元J新人王が追いかける“忘れ物”「非常に消化不良」 16年前の記憶…指導者として描く青写真

小川佳純は10年優勝経験も悔恨…Proライセンス取得の理由
名古屋グランパスの黄金期を支え、現在は指導者としての道を切り拓く小川佳純氏。2025年度に取得したJFA Proライセンスのため、海外研修の一環でベルギー1部シント=トロイデンVV(STVV)を訪れた。現地で「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じ、13年間のプロ生活で培った勝負師の顔と、引退後に目覚めた戦術家としての顔を見せた。連載の最終回は、ベルギーの地で描く“恩返し”の地図。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全5回の5回目)
【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!
◇ ◇ ◇
次なるステージに向け、指導者としての道を切り開く小川佳純氏。13年間に及ぶプロ生活を経て、JFA Proライセンスを取得。かつて名門・市立船橋高校を優勝に導き、国立競技場を沸かせ、Jリーグで新人王を獲得した男が指導者としての学びに執着するのはなぜか。高みを目指す背景には、現役時代に置き忘れてきた、“飢え”がある。2010年、名古屋グランパスで経験した悲願のJ1リーグ初優勝の記憶だ。
「あの年、名古屋はJ1で優勝した。喜びを分かち合えたのは間違いない。だけど、僕個人としては非常に消化不良なシーズンだった。スタメンとして試合に出続ける機会が少なかったし、チームの力になって優勝を勝ち取ったという達成感はあまりなかった。だから2010年以降は自分が貢献してタイトルを獲得したいと思ってプレーしていた。でも現役中には叶わなかった。引退後に自分が監督としてリーグタイトルを取るというのが次の目標。J1の監督をやるにはProライセンスが必要なので、取りました」
2010年の“忘れ物”を取りに行く旅路。それは、現役引退直後に就任したFCティアモ枚方の監督から始まり、サガン鳥栖でのコーチ経験を経て、昨年は母校・明治大学でも指導。明治大学では、かつての監督で恩師の神川明彦氏が長年大事にしている「運動量・球際・切替」の三原則を継承しつつ、プロの世界で培った戦術眼を惜しみなく学生たちに伝えた。だが、そこで彼が重きを置くのは、技術や戦術の向上だけではない。
「大学生には、サッカーだけではないことを伝えなきゃいけない環境。全員がプロになれるわけじゃない。けれど、サッカーを通じて組織のために何ができるか、社会の中の人間としてどう振る舞うべきかを考えなさい、と。学業とサッカーの両立も含め、1人の人間として成長してほしい。それは、僕自身が明治で育ててもらったことへの恩返しでもある」
指導者として目指す日本サッカーの底上げ
一方で、指導者としての「武器」も磨き続けている。STVVを訪れたベルギー研修では、ピッチ上の技術以上に、日本サッカーを「外側」から見た時の解像度の違いに衝撃を受けたという。STVVで主力を張る日本人選手たちが、体格差のある海外勢を相手に堂々と渡り合い、勝利に貢献する姿。それは、彼がJリーグで信じてきた技術や戦術が、世界基準で通用することの証明でもあった。
「日本人がピッチ上に5、6人立っているというのはSTVVぐらい。それでも海外の選手相手に通じるし、主力として戦っている。日本人が活躍できるというのを目の前で見させてもらった」
ベルギーでの日々を通じて、小川の中に1つの“地図”が出来上がりつつある。それは監督として成功することに加えて、日本サッカーの未来を底上げすることだ。
「自分はJリーグに育ててもらって日本サッカーに貢献したいと思っている。自分は国内でしか指導していないので、Jリーグをどう盛り上げるか。国内で自分ができることは何か。今、若い選手は海外へ挑戦したいという目標を持っている選手が多い。指導者として僕ができることは、彼らが海外に出た時に、日本での取り組みがどう生きるか、何が足りないのかを示してあげることだと思っている。海外に出た時に少しでも日本人がステップアップできるようにしてあげるのがこれからの自分の仕事になる」
小川自身が幼少期に三菱養和で育んだ楽しさ、高校時代に市立船橋で刻まれた勝負への執念、プロ入りしてから欧州の名将たちから授かった知性、葛藤から得た自己客観視……。すべての経験が、パズルのピースのようにはまり、1つの大きなビジョンを描き出した。かつての力強いプレーは今“勝利に導く力”へ昇華させた。小川佳純の第2章。それは、自らの「忘れ物」を取りに行くと同時に、日本サッカーが世界という舞台でさらに輝くための挑戦の記録となるはずだ。
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)


















