元アナ妻へ労い「辛かったんじゃないか」 夢の欧州移籍も…「間違いなく日本は安全」と戸惑い【インタビュー】

サンタ・クララ時代の三竿健斗【写真:Getty Images】
サンタ・クララ時代の三竿健斗【写真:Getty Images】

鹿島MF三竿健斗、初の海外挑戦で抱いた思い

 鹿島アントラーズの元日本代表MF三竿健斗は、欧州クラブでのキャリアを経て、今夏にJリーグ復帰を果たした。自身プロキャリアで初の海外挑戦となったポルトガルのサンタ・クララでは、異文化ならではの困難な局面も経験。妻と愛娘の3人で過ごした海外生活で抱いた思いとは……。(取材・文=河合 拓/全5回の2回目)

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 東京ヴェルディでプロデビューを飾った三竿は、その1年後の2016年に鹿島アントラーズに加入。1年目は開幕戦のガンバ大阪戦で新天地デビューを飾ったが、リーグ戦の出場は4試合にとどまった。それでも2年目以降、徐々に存在感を放ち始め、24歳だった2020年にはチーム史上最年少でキャプテンの大役も務めることになった。

 Jで最多タイトルを獲得しているクラブで重要な存在になっていた三竿だが、2022年12月にはポルトガル1部CDサンタ・クララへ完全移籍する。26歳で下した海外挑戦。三竿は「ヴェルディの育成(機関)にいる時に、森本貴幸さんだったり、高木義朗くんだったりが海外でプレーして活躍する姿を見ていて、当時からユースやジュニアユースの選手たちは『俺たちもそうなるんだ』という意識を持っていた」と振り返る。

「Jリーグで2、3年やって結果を残して、海外に行くというのが理想」という青写真が描けなかったなかで、ようやく掴んだ海外行きのチャンス。「鹿島でやるべきこともたくさんあった」と迷いも明かしたが、腹を決めた。

「2022年にオファーが来て、いろんなタイミングが合って行くことになりました。(海外からの)オファーも1つしかなかったですし、Jリーグにいるよりもヨーロッパの市場に一度出た方が注目されるかなと思い、『ようやく行くチャンスが来たので行くなら今しかない』と決断しました」

 サンタ・クララには、過去にも日本人選手が在籍していた。そのうちの1人が現在、森保一監督が率いる日本代表の中盤に君臨しているMF守田英正(現スポルティング)である。

 まずは欧州の市場に身を置いてステップアップすることを念頭に置いていた三竿だが、新たな所属クラブとなるサンタ・クララについての知識はほぼゼロだったという。クラブの本拠地が島にあることを知ったのも、移籍を決めたあとだった。幼少時代にカナダで生活していたことで、英語が話せる強みのあった三竿は「どこであろうとプレーすることに変わりはないから問題ない」と思っていたが、たまたま目にした守田のインタビュー記事で不安になったと振り返る。

「行く直前に守田くんのインタビューが流れてきて、そのインタビューで『当時(欧州移籍する前)の僕にアドバイスをするなら、あの島には行くな』みたいなことを言っていたんです。もうマイナスなことばかり書いてあったので『とんでもない島に行くんだな』と覚悟を決めました」

鹿島でプレーする三竿健斗【写真:徳原隆元】
鹿島でプレーする三竿健斗【写真:徳原隆元】

日常生活では常に困難が…「小さなストレスの積み重ねが大きなものに」

 元アナウンサーでもある妻の晴菜さん(旧姓・後藤)と生後3か月の愛娘と過ごした海外生活には当初、戸惑いがあったという。文化も生活環境も、日本とは大きく異なる。日常生活では常に困難が付きまとっていた。

「日本の食材が手に入らなかったのは困りました。お米もタイ米しか手に入らなかったですし、お肉も手羽元を買ったら全く処理されていなくて……ちょっとしたところでの小さなストレスの積み重ねが、大きなものになっていたなというのは、今、思うとありますね。僕はサッカーがあったので気持ちを切り替えたり、集中することができたので、妻のほうが辛かったんじゃないかと思います」

 チームメイトの振る舞いにも驚いた。当時のサンタ・クララはクラブの大半がブラジル人選手だったが「15時から誕生日会をやるぞ」と言われて、15分前に会場に到着した三竿は、その場に誰もいなくて愕然とした。場所を間違えたのかと不安になるなか、15時に1人が到着し、主催者は15時半に到着したという。「それは結構、衝撃だったんですけど、『でも、ここは日本じゃないしな』と思って。結局、全部それで片づけられていたんですよね」と振り返って笑った。

 スタジアム内はサポーターにより、熱狂的なムードが醸成される。ヨーロッパ独特のその雰囲気は一方で、危険性も伴う。「日本では発煙筒が投げ入れられたり、ビールのカップが飛んだりすることはないですからね。もちろん、それだけ熱があるということも言えますし、やっぱり盛り上がりはヨーロッパのほうがあるなと感じることもありました。ただ間違いなく日本は安全です」。小さな子を持つ親として、そして、いちサッカー選手として踏み出した海外でのキャリア。今振り返れば「日本を出てみて良かったな、間違いなく良い経験をしたなと言えると思います」と、貴重な財産になっている。

クラブが2部降格、新シーズン始動後に届いた獲得オファー

 サンタ・クララには、2022-23シーズン途中に加入。三竿は17試合に出場したが、チームは18位でシーズンを終了して2部降格に。三竿自身は個人として通用する手応えを得られていたが、移籍できるかは不透明だと感じていた。「最初から半年で次の移籍をすると決めてはいたのですが、クラブが2部に落ちてしまったので、シーズン最後のほうは『1年半は(サンタ・クララに)在籍することになるかもしれないな』と思っていました」と、覚悟を固めつつあった。

 オファーが届くか不安になる、もう1つの理由があった。加入してからスタメン起用されていた三竿だが、2023年4月に入ってからはベンチスタートが多くなった。実はこの時期に三竿は代理人を変えていた。これにより、クラブは三竿が移籍しようとしていると判断したのか、先発から外れる機会が増えたのだ。

 サンタ・クララが2023-24シーズンの開幕に向けて始動したタイミングでも、オファーは届いていなかったという。しかし、始動して2週間が経ち、ポルトでのキャンプが始まった日の夜、ベルギー1部ルーベンから待望のオファーが届いた。

「違約金も決めていなかったと思うので、『良いオファーが来ないと出られないかもしれない』と思っていました。オファーが届いた時は、すぐ『行く!』って決めて、ベルギーに移籍できました」

 チームメイトたちがキャンプ2日目の練習に向けた準備するなか、三竿は1人、荷物をまとめてサンタ・クララ島に戻り、新天地となるベルギーに向かった。

[プロフィール]
三竿健斗(みさお・けんと)/1996年4月16日生まれ、東京都出身。東京ヴェルディ―鹿島アントラーズ―サンタ・クララ(ポルトガル)―OHルーベン(ベルギー)。中盤から最終ラインのポジションをそつなくこなすユーティリティ性が持ち味。キャプテンシーも備え、鹿島ではクラブ史上最年少キャプテンにも抜擢された。

(河合 拓 / Taku Kawai)



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