J杯で謝罪騒動「申し訳ない」…J1~J3で退場歴の“悪童”は表彰式でガム噛み「世間騒がせた」【コラム】

かつて川崎でプレーをした森勇介【写真:Getty Images】
かつて川崎でプレーをした森勇介【写真:Getty Images】

「悪童」と呼ばれた森勇介にまつわる川崎時代のエピソード回顧

 去る6月26日、Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsuで行われたJ1リーグ第20節川崎フロンターレ対湘南ベルマーレ戦。この日は、マスコットキャラクターであるワルンタを主役にした「ワルナイトカーニバル」と銘打ったイベントが開催されていた。その試合前のステージ企画として「元“悪(ワル)童”森勇介、U等々力凱旋!!井川祐輔氏とのWユースケスペシャルトークショー!!」が実施された。

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 現在はフロンターレアカデミーコーチとしてU-15生田で指導している森勇介氏と、不動産業界で活躍する井川祐輔氏。両者は今だから話せる当時の“ワルエピソード”を披露し、大いに会場を沸かせてくれた。2人の現役時代を取材している縁もあり、筆者がステージMCを担当したので、いくつかの印象的な話を紹介しよう。

 現役時代の森勇介といえば、ラフプレーの多さから「悪童」と呼ばれ、退場も数え切れなかった。J1からJ3までJリーグの全カテゴリーで退場するという不名誉記録も達成しているほどだ。

 川崎在籍時で言えば、出番なしのまま退場宣告された珍記録がある。2005年、J1第31節のセレッソ大阪戦でのことで、後半24分にベンチからの暴言により退場処分を受けた。ただ本人はいくら記憶の糸を辿っても、この出来事を覚えていないと苦笑いだった。

「でも何かやらないと、(退場には)ならないと思うので、強いことを言ったんでしょうね。ベンチなので、副審の方に言ったんだと思いますね」

 当時はVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)がない時代で、ボールのない場所でのやり合いは日常茶飯事だったのだろう。味方が受けたファウルを見逃されたのか、あるいは判定に対する不満などをベンチから強い言葉で執拗に抗議したものだと思われる。なお試合不出場での退場は中西哲生、平本一樹に次いで史上3人目だった。

 途中交代でピッチから出る際に退場処分を受けたこともある。

 2007年J1第3節の横浜FC戦でのことだ。試合は6-0で大勝しているのだが、事件が起きたのは4点リードしていた後半16分のこと。途中交代を告げられた森は、その不満からタッチラインに置いてあった給水ボトルを交代の際に蹴ってしまった。すでに警告を1枚受けていたため、2枚目の退場となってしまったのだ。森は回想する。

「選手からすると、試合に全部出たいというのがあったのでムカついて。(ピッチを)出たあとだから蹴っ飛ばしてもいいだろうと思って蹴ったら、その前に1枚もらっていたので合わせで2枚でした。次の日に関塚隆監督のところに謝りにいきましたよ。なんで交代になったのかは、ACLがあって過密日程だったから交代したと言ってました」

(左から)井川祐輔と森勇介がトークショーに登場【写真提供:川崎フロンターレ】
(左から)井川祐輔と森勇介がトークショーに登場【写真提供:川崎フロンターレ】

2009年のナビスコカップ決勝後、表彰式の問題行為が物議に

 なおこの時、森との交代要員としてタッチラインで準備していたのが井川だった。後半16分からピッチに立つはずが直前の退場によって、この交代は先送りに。結局、同35分に村上和弘と交代するまでピッチに入れなかった。井川は「待たされた記憶はありますね」と思い返し、こう笑い飛ばしていた。

「こんな話をしていいか分からないけど、リアルな話、選手は出場したら勝利給と出場給がもらえるんですよ(笑)。4-0ぐらいだったら、早く交代してくれよと思っていたら、やんちゃ坊主がこういうことをやるじゃないですか」

 退場経験の多かった選手ならではの話も聞いてみた。

 退場を宣告されるとベンチには戻れないため、選手はロッカールームで残りの時間を過ごすことになる。退場後のロッカーでの過ごし方を尋ねてみると、森は「俺はいつも泣いてましたね」と真顔で言う。だが井川から「全然泣いてませんよ。吠えてましたよ、ロッカーで」と突っ込まれるなど、絶妙な掛け合いに会場が沸いていた。

