プレミア会場水没で“ホーム消失”も…英サッカー界の危機、気候変動がもたらす未来予想図【現地発コラム】
AFCウィンブルドン本拠地が洪水被害から完全復旧
4部リーグの13位と22位という顔合わせに、観客が約8300人。その中には、400キロ以上離れた国内北部からのアウェー・サポーターも700人ほど。いかにも、チームの強弱とは関係なく「我がクラブありき」のイングランドらしい。
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もっとも、10月12日にAFCウィンブルドンがロンドン南西部のホームにカーライルを迎えたリーグ1第11節は、観衆が特別な思い入れを持つ試合でもあった。前月後半、洪水でピッチに陥没穴が生じたプラウ・レーンでのホームゲーム再開が叶ったのだ。
メディアの注目度もそれなりで、記者席は異例の定員オーバー。受付でパスを受け取り、「座席番号19.5?」と首をかしげながらスタンドに行くと、スタジアム内の広間からでも持ってきたのか、常設席の間に椅子が置かれていた。
跳ね上げ式シートより座り心地の良い席から眺めるピッチは、全体が綺麗な緑色に戻っていた。逆サイド向かって左側のコーナー付近が、ゴルフ場のバンカーに見えた3週間前は嘘のよう。ウィンブルドンは、そのコーナーからのセットプレーで先制して大勝(4-0)を収め、今季のホーム無敗も維持するのだった。
当日の観戦プログラムでは、グラウンドキーパー長が「初めての体験ばかりで、学ぶことの多い2、3週間だった」と、復旧作業を振り返っていた。その新たな知識と経験を、必ずや今後に活かさなければならない。それが、この国のサッカー界が置かれている現状だ。
今回の陥没穴出現は、近くを流れるテムズ川支流の氾濫による。月間の平均値を3.5倍も上回る降雨量が、一夜にして記録された結果だった。56年ぶりの氾濫だったのだが、今後は、より短い周期で繰り返される可能性が高い。
英国気象庁によれば、ただでさえ天気の悪さで知られるこの国の冬は、半世紀以内に降雨量が最大3割増しになる。雨の日が増えるわけではないのだが、しとしと雨ではなく、どしゃ降りの雨が増えるという。数年後には、国内プロリーグ(4部まで)計92チームの4分の1が、スタジアム浸水被害の常連になるとする気候変動の専門家もいる。
1部に相当するプレミアリーグ勢も、河川や海が近いクラブは例外ではない。ウィンブルドンと同じロンドンでは、市内西部のフルハムとチェルシー、東部のウェストハムのスタジアム付近をテムズ川が流れる。このまま地球の温暖化と海面上昇が進み続ければ、2050年までにプレミア数クラブが、ピッチ水没で“ホーム”を失う事態まで危惧される。
身をもって他人事ではない事実を知るクラブの1つが、この日の対戦相手だ。浸水は、今世紀に入ってすでに2度。9年前の前回は、カーライルを含むイングランド北西端エリアを襲った過去最大級の嵐が全国的ニュースとなった。
茶色い水の中に、辛うじてゴールの白いクロスバーが見える状態だったブラントン・パーク。あのスタジアム映像は強烈に覚えている。グラウンドキーパーが、ゴールマウスで泳ぐコイを保護した経験を持つクラブなどカーライルぐらいだろう。
対応策としてのホーム移転議論
水辺から遠い町にスタジタムを移せば良いという、外野の声がないわけではない。しかし、“床上浸水”のリクスが高い「住居」は、資金力が限られる下部リーグ勢が「新居」を構えるために売却する資金源とはなりにくい。資産価値が極めて不安定な不動産であるためだ。
それ以前に、この国のサポーター心理が移転に二の足を踏ませる。ホームスタジアムとは、「ホーム」のニュアンスが「スタジアム」よりも格段に強い建造物なのだ。
プラウ・レーンは、2020年開場の新居ではある。クラブには、スタジアムを巡る異色の過去もある。1912年からのホームだった旧プラウ・レーンが全座席制への改装に向かず、91年に始まったロンドン南東部のセルハースト・パーク(クリスタル・パレスのホーム)間借り時代に、クラブとしての移転を厭わなかったMKドンズ(現4部)との2団体に分離してしまった。
