慶應卒→K-POP業界→無給ボランティア 「そこまで必要とされるなら」大学サッカー界へ

連盟理事として大学サッカーの発展に貢献する櫻井友氏【写真:小室 功】
連盟理事として大学サッカーの発展に貢献する櫻井友氏【写真:小室 功】

現在大学サッカー界に携わる櫻井友氏、韓国留学で触れた多様な価値観

 現在、連盟の専務理事として大学サッカー界に携わる櫻井友氏は、2007年3月、慶応大学卒業をきっかけに、母校・慶應義塾大の体育会ソッカー部と長年、交流のある延世大(韓国)の大学院に留学した。専攻はスポーツ心理学。だが、その前に乗り越えなければならない壁があった。ほとんど韓国語を話せなかったからだ。まず向かったのが、延世大が運営する韓国語の語学学校だった。(取材・文=小室 功/全3回の2回目)

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 韓国への留学にあたり、慶應義塾大体育会ソッカー部の先輩OBであり、かつて総監督なども歴任した福井民雄氏がいろいろな面でサポートしてくれた。

「韓国では延世大のサッカー部の寮に住まわせてもらうことになっていたのですが、現地に入ってからしばらくは福井さんと長い付き合いがあり、慶應大と延世大のサッカー部の交流に貢献されてきた呉利澤さん(延世大出身)という方の家にお世話になりました。その方には僕より2つ上と4つ上の息子さんがいて、僕をまるで末っ子のように思い、面倒を見てくれました。その方は日本語ができたので、戸惑うことなく、コミュニケーションできましたし、本当にありがたかったです。サッカー部の寮に入ってからも週末になると、その方の家に遊びにいって、よく食事をごちそうになっていました」

 櫻井氏にとって、まさに韓国のアボジ(お父さん)的存在だった。

「今でも覚えているのですが、サッカー部の寮に入ってから数日後、その方から電話があって“何で連絡をしてこないんだ”と叱られました(苦笑)。日本人の感覚では“連絡しないのは元気な証拠”といった感じだと思いますが、韓国の方からすれば、特に用事がなくてもいいから連絡してこい、と。韓国と日本の文化の違いというか、人間関係の密度の濃さや強さといったものを実感しましたね」

 日本とは異なる環境のなかに飛び込み、多様な価値観に触れ、視野を広げたい。そう思っていた櫻井氏にとって忘れられないエピソードの1つでもある。

「その方とは今も親交があって、仕事などで韓国を訪れた際は、時間が合えば、必ず会うようにしています」

韓国滞在中に指導者ライセンス取得、次の選択は音楽関係

 延世大のサッカー部の寮に居を得て、語学学校におよそ1年半通い、韓国語をマスターした。そして2009年春、晴れて延世大大学院に進んだ。「専攻はスポーツ心理学でしたが、勉強だけではなく、時々サッカー部の練習にまぜてもらってボールを蹴ったりしました」と、充実の日々を送る。

 延世大といえば、ソウル大や成均館大、高麗大と並び称される韓国屈指の名門大学だ。サッカー部においても輝かしい実績を持ち、数多くのプロ選手を輩出してきた。なかにはフル代表にまで上り詰めた選手もいる。

 歴史と伝統、格式のある延世大の日常に触れた経験は、櫻井氏にとってよい刺激になったことだろう。2年間通った大学院を修了し、2011年に帰国。韓国滞在中に同国サッカー協会公認の指導者ライセンスを取得するなど、サッカー人としての新たな肩書も増やした。

 次なるレールは、どこへと向かうのか。選択したのが、なんと音楽関係の仕事だったのだから、驚きである。自他ともに認める「結構な変わり者」の面目躍如だろう。

「ビザが2011年の6月まであったので、ギリギリまで韓国にいました。帰国してからどうしようかと思ったのですが、韓国語の翻訳や通訳をしてくれる人を探しているという話を聞いて、レコード会社にお世話になりました。ちょうどそのころ、日本国内でもK-POPが流行り始めていて、プロモーション業務に携わるスタッフを募集していたんです」

 芸は身を助く、ということか。サッカー関連の仕事とはまったく無縁だが、再び“櫻井通訳”の出番となった。

「(雇用上は)正社員ではなく、派遣だったのですが、かなりの激務だったこともあって、1年に満たないくらいで辞めました。その後、しばらくはゆっくりしたいなと思い、日本の指導者ライセンスを取得したり、韓国語の通訳や翻訳のバイトをしたり、気ままな生活を送っていましたね(苦笑)」

 そして2013年11月、第二の故郷といっても過言ではない韓国に再度、向かった。

無給で運営サポート、帰国後に「連盟の仕事をやってくれないか」

「韓国の友人からサッカークラブの運営を手伝ってほしいと頼まれて、子供たちにサッカーを教えたり、僕は結構、数字に強いので、経理面なども担当していました。ただ、何かの手違いで就労ビザが下りず、ボランティアという形でしたけど(苦笑)」

 つまり、無給である。ちょっと人が良すぎないかと思わずにいられないが、それはともかく「自分のお金にはあまり執着しないけれど、人のお金にはすごくうるさい」と苦笑しつつ、こう続けている。

「その友人のサッカークラブの話ですが、サッカークラブ以外にも事業を行っていて、収支面をチェックしたら、どう考えてもサッカークラブは黒字化できないだろうと思い、社長に“この部門はすぐにやめたほうがいい”と伝えました。もしあのまま続けていたら、会社の経営自体が立ち行かなくなっていたのではないかと思いますね」

 櫻井氏の進言に従い、赤字事業を畳み、スリム化したことで、経営が安定した。今現在もその会社自体は存続しているという。

 紆余曲折を経て、帰国した櫻井氏に待っていたのが、大学卒業の際に韓国留学を勧めてくれたソッカー部の先輩OBである福井氏からの度重なるオファーだった。

「連盟の仕事をやってくれないか」

 数年前に声をかけてもらった時は、K-POP関連の激務に追われ、疲労困憊だったこともあり、しばらく休みたいという思いが強く、せっかくの申し出ながらお断りしていた。だが、再三のオファーをいただいたことで、「そこまで自分を必要としてくれるのなら」と引き受け、丸10年が過ぎた。

「大学サッカー界の可能性をすごく感じます。天皇杯で大学チームがJリーグのクラブに勝ったりしますが、選手やチームのポテンシャルは非常に高い。格上のレベルと戦っても互角にやり合える力は十分にあると思います。ただ、その反面、難しさも感じていて……」

 現在、(一財)関東大学サッカー連盟と(一財)全日本大学サッカー連盟の専務理事を兼務し、大学サッカー界の普及・発展に尽力する櫻井氏が感じる難しさとは一体なんだろうか――。次回は大学サッカー界の現状と未来について聞く。

(小室 功 / Isao Komuro)



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