高校1年でGK転向…思い込みだった「走らないしラクじゃん」 プロ入りに導かれた理由

栃木シティ守護神の相澤ピーターコアミ「最初はカルチャーショックでしたね」
サッカーを始めたばかりの子供は、自分の好きなポジションでプレーをするだろう。しかし、年齢が上がっていき、指導者がいるチームに在籍することになれば、自分がやりたいポジションとは異なるポジションでプレーすることを求められることは珍しいことではない。
【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!
今季J3の栃木シティの守護神を務めるGK相澤ピーターコアミも、もともとはストライカーとしてプレーしていたが、高校時代にポジション変更を勧められてGKとしてプレーするようになった。そして、瞬く間に周囲から評価される存在となり、年代別の日本代表にも選出されて、プロサッカー選手にもなった。結果的にポジション変更が大成功となった相澤だが、どんな思いを持ってピッチの最前線から最後尾へポジションを移したのか。(取材・文=河合 拓/1回目)
◇ ◇ ◇
相澤がFWからGKへのポジション変更を打診されたのは、高校1年のときだった。そのときの思いを聞くと、「めっちゃイヤだったんですよ、最初は。今で言うとアニメのブルーロックみたいな感じで、周りに味方がいても普通に自分でシュートを打っちゃうくらいのエゴイストだったんです。点を取ることが気持ち良くてずっとサッカーをやっていたので」と、抵抗が強かったと振り返る。
ただ指導者としても、理由なくGKへの転向を進めたわけではなかった。相澤は小学生のとき、チームの人数が少なくてGKを務めることがあったのだ。中学に進む際にはJFAアカデミーのセレクションを受けたが、フィールドプレーヤーとGKの両方でセレクションを受けられることを知ると相澤自身「せっかくだから」と両方のポジションで試験を受けていた。
フィールドプレーヤーとしては1次試験で落ちたが、GKとしては1次試験を通過。結局、GKとしても合格には至らなかったが、このときの経験があったことで、中学時代にもコーチから「GKとフィールドプレーヤーの二刀流でやらないか?」と聞かれた際に「どっちもやるんだったら、いっぱい出られるしおいしいな」と、FWとGKの両方でプレーしていたという。
そして相澤の通っていた中学では、週に一度、特別GKコーチが指導に来ていた。その人物とは、年代別の日本代表のGKコーチや、東京ヴェルディ、SC相模原などでもGKコーチを務め、現在は日テレ・東京ヴェルディベレーザでGKコーチを務めている中村和哉氏だった。
「和哉さんが、けっこう僕に対してGKとしての可能性を感じてくれたみたいで『おまえ、GKやったほうがいいよ』と助言してくれていたんです。当時、和哉さんは青山学院大や僕が進学することになる日本文理高でも特別GKコーチをやっていて、それがきっかけで最初はGKとして日本文理高に誘われました。当時の監督に『おまえ、GKで来いよ』と誘ってもらったんですが、即行で『イヤです』と、一度は断ったんです」
その後、日本文理高の監督はスカウティングをしているなかで、フィールドプレーヤーとしてプレーしている相澤を見て「フィールドでも全然いいじゃないか。うちにおいでよ」と再び誘った。当時、まだFWで勝負したい思いがあった相澤はこれに喜び、日本文理高に進学する。ところが、高校に入ると能力の高いFWの選手が集まっていた。相澤は1年時からトップチームに入れたが、選手権予選のメンバー入りは逃してしまう。
この選手権予選で敗退した際には、2点リードしていたが、対戦相手に40メートル級のロングスローを投げる選手がいたという。そのロングスローを用いた攻撃から立て続けに3失点を許し、逆転負けを喫してしまった。
当時、正GKとして試合に出ていたのは2年生。この先も日本文理高はハイボールで攻められると苦戦することが予想された。そのため、この敗戦直後から監督には「おまえの高さがあったら、ロングスローを止められていた。中村GKコーチももともとGKをやれって言っていたし、GKに転向してくれないか」と、ポジション変更を求められるようになった。
「イヤだったんで、最初は断っていたんです。でも、自分自身もFWとしての限界を感じていました。そして、高校サッカー選手権の開幕戦を観に行ったとき、今、藤枝MYFCにいる北村海チディ選手が、めっちゃ活躍したんです。それを見て『GKめっちゃかっこいいな』と感じて、最後は僕から『GKをやりたいので、やらせてください!』ってお願いする形になりました」
北村の華麗なプレーに感化された相澤は、GKというポジションに華やかな印象を持つようになる。さらにもう一つ、『GKになればラクだろう』という思い込みもあった。
「ポジション転向をしたら、最初はカルチャーショックでしたね。よくフィールドの選手は『GKは走らないしラクじゃん』みたいに言うじゃないですか。でも、練習は一番きついんですよ。僕も最初は『キャッチして倒れるだけでラクじゃん』と思っていたんです。けれども、めちゃくちゃきつくて。それが一番、GKに慣れるまで時間がかかりましたね」
相澤にとって幸運だったのは、日本文理高には特別GKコーチの中村氏以外にも、チームに常に帯同しているGKコーチがいたことだ。そのため、日々の練習からしっかりとGKの専門的な練習を積むことができた。「高校年代って、GKコーチがいないことも珍しくないじゃないですか。そのなかで、常にGKコーチに学ぶことができたのは、自分の成長につながったと思います」。
GKに転向してからナショナルGKキャンプやU-18日本代表にも選出された相澤だったが、「『オレの実力がすごいな』と思うことよりも、『(指導者が近くにいて)運がいいな』って思っていましたし、『環境の良さを活かしたい』と思っていました。だからこそ、上を目指してどこまでいけるかチャレンジしたい気持ちが常にありました」と、成長に対して貪欲でいられたと振り返る。
周囲から認められても、自分は決してすごくはない。GK歴が浅く、他のGKのプレーも目の当たりにするなかで、常に上を目指せていたことが、立場が変わっていくなかでも相澤が謙虚に成長することを目指せていた要因だったのかもしれない。
(河合 拓 / Taku Kawai)