夜中4時にライバル目撃「ヤバイな」 復帰初日に再骨折も…逸材が見せる不屈の執念

桐蔭横浜大の谷合善祇【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】
桐蔭横浜大の谷合善祇【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】

桐蔭横浜大3年GK谷合善祇、高校時代に芽生えた焦り

 夏の「大学サッカーの全国大会」とも言える総理大臣杯の関東代表を決めるアミノバイタルカップ。関東大学サッカーリーグ1部、2部、3部、さらには都県リーグの垣根を超えた一発勝負のトーナメントでは、毎年のように数々のドラマが生まれる。プロ内定選手、Jクラブが争奪戦を繰り広げる逸材、そして彗星のように現れた新星が輝きを放つ。今大会も6月5日から29日にかけて開催され、注目を集めた選手や印象深いエピソードを紹介していきたい。

 第5回目は、6月24日の準々決勝・流通経済大vs桐蔭横浜大の一戦で、この日を心待ちにしていた桐蔭横浜大のGK谷合善祇。かつて「超えられない」と感じたライバルを前に、闘争心をむき出しにして立ち向う――そんな熱き男の物語を届ける。

 流通経済大柏高時代は、常に正GKのデューフ・エマニエル凛太朗の背中を追いかけることしかできなかった。

 屈強なフィジカルを持った182センチのGK谷合善祇は、高校入学直後までは大きな自信を携えていた。関東の強豪街クラブであるFC多摩ジュニアユース時代から世代屈指のGKとして注目され、中学3年生時には「ジュニアユース世代のオールスター戦」であるメニコンカップのEASTの正GKとしてプレー。この時、一緒にピッチに立ったのはDF土肥幹太(FC東京)、FW内野航太郎(筑波大、ブレンビー加入)、ベンチにはFW松村晃助(法政大、横浜F・マリノス内定)、FW熊田直紀(いわきFC)など錚々たるメンバーがいた。

「僕はメニコンカップの東日本選抜という肩書を持って入って、エマ(デューフ)は中体連(世田谷区立船橋希望中)でGKコーチもいない環境から入ってきた。最初は正直、『俺が負けるわけがない。2年後は俺が正GKで出続ける』と思っていました」

 しかし、状況は徐々に変化していった。高校1年の後半にはデューフが先にトップに昇格すると、谷合の心には次第に焦りが芽生えていた。「彼を認めないといけない」と実感したのは、1年生の1月のことだった。

 同じ寮生だった2人。ある夜中、谷合が目を覚ましトイレに行こうとすると、デューフが廊下を歩いて玄関に向かっている姿が見えた。「どうしたんだろう」と気になって追うと、その手にはGKグローブが握られていた。

「そのまま外に出て、自転車でグラウンドに向かったんです。時間を見たら朝の4時前でした。その姿を見て、『あ、このままではヤバイな』と心の底から思いました」

覚悟の桐蔭横浜大行き「一番下手で、底辺からのスタート」

 谷合の目も完全に覚めた。ライバルは陰で努力を積み重ねている。このまま同じペースで過ごしていたら、確実に差が開いてしまう。そう危機感を抱いた彼は、負けじと朝早く起きて自主トレをするようになった。

「普段の練習も、エマより1回多くやるとか、練習試合や紅白戦でエマがゼロで抑えたら、2本目や3本目は僕が絶対にゼロで抑えるとか、常に意識して競っていました」

 競えば競うほど、物凄いスピードで成長していくデューフの凄さを痛感させられた。高校2年生になると、デューフは高円宮杯プレミアリーグEASTで11試合にスタメン出場。インターハイも選手権も2年生正GKとして出場し、U-17日本高校選抜にも選ばれた。

 一方、谷合もプレミアEASTに4試合スタメン出場と奮起を見せた。それでも「どんどん差が広がっていく気がした」と焦燥感は募るばかりだった。

「僕の中で常に100%を出しても、試合に出られるかどうか分からない。練習試合で出してもらって、75%のプレーをしていたら一生試合に出してもらえない。そういう環境だったので、常に自分に矢印を向けて過ごさないといけなかった」

 3年生を迎えると、デューフが世代屈指のGKとして注目され、U-18日本代表にも選出された。その中で谷合もプレミアEASTで5試合に出場をしたが、最後まで正GKの座は奪えなかった。

