「全部成功させろ」森保監督とかわした“約束” 1→13に激増…捧げた「特別な思い」

森保一監督「洋次郎に認めてもらうためにメニューを作っていた」
サンフレッチェ広島やFC東京で活躍し、今年1月に現役引退を発表した元日本代表MF高萩洋次郎氏が、「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じた。サンフレッチェ広島がJ1初優勝を果たした2012年シーズン。最多アシストで優勝に貢献した裏側には、森保一監督からの“要求”があった。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎/全11回の4回目)
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2012年――。この年は広島にとっても、そして高萩にとっても忘れられない1年となった。
この年からミハイロ・ペトロヴィッチ前監督の後任として、トップチームでは初めての指揮となる森保一監督が就任した。開幕前のキャンプ、森保監督の目には、決定的なパスを通そうとする高萩の狙いがチームにうまく伝わらず、ボールロストにつながっているように映った。普通なら「もっとシンプルにプレーしろ」と言いそうなものだが、当時43歳の新米監督は逆だった。「難しいパスを狙ってもいいけど、そのかわり全部成功させろと要求しました」。もちろん、全部成功するわけがないのは分かっていた。それぐらいの覚悟を持った上でプレーして欲しかった。
「最初に森保さんに言われたのは、めちゃくちゃ覚えています。期待されている、認めてもらっているんだなと思った反面、責任があるんだなと。あの言葉をかけてもらって、すごく影響を受けましたよね。やらないといけないなと」
2007年途中から2009年まで広島のコーチを務めていた森保監督にとって、高萩という選手は“特別”な存在だった。当時は指導者として駆け出しだったこともあり、サブ組の練習を任されることが多かった。選手のコンディションを管理するために負荷をかける狙いで練習メニューを組んだにもかかわらず、必ず“抜け道”を見つける選手がいた。
「タッチ数だったり、色んな条件をつけるんですけど、洋次郎は『これありですよね』と抜け道を作るのが上手くて。本当に最初は洋次郎に認めてもらうために、練習メニューを作っていました。洋次郎がいなかったら、今の自分はないですね」と振り返る。誰よりもその才能を信じていた。前年7位のチームを勝たせるためには、高萩の“覚醒”が必要だと感じていた。
「いやいや……」と本人は謙遜するが、森保監督になって自身も、チームも変わった部分があった。それは今の日本代表にも通じる「切り替え」の速さ。前監督の攻撃サッカーをベースに、守備意識が植え付けられていった。
「森保さんの根本にある戦術というか軸が、『ミスしたら取り返す、切り替える』という部分。今の代表を見ても、そのハードルが高いじゃないですか。それは広島の時も変わってなくて、ボールを奪われたら奪い返す、切り替えてポジションに戻るというのは、絶対やらなきゃいけなかった。守備の練習を増やすというよりは、そういう意識付けを口酸っぱく言っていましたね。ミシャさんはセットプレーの守備練習すらやらなかった。いつも怒る要因は点が取れないこと。『3点取られてもいい、4、5点取れ』って怒ってましたから(笑)。森保さんはコーチとしても見ていたので、ミシャさんの哲学は大事にしていましたけど、チームに足りないものを感じていたのかなと思います」
優勝に導いた左足シュート
守備意識が高まったチームは、開幕から着実に勝ち点を積み上げていった。自身も開幕戦から2シャドーの一角として先発出場を続けると、シーズンが進むにつれて味方との連係も向上。自身の狙いが、チームにも伝わるようになっていった。7月4日の第18節・川崎フロンターレ戦ではコーナーキック(CK)で先制点をアシストすると、3-0で快勝。このシーズン初めて首位に立った。
「本当に強かったですよね。メンバーもそうですけど、何をやってもうまくいくような感じで。それこそ、ミシャさんが作ったサッカーを森保さんがアップデートして、あのサッカーに対策できないチームが多かったんじゃないかと思います」
終盤はベガルタ仙台とのデッドヒートとなった。第25節以降は首位を保っていたとはいえ、僅差の状態が続いていた。優勝の重圧からか、第32節のアウェーで行われた浦和レッズ戦は0-2で敗戦。勝ち点差はわずか1だった。そんな中、11月24日の第33節、運命のホーム・セレッソ大阪戦を迎えた。
前半17分、ゴール中央でパスを受けると、前方にパスを送った。DFにカットされたが、そのボールが目の前に転がってきた。普段はアシストを優先する高萩が、その時は迷うことなく、利き足ではない左足を振り切った。
「たしかに左足でしたしね。相手に当たったこぼれ球だったので打ちやすいシチュエーションではあったんですけど、あの時は勢いでシュートにいきましたね」
豪快なシュートがゴール右隅に突き刺さると、ビッグアーチの広島サポーターは感情を爆発させた。ベンチから戦況を見つめていた森保監督も、このゴールには驚いたという。
「普段は人を生かすという選択肢を優先してくれていたと思いますけど、あの時は『自分で決めてやろう』という、洋次郎が心の奥底で持っているパワーをゴールに結びつけてくれて、チームを優勝に導いてくれたんだなと思います」
高萩の得点で勢いに乗ったチームはその後も得点を重ね、4-1で勝利。Jリーグ元年から20年目、“オリジナル10”の広島が、本拠地のサポーターの前で悲願のリーグ初優勝を手にした。自身も前年はわずか1つだったアシストは、リーグ最多タイの13を記録。開幕前に森保監督とかわした約束通り、何本もの決定的なパスを通し、全試合で攻撃を司った。ベストイレブンにも選ばれ、名実ともにリーグを代表する選手に上り詰めた。
「やっぱりあの年は特別な思いがありましたね」
試合終了後のピッチ、両手を合わせて祈る高萩の姿があった。広島だけでなく、故郷のいわき、そして東北へ捧げる優勝でもあった。
(FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎 / Shintaro Inoue)