だが、地元に残った“ドンズ”にとってのプラウ・レーンは、旧スタジアムと同じマートン地区に建つ、由緒も正しい愛しの「我が家」にほかならない。そのホーム観衆はカーライル戦でも、70年代のヒット曲「カントリーロード」のメロディーに乗せて、「自分の居場所に連れていってくれ。ロンドン南西部のプラウ・レーンへ」と歌っていた。
そもそも、洪水のリスクがない場所に逃げる手段は、根本的な対応策とはなり得ない。天候によるスタジアムへの被害ではピッチ凍結が以前から一般的で、リーグ開幕時期を早め、夏季の長いシーズンに移行すれば良いと言う人もいる。
ところがイングランドでも、夏は夏で気温が上る傾向にある。再来年からJリーグのシーズンが「秋春制」となる日本ほど暑くはない。とはいえ、以前は30度台の日が数えるほどしかなかっただけに、一昨年7月に40度台も記録された今では、選手の脱水症状といった懸念材料も指摘される。筆者が移り住んだ90年代、車の購入時にオプション扱いだったエアコンは、すっかり標準装備と化している。
気候変動を招く地球温暖化の解決には手遅れだと言われるが、だからといって逃げ道を探すのではなく、イングランド・サッカー界の沈没にも等しい最悪のシナリオを避けるべく、対応策を取る必要がある。
持続可能性へクラブの取り組みだけではいけない
幸い、そのための動きが見られるようにもなってきた。フットボールリーグ(2~4部)では、「グリーン・クラブ」こと所属全72クラブによる持続可能性への取り組みが行われるようになった。プレミアリーグは、3年前から国連による「スポーツを通じた気候行動枠組み」の署名団体。所属20クラブは、今季末までに、環境面の持続可能性に関する確固たる方針を打ち出す対応を求められている。機会があれば、特定のクラブや選手に見られるアクションも紹介したいところだ。
ファンも、他人任せではいられない。ホームスタジアムを超えた“ホーム”、地球の未来を考えて行動を起こすべきだ。完璧である必要はない。かく言う筆者も、肉類は生産段階で温室効果ガスの排出量が多いと分かっていても、ビーガン(完全菜食主義者)にはなれそうにない。試合会場で、プラスチックボトル入りの水に手を出したりもする。
それでも、できる範囲で動き始めるに越したことはない。例えば、サッカー観戦にも付き物のごみに関して。この国では、一般レベルでポイ捨てが目立つ。ごみ箱が利用されても、分別には無頓着。「リサイクル可能」と「その他一般」の2種類しかないにもかかわらず、である。
試合会場のごみというと、英国メディアによる日本代表サポーター評を今でも思い出す。2002年日韓大会だったか、続くドイツ大会だったかは忘れてしまったが、日刊紙のW杯ガイドに「日本人のファンはサッカー界のウォンブルズ」とあったのだ。
ウォンブルズとは、その昔にBBCテレビの子供向け番組で人気が広まった架空のキャラクター。顔はモグラ風で、住みかもウィンブルドンの公園に掘った穴の中だが、環境を守るためにごみを集めては発想豊かにリサイクルを試みる。現実世界では、“地元クラブ”のマスコットでもある。
その姿を、再び試合開催が可能になったウィンブルドンのホームで眺めていると、「サッカー界のウォンブルズで結構」と思えた。試合後には、飲んでいた紅茶の紙コップと、足もとに誰かが置いていった紙皿を持って「19.5番」の座席を立ち、コンコースにゴミ箱を求めた。プラウ・レーンを含め、全国複数の“ホーム”が洪水に飲まれてしまう近未来を回避するために、些細だが自分にできることの1つとして。
(山中 忍 / Shinobu Yamanaka)
山中 忍
やまなか・しのぶ/1966年生まれ。青山学院大学卒。94年に渡欧し、駐在員からフリーライターとなる。第二の故郷である西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会およびフットボールライター協会会員。著書に『川口能活 証』(文藝春秋)、『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリーライオンズ』、『バルサ・コンプレックス』(ソル・メディア)などがある。