サッカーへの活動は「絶対辞めちゃ駄目」 元Jチェアマンの“金言”…家本氏、転職決断の背景【インタビュー】

元国際審判員・プロフェッショナルレフェリーの家本政明氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部】
元国際審判員・プロフェッショナルレフェリーの家本政明氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部】

【家本政明氏の転身録|後編】元Jリーグチェアマン・村井氏の熱い思いに共感、新たなキャリアへ

 スポーツ選手のように、審判員にも時が来れば“引退”の時が訪れる。Jリーグで2021年シーズンを最後に勇退した元国際審判員・プロフェッショナルレフェリーの家本政明氏は、現在新たな道に進もうとしている。サッカー界から一転、大きくキャリアチェンジを決断した背景に迫るべく、後編ではそのきっかけを与えたある人物とのエピソードにフォーカスする。(取材・構成=FOOTBALL ZONE編集部・金子拳也)

  ◇   ◇   ◇

 京都パープルサンガ(現在の京都サンガF.C.)に入社し、1996年に1級審判員に登録した家本氏は、2002年よりJリーグ審判員を務める。05年~16年は国際主審、05年からプロフェッショナルレフェリー(PR)というキャリアを持つ。

 21年シーズン限りで国内トップリーグの担当から勇退。引退後は判定検証番組などにも出演し、サッカー界へさまざまな形で関わってきた家本氏だが、23年12月18日より新たな挑戦として「株式会社フィル・カンパニー」の経営改革推進の特命部長に就任した。

 フィル・カンパニーは、「まちのスキマを『創造』で満たす」をパーパスに掲げ、空中店舗「フィル・パーク」とガレージ付賃貸住宅「プレミアムガレージハウス」など空間ソリューション事業を展開する上場企業だ。サッカーとは全く異なる世界に乗り出した家本氏は、24年3月18日付で同社の広報部の部長にも就任。2つの役職を兼任することになった。

 前Jリーグチェアマンの村井満氏が代表取締役を務める「株式会社ONGAESHI Holdings」と資本業務提携しているフィル・カンパニー。家本氏はONGAESHI Holdingsからの参画となっている。この世界に入るきっかけとなったのは、もちろん村井氏の一声だった。

「昨年の夏に、サッカー界から離れて新しい世界に挑戦しようと決意して転職活動をしていました。縁あって、とある会社でほぼ(内定が)決まっていました。そんな状況でたまたま村井さんに会う機会があって、その時に転職の話をしたところ、『一緒に仕事をしないか』と突然言われて……。『ONGAESHI HDのビジネスをこれから本格化していきたいから、そこのメンバーの1人になって、“夢を追い続ける人々が報われる社会を創る”ことと“天日干し経営”を世の中に浸透させるための手伝いをして欲しいんだ』と誘われました」

 その後、ONGAESHI Holdingsと関係性の深い「株式会社Tryfunds」の役員らと会い、「人と仕事とビジョンに感銘を受けた」という。そうして家本氏は、ほぼ内定が決定していた他社を丁重にお断りし、村井氏らとともに働く道を選んだ。

「本当に縁と、運と、タイミングだったし、人とのつながりを大切にしてきたからこそ、今に至っていると思います」

サッカー関連の個人的な仕事の継続へ…村井氏「絶対辞めちゃ駄目だ」

 晴れて新たな世界に飛び込んだ家本氏。これまでのような、サッカー界への発信はなくなってしまうのだろうか。日本のトップレフェリーとして得た知識と経験は、「コミュニケーションやマネジメントなど、今の仕事でも十分に生きている」と話す家本氏。自身のSNSを通しての判定検証や、サッカー・審判に関する講演やイベントなど、個人的に行っていたサッカー界での活動は、当初「辞めよう」と考えていたという。

 しかしこの点でも、家本氏は村井氏に「そういう活動は絶対続けたほうがいい」と助言を受けたようだ。

「レフェリーに関する発信だったりイベントに出演したりというのは、あなたにしかできないこと。1人の世界に閉じこもるのではなくて、むしろ今まで以上に発信し、活動しなさい。それがあなた自身の喜びと満足につながるし、あなたの発信を待ち望んでいる多くの人の喜びと満足にもつながるから」

 家本氏はこの言葉をもらい、「『絶対辞めちゃ駄目だ』って結構強く言われましたね。もう、村井さんがそこまで言うんだったら分かりました、という感じです(苦笑)」と、元Jリーグチェアマンの意見に素直に従っている。

「サッカー、審判界にONGAESHIがしたい」

 また、家本氏はサッカー界と一線を引いたことで、「線を引いたからこそ見えている世界もあるし、線を引いているからこそやれることも結構あります」と新たな発見もあったと明かす。そのうえで、今後自身が歩むであろう“未来”を思い浮かべた。

「僕はサッカー、審判界にはすごくお世話になりました。これからも何らかの形でクラブも含め関わっていきたいですね。村井さんが(ONGAESHI HDで)掲げているビジョンは、Jリーグ100年構想や、サッカークラブの存在意義と価値にもつながっている部分があります。僕は村井さんや丹野さん(Tryfunds社長)の思いに共感して今一緒に働いています。もちろん、直接携わっているフィル・カンパニーが掲げるパーパスやビジョンにも強く共感しています。サッカー界から離れたとはいえ、サッカーは好きですし、スポーツも素晴らしいと思っています。なので、今後も何らかの形で関わるでしょうし、かつての仲間と一緒に仕事をすることもあると思います」

“縁”が生んだ家本氏の新たな挑戦。現役時代から「サッカー界とか審判界とか、限られた小さな世界だけではなくて、もっと多くの人と関わり、業界の垣根を超えた世界で生きていきたい」と幅広いネットワークを持つことへこだわり続けてきた家本氏は、「目の前の困っている人を大切にしてきたからこそ、自分が苦しんでいる時に誰かが助けてくれた、あるいはつないでくれたのでしょうね」と、自信を持って答える。

「一つの道を極めることは、もちろん素晴らしい。だけど、そこに至るプロセスは1つにこだわるのではなく、いろいろなことに挑戦したり学んだりすることでより質が高まるし、ネットワークも広がる。毛利元就の『三ツ矢の訓』じゃないけど、1本よりも3本の方が絶対に自分の人生を豊かにしてくれるし、強固にしてくれる。僕はこれからも挑戦し続けますよ」

 長年Jリーグを支えてきた家本氏の人生“第2章”は、村井氏の一言から始まった。高揚する自身を奮い立たせ、1人の元サッカー審判員が新たな道を見据えている。

(FOOTBALL ZONE編集部・金子拳也 / Kenya Kaneko)



page 1/1

家本政明

いえもと・まさあき/1973年生まれ、広島県出身。同志社大学卒業後の96年にJリーグの京都パープルサンガ(現京都)に入社し、運営業務にも携わり、1級審判員を取得。2002年からJ2、04年からJ1で主審を務め、05年から日本サッカー協会のスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー)となった。10年に日本人初の英国ウェンブリー・スタジアムで試合を担当。J1通算338試合、J2通算176試合、J3通算2試合、リーグカップ通算62試合を担当。主審として国際試合100試合以上、Jリーグは歴代最多の516試合を担当。21年12月4日に行われたJ1第38節の横浜FM対川崎戦で勇退し、現在サッカーの魅力向上のため幅広く活動を行っている。

今、あなたにオススメ

トレンド