「最後の試合かも」→契約延長…人生を変えたジャンピングボレー弾「打つしかない、打っちゃえ」

長谷川太郎氏が人生を変えたゴールを回顧【写真:轡田哲朗】
長谷川太郎氏が人生を変えたゴールを回顧【写真:轡田哲朗】

柏でJリーグデビューを飾った長谷川太郎氏、平坦ではなかったプロの世界

 2005年にヴァンフォーレ甲府の最強攻撃陣の一角として、J2で日本人最多得点をマークした長谷川太郎氏。現在は一般社団法人TREを設立して次世代のストライカー育成のためにさまざまな活動を行うなか、自身が経験した「1つのゴールが人生を変えた」ことについて聞いた。人生のターニングポイントで決めたゴールの瞬間、彼の脳裏に浮かんだものとは――。(取材・文=轡田哲朗/全3回の3回目)

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 子供の頃の憧れは「キャプテン翼の岬君でした」と語る長谷川氏。中学校1年生の時にJリーグが開幕し、今なお現役でプレーし続けるFW三浦知良に憧れて本格的にサッカー選手を目指すなかで、柏レイソルのジュニアユースからユースと進み、育成年代を過ごした。

 ユース時代を振り返り、「練習前に2時間くらい、ひたすらシュートを打っていたんです。今、ヴィッセル神戸のトップチームでアシスタントGKコーチをやっている松本拓也がユースで一緒だったので、彼をパートナーにして何千本、何万本と打ちました」と、下支えになる練習量があったと話す。転機となったのは、バモスカップという大会で鹿島アントラーズと対戦した一戦だった。

「今でいう、ゾーンに入った試合でした。そこで1つのゴールが決まって、プロ入りが決まりました。その時の話を後日聞いたんですけど、どうもジーコさんが『あの選手いいから、鹿島で獲ろう』みたいなことを言ってくれたらしいんですよ。でも、それを聞いてレイソルも『いや、うちが獲るから』と」

 長谷川氏のプロキャリアは、柏トップチームへの昇格を勝ち取ったことによりスタートした。あの時のゴールがなければ、プロサッカー選手としての道は開けていなかったかもしれない。

 とはいえ、プロの世界は決して平坦ではなかった。2002年には柏から当時J2だったアルビレックス新潟へ期限付き移籍。「GKとの1対1を決められなくて、J2に個人降格したこともありますから」と、当時を苦い思いで振り返った。シーズン後に戦力外通告を受けるも、トライアウトを経て翌2003年には甲府へ加入。しかし思うような結果は出ず、2年目となる2004年は半年間の契約だった。

「6月19日、コンサドーレ札幌戦です。契約の最後になるくらいの試合でした。それまで試合に出ていなかったんですけど、怪我人が増えてラストチャンスって感じだったんです。父親や恩師、友人たちも、『これが太郎の最後の試合になるかも』ということで、甲府まで観に来てくれていました」

契約延長を勝ち取った一撃「もう、スローモーションでしたね」

 札幌戦で1点ビハインドの後半途中に投入された長谷川氏は、チームが同点に追い付いたあとの後半40分、ジャンピングボレーで決勝ゴールを叩き込んだ。

「もう、スローモーションでしたね。『あ、(ボールが)上がった』って思って。『でも、これは多分止めたらあのディフェンスに取られるな。打つしかない、打っちゃえ』みたいな感じで。ジャンプして、気付いた瞬間にはもう蹴っていて、倒れながらネットに突き刺さったのが見えて。その瞬間は、『入った』っていう安堵感のほうが強かったかもしれないですね」

 このゴールによって契約延長を勝ち取り、長谷川氏の人生は大きく変わった。

 また、この時期はサッカーに対する取り組み方に変化が生まれた時期でもあった。そのきっかけは、柏時代に1つ年下の後輩でチームメイトだった玉田圭司氏が、2004年のアジアカップで日本代表として大活躍していたことだったという。長谷川氏は、当時の心境をこう振り返る。

「分析してみたんです。かたや日本代表で活躍して、かたやJ2で試合に出られない。この差はなんだろうと。玉田選手と自分のその後を比べて、自分には何が足りないのかな、何ができるのかなと。補うためには何が必要か、これから磨くためには毎日どんな練習をすればいいか――そんなことをノートに書いていったんです。それを日々実践するうちに、少しずつ頭も整理されて、プレーも良くなっていきました。

 その時にマインドが変わって、自分自身のことを客観的に見るようになって、視点が変わりましたね。自分は今どういう立ち位置なのか、自分のいいところはなんなのか、そういう視点を持つようになりました。(以前は)自分のやりたいプレーばっかりだったのが、少しずつ相手の視点も考えられるようになって、ディフェンスはこういうことをされたら嫌だろうなとか。2005年の甲府では大木(武)監督や安間(貴義)コーチも教えてくれましたし、そういうなかで学んでいきましたね」

子供たちに伝えたい“こだわり”「本当に、ゴールって大きな力を持っている」

 2005年の甲府では、長谷川氏が日本人最多得点を挙げ、日本人得点王となる活躍を見せるなど存在感を発揮。しかし、チームは最終節の京都パープルサンガ戦に勝利してようやく3位に滑り込み、J1昇格を懸けた入れ替え戦に進むというギリギリの状況だった。

 その大一番となった京都戦で、長谷川氏は貴重な同点ゴールをマーク。そして入れ替え戦では、奇しくも古巣の柏と対戦し、勝利を収めてJ1昇格を果たした。長谷川氏は当時を回想する。

「京都戦で、GKと1対1の場面があり、それを決めて入れ替え戦まで進むことができました。レイソル時代には決められなかった1対1を決めて、自分が育ったチームとの対決で勝って、J1に上がったという形ですね。そういう意味では、これまで何度もシュートを外して人生が変わってしまったこともあるし、逆にあの時のように、決めて人生を変えたこともあるんです」

 だからこそ現在、ストライカーコーチとして子供たちの指導にあたる長谷川氏は、ゴールへのこだわりを大切にしている。

「決めたり外したりしながら、ただ『決まった』『楽しかった』だけじゃなくて、『こう打ったからイメージどおりに入った』とか、『入ったけど、納得しないんだよね』っていうくらいのこだわりを持ってほしいです。本当に、ゴールって大きな力を持っている。みんなに決めてもらえるために、これからも頑張って指導していきたいと思っています」

 ストライカーの育成は、日本サッカーの長年の課題とも言われてきた。Jリーグ創設から30年余りが経ち、1ゴールの価値と重みを知る世代が、次の世代に技術とメンタリティーを伝えていく──。その積み重ねが、未来のゴールを育てる確かな一歩となるはずだ。

(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)



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