6年間で出場ゼロ「感情を殺しながら」 18歳で昇格見送り…挫折から始まったプロ人生【インタビュー】

水戸の松原修平「幸司さんがいなくなって、そこを継いでいく責任は絶対ある」
水戸ホーリーホックのGK松原修平が、今季から新キャプテンに就任した。控えGKとしてチームを陰から支えることのほうが多いキャリアを送ってきたが、昨季はリーグ戦26試合に出場。ブレイクを果たした32歳が、特殊なポジションの難しさを教えてくれた。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大/全3回の3回目)
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北海道函館市出身で、北海道コンサドーレ札幌のU-15、U-18で頭角を現した松原。2009年にはU-17日本代表にも選出されたが、トップチーム昇格を逃す挫折を味わった。しかし意外にも、「その当時はすごくつらかったですけど、逆に今考えるとあそこで上げてもらわなくて本当によかったなと思う」と明かす。
「トップに上がってもその先がなかったかもしれないし、誰も何も知らないところにバンって飛び込んで、顔も知らない関西人のなかに入ってやって、自分のなかで人間的に大きくなった気もする。泥水をすするじゃないですけど、そういう気持ちでプロサッカー人生を始められたのは大きかったなと思います」
当時の札幌の下部組織には、松原の2つ上に曵地裕哉、2つ下に阿波加俊太と有望なGKが揃っており、2人ともトップチームに昇格。2人の実力を目の前で見てきた松原は、「2個違いでトップチーム3人はないだろうと思っていたので納得せざるを得ないというか、自分のなかで理由をつけていました」と振り返る。
1つの枠を争うがゆえに、理不尽さも感じるGKというポジション。松原はファジアーノ岡山に入団したが、正GKに中林洋次がいたこともあり、6年間でJリーグの舞台に立てなかった。その後はカマタマーレ讃岐を経てザスパ群馬で初のレギュラーを掴んだが、湘南ベルマーレ、札幌でリーグ戦出場はなかった。
「いろんな感情を殺しながら練習していました。サブは練習が終わったあともシュートを受けないといけなかったり。お前、出ていないのになんで練習終わっちゃうの、みたいな感じで見られる。こっちだって疲れているのにと思いながらもやらざるを得ないときもあって、そういうのはすごく苦しかったです。
でも、ちょっと試合に出たときに、1試合の重みとか疲労度とか、もうめちゃくちゃきつくて。え、こんなにしんどいんだみたいな。試合の3、4日前くらいから次の対戦相手のことを考えて、試合中は1回もミスを許されない90分を過ごして。出ているキーパーの方がつらいじゃんということに気づきました」
周囲を見て行動できる愛されキャラ「何事にも手を抜いていない」
そのような経験を重ね、チームに欠かせぬ盛り上げ役として周りを巻き込めるようになっていった。「出ている方が100倍しんどい。キックミス1回しただけでネットで叩かれて。そう考えると暗い顔して練習することもなくなったし、必然的に今出ているGKをうまく気遣いながらやっていくようになった」という。
そんな姿を見たファンから、どこのチームに行っても愛される松原。「愛されているのかは分からないですけど、何事にも手を抜いていないのは一番あるかなと。あとはファンサも逆に目立てると思って、積極的にどんどんやろうと。何事にも全力でやるようになったので、見ている人は見ているのかな」と笑う。
チームメイトにも恵まれたという松原は、札幌では菅野孝憲、水戸では本間幸司というレジェンドの2人と貴重な時間を過ごした。「少しでもそこに追いつくためにはこんなところで辞めちゃいけない、折れちゃいけないと思いながら、ずっと日々を過ごしていました」。常に虎視眈々とチャンスを伺っていた。
そして、掴んだ水戸でのブレイク。一般的には遅咲きかもしれないが、ここから「水戸ホーリーホックと言えば松原修平」と言われる時代を作っていく覚悟を持つ。
「幸司さんがいなくなって、そこを継いでいく責任は絶対ある。俺がここで先頭に立って後を継がなきゃ誰も継げないというか。このクラブで何百試合、何十年とかいることはできないかもしれないですけど、40歳まではという目標があって。あと8年くらい。40でもバリバリやっている金髪はいますけど(笑)」
今シーズンからDF牛澤健とともにWキャプテンを務めるだけでなく、チーム最年長として若い選手たちを引っ張っていく役割も期待されている。本間も果たすことができなかったJ1昇格へ、松原が水戸の新たな歴史を切り開いていく。