「お話聞けませんか?」でキャリア急展開 日本代表主将が認めた“プレゼン”「徹底的にダメ出しして」

ドイツでアナリストとして活躍する桝谷至良氏、吉田麻也との出会いが転機に
現在ドイツ2部マクデブルクでアナリストとして活躍する桝谷至良氏。日本代表選手との偶然の出会いをきっかけに直々に分析サポートを依頼され、実践的な経験や勉強の機会を手にした。人との縁がもたらした転機、個人分析官として貢献した貴重な経験、知られざるプロの仕事に迫る。(取材・文=中野吉之伴/全4回の2回目)
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世の中には思わぬところに浮上や変化のきっかけがある。ドイツ2部のマクデブルクでアナリストとして活躍する桝谷至良にとって、日本代表で長年活躍して主将も務めたDF吉田麻也(現ロサンゼルス・ギャラクシー)との出会いが大きな転機となった。
リバプールのジョン・ムーア大学フットボール&サイエンス学部で分析を学んでいた桝谷は、願わくばイングランドでの就活を考えていた。しかし就業ビザの問題などを踏まえると、ほかの可能性を探るほうが良いと思ったという。
「大学4年生の段階でドイツやスペイン、イタリアクラブのリサーチをしなければと思っていたんです。いろいろ回った際、板倉滉選手が所属するドイツのボルシアMGにも公開練習を見に行ったんですが、若さ余って突撃したんです。『ちょっとでいいのでドイツの分析がどんな感じでされているかお話聞けませんか? 大学卒業後にヨーロッパに残るために、いろいろ聞きたいんです』。そんな感じで必死にお願いしてみたら、板倉さんは興味を持ってくれて、『じゃあ夜ご飯一緒に行こうか』って。その時ラッキーなことに、(吉田)麻也さんも一緒にご飯を食べる予定だったんです。
当時シャルケでプレーしていた麻也さんが『(チームが)2部から1部に上がって、分析のところで対戦相手やマッチアップする選手の情報が足りてなくて。うちからやってくれない?』って言ってくれたんですね。ちょっと冗談みたいな感じだったんですけど、でも僕は『いい感じのプレゼンを作ったら、本当にやらせてもらえるんじゃないか』と思って、1週間頑張って試合映像の分析と次の対戦相手の分析をスライドにまとめて送ってみました。すると『ちょっとお金も出すから毎週やってほしい』と実践的に経験を積む機会を与えてもらえた。月1回ほどイングランドからデュッセルドルフへ行ったり来たりしました」
当時シャルケはチームとしてのまとまりに欠け、組織的なプレーも少ないなかで戦っていた印象は拭えない。そのため吉田も最終ラインで孤立する場面が多く、苦戦を強いられる場面も多かった。桝谷はどのような点を指摘したのだろうか。
「やっぱり1人では守れない。ボランチやセンターバックの相方、自分サイドのサイドバックをどこに配備して、どう動かしたら守りやすくなるかがポイントになると思った。周りの選手も巻き込んだ守備の設計を2人で考えるようになりました。麻也さんが周りの選手に『こうやっていこう』と落とし込んでいけば、自分のところも守りやすくなるというアプローチをしました。特にその年はカタール・ワールドカップ(W杯)もあったので、麻也さんから『もっと個人のパフォーマンスを上げたい。気になったところは徹底的にダメ出ししてくれ』と言ってきたんです」
ドイツ代表GKノイアーも感じた変化「全く別の試合と言ってもいいくらい」
吉田はシャルケ移籍1年目。ブンデスリーガのチームと対戦する上で相手の情報も少ない状況での試合が続いた。桝谷はマッチアップする相手選手をリサーチし、その特徴と対策をまとめ上げていった。
「例えば当時ボルシアMGでプレーしていたフランス代表FWマルクス・テュラム(現インテル)はフリーで加速されてしまうと対応が本当に難しくなるから、最初のところでインターセプトできるかが大事になるとか、スペース与えちゃダメとか、相手選手の特徴に合わせて、一個一個分析からの対策を細かくやらせてもらいました」
当時のシャルケは確かにある時期から守備の安定感が高まったのを思い出す。改めて当時の筆者の取材記録を見直してみた。カタールW杯直前のバイエルン・ミュンヘン戦でこうメモを取っていた。
<ライス監督就任後、戦い方が整理されたシャルケ。勇敢に前からのプレスが上手く機能している。4バックとダブルボランチの距離、スペース管理、マークの受け渡しがスムーズになっている。マークに行く選手とカバーに気を配る選手の連携がいい。選手間の距離が近すぎるとどちらがボールに行くべきか迷いが生じてしまうことがある。はっきりとしたコミュニケーションが必須だ。常に声を掛け合って役割を明確にしている印象を受ける>
こうした守備の改善について、対戦相手からも評価の声が上がっていた。対戦したバイエルンのドイツ代表GKマヌエル・ノイアーも古巣へ好意的なコメントを残している。
「シャルケは良くなっているよね。シーズン序盤と比べたらいい試合をしている。全く別の試合と言ってもいいくらい。選手はこれまでと違う感触を持っていると思う。僕もだし、シャルケファンも、2023年は可能性を信じられるようになってきている。シーズン途中にはそれさえも信じられないような状況があったことを考えると素晴らしいよね」
カタールW杯後、桝谷はそれまで個人でやっていた分析内容に加えて、試合後のフィードバックやセットプレーのチーム分析などのエリアも強化して、それを全体に共有することでチームへの浸透が劇的に良くなったという。最終的にシャルケは奮闘及ばず、17位で2部へ再降格となった。だが前半戦17試合で勝ち点わずか9だったシャルケが、後半戦は勝ち点22に伸ばしていた。
その背景には選手やコーチングスタッフだけではなく、桝谷やたくさんのスタッフからの最大限のサポートがあった。サッカーでも人生でも、人はさまざまなつながりの中で支え合って生きているのだ。
(文中敬称略)
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)

中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。