 森と井川の両者には忘れられない出来事がある。2009年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝。FC東京に敗れて準優勝に終わり、クラブ悲願である初タイトルを逃した一戦後に問題が起きた。

 表彰式で川崎の一部選手たちは悔しさを隠そうとせず、敗者としてふさわしくない振る舞いをしてしまったのだ。海外でもメダルを外す行為は日常化していたとはいえ、こうした態度に当時の鬼武健二チェアマンが激怒。世間から反感を買い、重く受け止めたクラブは準優勝賞金全額5000万円の自主返還を申し出るなどの事態に発展した。

 このイベントで森が着用していたユニフォームは、2009年ナビスコカップファイナルのものだった。この話題を避けるのも不自然だろうと思い、当時の記憶を聞いてみた。森は試合中に噛んでいたガムを口に入れたまま表彰式に参加してしまったことで強い非難を浴び、チームからは1試合の出場停止処分を下されている。苦い表情が混じりながらも、森は丁寧に述べてくれた。

「世間を騒がせましたね。本当に申し訳ない話です。勝って賑わせれば良かったですけど、負けて賑わせてしまった。それは本当に申し訳ない思いが残っています」

 井川もあの決勝戦にメンバー入りしていた1人だ。彼はチームの選手会長だったため、後日チームを代表してJリーグに謝罪している。謝罪後の会見場での光景が忘れられないという。

「あのあとが大変でした。そんなに大事になるとは思っていなくて。当時のキャプテンのヒロキさん(伊藤宏樹)と選手会長の僕で、Jリーグのある日本サッカー協会に謝りに行って来ました。そこから記者会見があると言われてて、ドアを開けたらすごい数の記者がいた。人生で初めてというぐらいのたくさんのフラッシュを浴びました」

当日行われたトークショーの様子【写真提供:川崎フロンターレ】
当日行われたトークショーの様子【写真提供:川崎フロンターレ】

準優勝賞金5000万円を社会貢献に活用→「フロンターレ算数ドリル」が普及

 クラブは準優勝賞金全額5000万円の返還を申し出ていたが、結果的には受理されず、社会貢献に活用することで合意している。その中の1つが「フロンターレ算数ドリル」の制作であり、川崎市の全小学校に配布することにつながった。森は「賞金を返納するということで算数ドリルができたので、それだけは心の救いかなと思います」と話す。

「雨降って地固まる」とまでは言わないが、この出来事がなければ、現在も続いているフロンターレ算数ドリルの普及もだいぶあとになっていただろうとも言われている。選手たちも、クラブから支払われる予定だった大会ボーナスを辞退している。選手会長だった井川も「僕の判断は間違っていなかった」と、当時の決断を懐かしんでいた。

 あれから15年が過ぎた。

 スタジアムのメインスタンドは新しくなり、プレハブだったクラブハウスも豪華になった。リーグ優勝を果たした2017年からは毎年のようにタイトルを獲得するほどに成長した。そんなクラブの現状をどう感じているのか。森は言う。

「優勝することができて、スタジアムも僕らがいた頃より大きいし、トップチームのクラブハウスも自分たちがいた頃よりかなり立派になっている。何より自分が働かせてもらっている生田の施設は、トップチームより凄い施設だと思っています。優勝すると周りの環境も変わってくるんだな。だから、優勝を目指さないといけない。いつも上を目指さないといけないんだなと思いますね」

 最後に、アカデミーコーチとしての自身の展望も語ってくれた。

「今、見ているアカデミーの子たちを1人でもプロに近づけていくように。今の年齢でできることを習得させて、1人でも多く等々力のピッチに立たせてあげたいという気持ちで指導しています」

 こうして、Wユースケスペシャルトークショーも幕を閉じた。過去の失敗を学んで、未来に生かしていく。現役時代に悪童と呼ばれた男は、すっかり指導者の顔になっていた。

(文中敬称略)

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いしかわごう

いしかわ・ごう/北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。

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