人生を変えた凱旋試合「自分もJリーグで」 SNSで調べた留学先…U-17タイ代表が来日した理由

鹿島学園のプムラピー・スリブンヤコ「自分もJリーグでプレーしたい」
神村学園(鹿児島)の初優勝で幕を閉じた全国高校サッカー選手権で、最も大きな残像を刻んだ選手の一人に準優勝した鹿島学園(茨城)のタイ人留学生、GKプムラピー・スリブンヤコ(2年)があげられる。卒業後のJクラブ入りを目指すU-17タイ代表の守護神はどのようなキャリアを歩み、言葉の壁や生活習慣の違いに悩まされるのを承知のうえで来日し、国立競技場でプレーする夢をかなえるまでに成長を遂げたのか。(取材・文=藤江直人)
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日本への留学を決めたきっかけは「タイのメッシ」と「新国立競技場」、そして「父のアシスト」だった。
タイの名門クラブ、ムアントン・ユナイテッドの下部組織に所属しながら、ゴールキーパーのレギュラーをつかみ取れなかったプムラピーは、義務教育を終えた後の人生設計図を描き直した。
実は日本へ憧憬の思いを抱き続けていた。ムアントンから北海道コンサドーレ札幌へ加入した英雄、チャナティップ・ソングラシンの母国タイへの凱旋試合を観戦し「自分もJリーグでプレーしたい」と夢を抱いた。
ムアントンと業務提携を結んでいた浦和レッズと下部組織同士のトレーニングマッチに出場した際には、浦和のスカウトから「非常によかったよ」と声をかけられた。リザーブに甘んじていた状況で自信を大きく膨らませてくれた金言に、プムラピーは「日本へ行きたい気持ちがさらに強くなりました」と感謝する。
そして、新国立競技場で開催されていた全国高校サッカー選手権大会をテレビ越しに観戦。タイでは想像できないほどの大観衆が駆けつけていた雰囲気に魅了され、この環境でプレーしたいという思いも抱いた。
中学卒業後の日本への留学。当時の心境をプムラピーは「新しい人生を作りたかった」と振り返る。
「Jリーグでプレーしたかったし、それなら高校サッカーから始めるのがいいと思いました」
しかし、留学先が見当もつかない。そこでSNSを通じて、一生懸命に調べてくれたのが父親だった。
「いろいろな高校やクラブを調べましたけど、そのなかで鹿島学園は留学生でも部活動ができました。試合にも出られるし、サッカーのレベルも高い。そういった理由で鹿島学園に決めました」
来日したのは2024年の2月。しかし、ここで大きな難題に直面した。プムラピーが続ける。
「日本語をまったく話せなかったので。タイ人は自分だけだったので本当に大変でした」
クラスでもサッカー部でも、まったくコミュニケーションが取れない。言葉の壁に生活環境の大きな変化が追い打ちをかける形で、ホームシックにかかって涙する日々が続き、心が折れかけた時期もあった。
プムラピーから時間をおいて来日し、日本で仕事に就いた母親が同居。ホームシックを乗り越えられたと感謝するプムラピー自身も、夢をかなえるために努力を積み重ねた。スマートフォンの翻訳機能ソフトを駆使しながら積極的にチームメイトたちと会話をかわし、YouTubeなどを介して必死に勉強したと笑顔で振り返る。
「勉強が得意なほうではなかったけど、チームメイトたちも僕をサポートして日本語を教えてくれました。いまのチームには関西出身の選手もけっこう多いので、僕も関西弁をしゃべれるようになりました」
いまではピッチ上でのコミュニケーションにまったく支障がなくなり、メディアに対する試合後の取材にもタイ語の通訳なしで臨んでいる。一方で選手登録の関係で、2年生になっても公式戦に出場できなかった。
こうした状況下で、鹿島学園の鈴木雅人監督は例年にも増してトレーニングマッチを組んだ。プレー機会をできるだけ多く与えたプムラピーの素質に対して、鈴木監督は「僕が見た範囲内で」と前置きしながらこう語る。
「高校生のなかでは、トップクラスの力があるんじゃないかと思います」
登録問題が解決した昨夏以降に、すでにU-17タイ代表に選出された実績を持つプムラピーは満を持して鹿島学園のゴールマウスに定着。身長193センチ、体重72キロの恵まれたサイズを駆使した空中戦での安定感と、絶体絶命の状況でもシュートストップを連発する守護神が加わった鹿島学園は茨城県大会を3年ぶりに制した。
迎えた12度目の全国高校サッカー選手権大会で演じた大活躍は、あらためて言及するまでもないだろう。準決勝までの5試合でプムラピーは3度のクリーンシートを達成。Jクラブ内定選手を4人も擁する流通経済大学柏(千葉)との準決勝では、13本ものシュートを浴びながら優勝候補を零封してチームを初の決勝へ導いた。
しかし、ともに初優勝をかけた12日の神村学園(鹿児島)との決勝で、鹿島学園は0-3で一敗地にまみれた。しかしながら、前半31分には相手のPKを右手一本でセーブ。他にも決定的なシュートを何本も防ぎ、決勝後に発表された大会優秀選手36人にも名を連ねたプムラピーはこんな言葉を残している。
「強い、速い、うまい。完璧な相手でした。さすがインターハイ王者だと認めなきゃいけない」
史上6校目の夏冬2冠を達成した神村学園に素直に脱帽した言葉には、今回の選手権から守護神の証である「1」を背負ったプムラピーが、最終学年での戦いでリベンジを期す思いも反映されていた。
「3年生になる次の大会もここ(国立競技場)に戻ってきて、今度こそは必ず優勝したい」
準決勝からはタイで暮らす父と姉も来日。長く憧れてきた国立競技場で躍動したプムラピーの姿を、母とともに見届けた。父からは大会開幕前に、次のようなメッセージが収録された動画をメールで受け取っている。
「この大会の結果がどうであれ、お父さんは君を誰よりも誇りに思っています」
家族の絆も力に変えながら、プムラピーは初めて臨む全国大会で大きな爪痕を刻んだ。そして、クライマックスを迎えた国立競技場での準決勝と決勝は、母国タイでも急きょテレビ放送されていた。プムラピーが笑う。
「タイの人たちのためにも、日本でプレーする自分はここからもっと、もっと努力していきます」
卒業後にJクラブ入りする目標をさらに強くしたプムラピーの勇姿に魅せられ、日本でのプレーを夢見るタイの子どもたちが増えるかもしれない。走るのが苦手だからと、フォワードから転向したのが10歳のとき。日本とタイとの架け橋になる存在も担いながら、17歳の守護神は日本の地で成長の2文字を追い求めていく。
(藤江直人 / Fujie Naoto)

藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。


















