブルグの街は運河も凍る、身を切るような峻厳な寒さのなかにあった。ダービーマッチを迎えたミラントア・シュタディオンを包む空気は、試合前から次々と発煙筒を炊いてスタンドを赤く焦がし逸り立つ、両チームのサポーターが作り出す熱狂によって沸騰していた。

 ザンクトパウリとハンブルガーSVの選手たちは、このサポーターの飽和点を超えた強烈な声援を受けて、ピッチで激しい闘志をぶつけ合った。ダービーという闘志を奮い立たせる条件も加わったことにより、試合は激しいマークの応酬となる乱戦の展開で進んでいった。

 そうしたお互いがフィジカルを武器に相手の長所を消し合う展開となれば、ひとりの選手が攻撃へと転じた際のボールを持つ時間は、どうしても短くなってしまう。リズムよくゲームを作ることは困難になり、本来ならピッチに立った誰もが個性を発揮しづらい試合だった。だが、ひとりだけ例外の選手がいた。

 先発出場を果たした藤田は本来のボランチのポジションとは異なり、フォワードに近い右サイドの高い位置でのプレーを任された。前線から積極的にボールを持った相手選手の前へと立ちはだかり、自由を奪っていく役割を的確にこなしていく。一転して攻撃の際は厳しいマークをかい潜り、ワンタッチプレーを駆使してなんとかチームにリズムをもたらそうと奮闘していた。チャンスと見れば積極的にミドルシュートも放ち、ときに白い息を吐き、力強く味方に指示を出す堂々のプレーぶりだった。

 この藤田のプレーをカメラのファインダー越しに見ていて、脳裏に浮かんだ日本人選手がいた。その選手はオランダのフェイエノールトに所属していたころの小野伸二だ。

 当時、天才の呼び声も高かった小野に対して、言うまでもないがその才能を信じる気持ちは揺るぎないものだった。だが、実際にフェイエノールトの中心、いやリーダーとしてチームを牽引するその姿を目の当たりにしたとき、技術と精神の両面で日本人選手がこれほどまでに存在感を発揮できるかと改めて驚かされ、心が熱くなった。その胸の高まりをハンブルグダービーでの藤田のプレーを見て思い出したのだった。

 いまやヨーロッパの舞台で日本人選手が活躍することは、決して珍しいことではなくなった。実際、そうした試合をゴール裏から見ることも少なくない。しかし、藤田には好プレーに留まらず、試合の勝敗に多大な影響を与えるリーダーとして、小野のフェイエノールト時代における立ち位置と一致する逞しさを感じた。これはあまり見ることのない光景だった。

 もちろん、全盛期の小野と発展途上の藤田を比べてしまえば、かつてのフェイエノールトでタクトを振るった背番号14の方がプレー技術は高い。チームにしてもUEFAカップ優勝を果たすなど、2000年代前半のフェイエノールトと現在のザンクトパウリでは、実力はやはり前者の方が上であり、リーダーとしてタクトを振る難易度にも差がある。

 日本代表に目を向けても、現状では藤田がレギュラーとなるには越えなければならない壁がある。

 それでも、ピッチサイドでカメラ越しに見た藤田の積極果敢なプレーには、チームの歯車を超えてリーダーとしての立ち位置を意識して戦う気概に満ち溢れていた。この必ずしも誰もが持っているとは限らない気概は高く評価できる。24年に行われたパリ五輪でのキャプテンを務めたことからも、藤田はリーダーとしての天性の素質を持っているのだと思う。フル代表の舞台でも、技術と精神の両面でチームの先導者としてプレーする日がきっとやって来ると信じている。

 ピッチ内におけるあらゆる面でチームリーダーとしての姿を体現しようとしている藤田の成長を、クラブはもちろん代表の舞台でも注目して見ていきたい。

(徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)



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徳原隆元

とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。

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