「エマはチームに勝ちを持って来ることができるGK。僕はその逆。そうなると周りが彼を信頼するのは理解できました」

 大学進学にあたって、デューフを含めた多くの仲間が流通経済大に内進を選ぶなか、谷合はあえて別の道を模索していた。

「そのまま流大に行っても、エマと4年間また競い合うことにちょっと自信が持てなかった。それに加えて、純粋に大学で対戦相手としてエマを倒したいと強く思った。だからこそ、僕は別の大学に行こうと思いました。もちろん、周りから『デューフに負けた』『逃げた』と思われるのは事実だし、覚悟の上でした」

 だが、その決断の先にあった行動は、決して「逃げ」ではなかった。

「高校時代にあまりトップで出ていないので、内進以外の関東大学サッカーリーグ1部からのオファーはなかった」が、関東1部にこだわった彼は、スタッフが流通経済大柏OBである桐蔭横浜大を希望。流通経済大柏の榎本雅大監督に頼み込んで紹介してもらい、練習に参加。実力で合格を勝ち取った。

 その桐蔭横浜大はちょうどこの年、FW山田新とMF山内日向汰(ともに川崎フロンターレ)、DF中野就斗(サンフレッチェ広島)、FW寺沼星文(水戸ホーリーホック)といったタレントが揃い、インカレ優勝を果たした“日本一の大学チーム”だった。

 当然、GKの競争も激しく、スカウトで入ってくる実力者もひしめくなか、一般セレクション組の谷合は「一番下手で、底辺からのスタート。もう失うものは何もないからこそ、チャレンジするのみ」と、這い上がっていく決意を持って、大学サッカーをスタートさせた。

ついに叶った直接対決「這い上がっていきたい」

 こうして谷合の大学サッカーが始まった。1年目は社会人チームで出番を掴むが、2年生の時に右手の中指骨を骨折し手術。5か月のリハビリを経て復帰初日の練習で、同じ箇所を再び骨折。半年の離脱を強いられ、1年間を棒に振ることになってしまった。

「もともと底辺のスタートなので、ここから巻き返すしかない」。そう覚悟を決めて再び努力を重ね、徐々に序列を上げていく。正GK・高橋一平(4年)の壁は分厚かったが、関東1部リーグで2度のベンチ入りを果たし、第6節の日本体育大戦でついにスタメンフル出場でリーグ戦デビューを飾った。

 そして迎えた今年6月のアミノバイタルカップ。総理大臣杯出場を決めた直後の準々決勝で、今季2度目のスタメン出場の機会が巡ってきた。対戦相手は流通経済大。燃えないわけがなかった。

「昨日の夜からワクワクしていました。でも、いざ試合をすると変な気持ちでした。エマはもちろん、渋谷諒太くん、清水蒼太朗くんなどが、違うユニフォームを着て向こうに立っているのが不思議な感覚でした」

 しかし、試合は厳しい結果となった。3失点を喫し、1-3の敗戦。終了間際には、谷合が2度のCKにゴール前まで上がり、デューフと競り合う場面も。ヘディングで競り勝つ場面もあったが、ゴールネットを揺らすことはできなかった。

「せっかく使ってもらっても3失点したら序列は変わらない。エマは90分間常にどっしりとしていたし、最後の空中戦も身を挺してでも点を取ってやると思って突っ込んだのに、エマは冷静に飛び出してきてパンチングをした。『あ、ここで出てくるのか』と思いました。彼を超えるために、倒すためにここに来て、今日直接対決が叶って、結果は自分の甘さ、現在地を再認識させられました。このままでは、あと1年半で超えるのは無理なので、もう一度自分のベクトルを向けて這い上がっていきたい」

 結果だけを見れば、悔しさが残る試合だったかもしれない。だが、谷合にとってこの日は、きっと一生忘れられない、かけがえのない時間になったはずだ。桐蔭横浜大という熾烈な競争の場に自ら飛び込み、周囲の評価や声をすべて受け止める覚悟で、出場機会を掴んだ。そして今、彼はまさに這い上がっていく途中にいる。

「信は力なり」。倒すべきライバルがいる。その存在に向き合い、純粋な闘志を胸に進む限り、谷合善祇はきっと、さらに強くなっていく。谷合の逆襲は、ここから始まる。

(FOOTBALL ZONE編集部)

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