正月休みの16歳に…耳を疑った「参加してきなさい」 高校生Jリーガー誕生の“真相”

いわきを離れ、広島ユースに入団
サンフレッチェ広島やFC東京で活躍し、今年1月に現役引退を発表した元日本代表MF高萩洋次郎氏が、「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じた。当時、16歳8か月3日でJリーグ史上最年少出場を果たした司令塔が、デビュー戦までの軌跡を振り返った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎/全11回の2回目)
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15歳で初めて生まれ故郷のいわきを離れ、広島ユースに入団したが、意外にも新しい土地での生活はすぐに馴染めた。同期にU-15日本代表でチームメートだった前田俊介、高柳一誠、佐藤昭大の3人に加え、森脇良太らがいたおかげで、“人見知り”を発動せずに済んだ。だがサッカーに関しては2、3年生の先輩たちがいる中で、1年目はほぼ出られなかった。
「いきなり高校2年の先輩たちと練習するじゃないですか。身体も強いし、速いですし、もうプロに近いような選手たちしかいなかった。同期も俊介や一誠たちが凄すぎて。ここでサッカーするのはもう絶対無理だって、最初は衝撃受けました。1、2か月してだんだんと慣れてはいきましたけど、結局1年間Bチームでしたね」
2002年夏に福島・Jヴィレッジで行われたクラブユース選手権にはチームに帯同した。だがベンチ入りメンバーとしてではなく、実家がいわきだからという理由でスタッフとしてだった。
「地元だったから手伝ってくれって言われて。ビデオを撮ったり、水を作ったり。終わったら実家に帰って、また次の日に来てという感じで。もちろん悔しさもありましたけど、試合には出ていないのに、あの時は年代別の代表(U-16日本代表)には呼ばれていたので。寮生活でしたけど、結構バタバタしていましたね」
ようやくベンチ入りできるようになったのは年末のJリーグ・ユースカップ。少し試合にも出場できた。「来年は出られるようになるかな」と正月休みを終えて広島に戻ると、耳を疑うニュースが届いた。
「トップチームのキャンプに参加してきなさいと言われたんです」
キャンプで練習試合などを数多く組むため、“数合わせ”の意味合いが強かった。だが当時の広島はJ2に落ちたことで、久保竜彦や藤本主税ら主力が移籍。小野剛監督は若い力をチームに取り込もうとしていた。久保らが抜けたとはいえ、GK下田崇や元ブラジル代表MFセザール・サンパイオ、若手では和幸、浩司の森崎兄弟や駒野友一ら、J2ではもったいないぐらいの豪華メンバーが揃っていた。そこに16歳が飛び込んだ。
「もうなんか記憶にないぐらいテンポが良すぎて。どこでキャンプをやったのかも覚えてないです。本当にあれよあれよという感じで。自分がどこで、何をしているのか分からなかったですね。だって、去年までは1年間Bチームだったんですから。手応えなんて全くない。人生を早送りしているような感覚でしたね」
最悪の条件だったデビュー戦
1次キャンプだけでなく、2次キャンプにも帯同。キャンプを終えた後はユースに戻ったが、時々トップの練習にも呼ばれた。当時のサテライトリーグの試合にも何度か出場していた。そんな中、3月29日のJ2第3節・モンテディオ山形戦で当時5人だったベンチメンバーに初めて入ると、続く4月3日の第4節・湘南ベルマーレ戦でもメンバー入りを果たす。だがその日はあいにくの大雨。平塚陸上競技場のグラウンドは田んぼのようにグチャグチャだった。午後3時の試合開始時点では12度あった気温もどんどん低下していった。
「試合の日は覚えています。もう大雨でピッチがグチャグチャで。4月に入ったばかりだったので、もう本当寒かったんですよ。ハーフタイム(HT)も寒すぎて、シャワー浴びてみんなで温まるためにコーヒー飲んでるみたいな」
この“最悪”の条件が16歳の少年の心を楽にさせた。1-0でリードしていた後半28分、高橋泰との交代でピッチに入った。J2ではあったが、呉章銀(FC東京)が持っていた16歳8か月20日を17日更新する16歳8か月3日での最年少デビューだった。
「逆に緊張しなかったですね。あれだけグラウンドが悪いと戦術もクソもないので、ただ走ってボールを追いかけて蹴ればいいみたいな。もうやることがはっきりしていたので、なんか楽でしたね。緊張した記憶はないです」
試合後は多くの記者に囲まれ、一躍時の人になった。4月29日の甲府戦では初めて先発。しかも「それまでやったことなかった」というサイドバックで出場した。最終的にこのシーズンは4試合の出場となったが、ユースでは森山佳郎監督の下、3年生の田坂祐介(元川崎フロンターレ)らとともにクラブユース選手権、Jユース選手権と2冠を達成。広島ユース旋風を巻き起こした。
そして11月1日、クラブは大きな決断を下す。ユースから昇格させ、高萩と17歳でプロ契約を結んだ。クラブ史上初の高校生Jリーガー誕生の瞬間だった。通っていた吉田高校から、通信制のクラーク記念国際高校に切り替わった。住む場所も吉田にあるユース寮から広島市内にあるトップチームの寮に移ることになった。
「クラブは相当いろいろやってくれたと思いますね。僕はもう全く分からなかったんで、言われた通りにやってという生活でしたね」
広島の誰もが高萩に「新時代」を見た。だが高校生Jリーガーの前に、プロの壁が立ちはだかった。
(FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎 / Shintaro Inoue)