4年前はTV観戦「自分とは遠すぎて」 アジア杯で差を痛感…佐野海舟の現在地「生き残れない」

佐野海舟は初のW杯出場に向けて研鑽を積む
2026年、北中米ワールドカップ(W杯)イヤーを迎えた。まだ見ぬベスト8、そして頂点を目指して日々奮闘する森保一監督率いる日本代表。昨季ドイツ1部マインツへ移籍し、1年目から圧倒的な存在感を放った日本代表MF佐野海舟がFOOTBALL ZONEのインタビューに応じた。森保ジャパンの中心として——。佐野が思い描く舞台とは。(取材・文=林遼平/全3回の1回目)
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ドイツ・マインツ。ライン川を渡る風が冬の訪れを告げる中、佐野海舟はいつものように淡々と、しかし確かな足取りでインタビューを受ける椅子に座った。ブンデスリーガという世界最高峰のインテンシティーの中で戦う彼にとって、今やドイツの地でサッカーをすることは日常だ。だが、この国には彼にとって特別な記憶の原点があった。
「2006年のドイツW杯だったと思います」
初めて見たW杯はどの大会か、という問いに、彼は少しだけ表情を和らげて答えた。幼い海舟少年のテレビに映る日本代表の姿は、純粋に「かっこいい」憧れの対象だった。あの日、心に芽生えた「なりたい」という願いは、今、現実のピッチへと形を変えつつある。
ただ、その道のりは決して右肩上がりの華やかなものではなかった。日本中が熱狂に湧いた2022年のカタールW杯。当時、彼はちょうど怪我に苦しみ、ピッチから遠ざかっていた時期だった。
「ちょうどあの時、サッカーをしていなくて。怪我とかいろいろあってサッカーができていない時期で、自分とは遠すぎて、もう、ただただ『すごいな』という思いで見ていました」
悔しさという言葉を使うことすら場違いなほど、世界の舞台は遠かった。眩い光の中で躍動する同世代の姿を、彼はテレビ越しに見つめていた。
それからわずか1年。彼は見上げていたその場所へ、自らの足を一歩踏み入れることになる。2023年11月W杯アジア2次予選のミャンマー戦。追加招集という滑り込みの形ではあったが、彼は確かに、憧れだった日本代表の一員としてピッチに立ったのだ。
「追加招集で呼ばれたので、実感がないまま合流した。でも、本当にレベルの高い中でサッカーをして、あぁ……これが代表なんだって思った記憶があります」
現在地を思い知ったアジア杯「出場時間には納得」
感慨に浸る時間はなかった。そこは、1度入ると何度も続けて呼んでくれるような甘い場所ではない。一瞬の隙を見せれば即座に振るい落とされる場所だったからだ。
2024年初頭のアジアカップは、佐野にとって「現実」を突きつけられる時間となった。大会を通じての出場時間はごく僅か。日本の敗退とともに、彼は目立った爪痕を残すことなくカタールの地を去ることになった。通常、野心溢れる若者ならば、出場機会の少なさに不満が漏れてきそうだが、佐野の振り返りは驚くほど冷静だった。
「客観的に見て、自分を試合に出せる状況ではなかったのかなとも思いますし、自分としても何かが足りない選手ではあったので、その時は。悔しかったですけど、出場時間には納得しています」
それから佐野は代表の舞台から遠ざかることになる。マインツでの奮闘もあり、再び日の丸を背負うことになったのは、約1年半後の2025年6月。代表の舞台に戻ってきた男は、強い覚悟と責任を胸にユニフォームに袖を通した。
「自分のプレーを出さないと、自分も含めて納得はできない。本当に生き残るために、自分のプレーを出すことだけにフォーカスしていました」
6月遠征を機に佐野は代表でコンスタントに出場機会を積み上げ、着実にチームの信頼を掴みつつある。周りには様々な特徴を持ったライバルたちがいるが、「ポジション争い」について問うても、自分自身にしっかりと矢印を向けていることがわかる。
「サッカーをしている上でポジション争いはあって当たり前のこと。そこに対して思うことはあまりなくて、自分のプレーをどう出すかしか考えてない。チームの勝利のことを考えてやっています。結局、評価したり選出したりするのは自分ではないですから」
2025年の最大の衝撃となったのはブラジル戦の勝利だ。長きにわたる挑戦の歴史の中で、日本が初めて王国を撃破した歴史的一戦である。日本のサッカーファンが歓喜に沸いた中、佐野の心象はそれとは全く異なっていた。
「結果的に勝ちましたけど、自分としてはあまりいい出来ではなかった。前半は特に相手のレベル感についていけてないところもあったんで。もちろん勝利はしましたけど、たぶん誰一人満足はしてないと思いますし、自分も含めてもっとやらないと、上にはいけないなとは思っています」

北中米大会へ生き残るため…目指す「波の少ない選手」
ブラジル戦のパフォーマンスを冷静に自己分析した男は、翌月に迎えたガーナ戦で修正力の高さを垣間見せることになる。佐野は自身の特徴である守備力をピッチで披露し、攻撃面ではアシストという明確な結果を刻んだ。この高いパフォーマンスには周囲からも称賛の声が上がった。
ただ、佐野の口から漏れたのは、やはり自らへの「注文」だった。
「良さは出せたのかなとは思いますけど、1試合を通してハイパフォーマンスができたかと言われれば、まだまだだとは思う。波の少ない選手にならないといけないと思います。それがより信頼される一つの要素ではあると思うので。1試合を通して波の少ない選手になっていきながら、より違いをつけられる選手になりたいなと思っています」
波のない選手。想像はできるが、ピンとこない人もいるだろう。その言葉の真意を佐野は説明した。
「調子がいい、悪いはもちろんありますけど、悪い時にどう悪く見せないようにするかだったり、どう自分のリズムに持っていくかは意識している。ガーナ戦はいいプレーももちろんありましたけど、簡単なミスが何個かあった。そこを無くしていかないと、この先、試合に出られないと思う。そういうところを含めて1試合を通してハイパフォーマンスができるように、やっていかないといけないなと思います」
2026年、北中米W杯。その足音は、もうすぐそこまで聞こえている。かつてテレビの前で「遠い世界」として眺めていたあの舞台は、今や手が届く場所にある。しかし、その距離が縮まれば縮まるほど、より一層、足元を固める。
「代表での活動は短いし、回数も少ない。どれだけ自チームで、コンディション高く、怪我なく、数字という目に見える結果を残せるか。代表に選んでもらっている以上入りたいと思っていますし、意識はずっとしていますけど、今は、自分のプレーを出さないと生き残っていけないというギリギリのところだと思うので……必死な感じです」
自クラブであるマインツでチームの勝利のために全力を尽くす。その結果がW杯へと繋がっている。北中米W杯への切符を勝ち取るために、佐野はマインツでの戦いに視線を向けている。
(林 遼平 / Ryohei Hayashi)

林 遼平
はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。






















