英国で広がるサッカーの地域振興策 老若男女に門戸…健康づくりに一役買う“空き店舗”活用【現地発コラム】
サッカーを通じ市民の健康づくりを支える「フットボール・フィエスタ」
フットボールの力――そんな言葉がイングランドから聞こえてくれば、プレミアリーグの“収益力”を連想する人もいるだろう。しかし、同国の庶民として強く感じるのは、そのプレミアをピラミッドの頂点に持つ国内サッカー界を支える「底辺の力」だ。
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ここは、「プレミアの開催国」である以前に「サッカーの母国」。庶民の文化、さらには日常の一部とまで位置付けられるサッカーには、老若男女を問わず人々の心を引きつける強烈な力がある。
その「力」が有効に活用されている一例が「フットボール・フィエスタ」だ。創立者のグラント・ホラン氏曰く「社会的良心を携えた営利事業」であり、サッカーを通じ地域の活性化と地元民の健康づくりにつながるビジネスを展開している。
パンデミックから4年、計3回のロックダウンを経験したイングランドには、いまだ経済的な傷跡が見られる。筆者が住む西ロンドンの地元商店街でも、ブティックやコーヒーショップだった店舗が空いたまま。この年明け3か月間にも、銀行の支店閉鎖でビル2件が空き家となった。
こうした見た目にも虚しく寂しいスペースを、「フットボール・フィエスタ」は人々の笑顔で埋める。簡単に言えば、試合当日のスタジアム周辺に設けられるファンパークが街なかに現れたようなもの。ただし、凄まじい人混みや、サッカーの上手い下手を気にする必要はない。ボールを扱うゲームをするにしても、体育の授業以外ではボールを蹴ったことがない人でも、それこそ運動神経に自信のない人でも、堂々と楽しむことのできる空間だ。
その意味では、日本の観光地や遊園地で見かけるパターゴルフのサッカー版と表現してもいい。極めてシンプルだが、ついつい家族や友人たちと夢中になってしまう。英国では「クレイジーゴルフ」と呼ばれるのだが、「胸を張って“クレイジーフットボール”と呼ばれたい」と言うホラン氏を訪ねたのは、1月上旬のことだった。
場所はワトフォード。一昨季はプレミアにいたクラブのお膝元は、ロンドン中心部から北西に25キロほど離れた人口10万人強の町だ。「フットボール・フィエスタ」に協力している友人がアレンジしてくれた訪問で、ほかにウクライナ救済に関わっている女性と、ロンドン北部で牧師としてコミュニティー活動に携わる男性も一緒。その2人を最寄り駅の外で待つ間、友人からオープニング式典には元ワトフォードFWのルーサー・ブリセット氏が出席してくれたという話を聞いていると、見知らぬ女性がこちらを向いて、「いいストライカーだったわよね」と言いながら通り過ぎていった。
サッカーにまつわるゲームが全部で26種類、毎月1つ入れ替わる工夫も
「フットボール・フィエスタ・ワトフォード」は、駅から歩いて数分の商店街にある。ビューティーサロンとカフェに挟まれた外観からは、地下にそんな空間が広がっているとは思えない。入口のドアを開けると、受付け横の壁には、頭でリフティングをする女子選手や、車椅子に座ってボールを蹴る選手をかたどったイラスト。会場としては通算4件目で、ほかの3か所と同様に最初はポップアップの形態で始まったのだと、ホラン氏が説明してくれた。
「2年前の開設当初は、期間限定で近くのショッピングセンターの中にあってね。まだ移って日が浅いこの常設サイトには、ゲームが全部で26種類。毎月、少なくとも1つは入れ替えるようにしている。時間制で、1回にできるのは8種類ぐらいだろうから、みんな、やったことのないゲームやお気に入りのゲームをやりに戻ってきてくれるよ。ゲームとゲームの間の移動を含めれば、1時間で1マイル(約1.6キロ)ほど歩いたことになるから、ボールを蹴って遊びながら、結構いい運動にもなる」
料金は、大人でも12.5ポンド(約2400円)で児童はその半額程度。コーヒーとサンドイッチだけで10ポンド(約1900円)前後になる国だけに、決して高くはない。平日開店直後の午後2時過ぎに訪問したのだが、すでにフェルト製のボールをベルクロ付きの標的に向かって蹴る「フットボール・ダーツ」や、ボールを当ててパネルのライトを消す「ターゲット・アタック」で遊んでいる子供がいた。
ホラン氏が「私のお気に位入り」と言って手本を見せてくれたのは、路地裏風の背景が描かれている「アーバン・ゾーン」にあるゲーム。窓のある2階の壁に向かって、1から17までポイントが表示されているスロープの下から上にボールを蹴るのだが、途中でボールが台から落ちずに戻ってきて初めて、到達点のポイントが与えられる。
各ポイント表示の横には、2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」にある17個のゴール。この日の彼のように、ボールが坂の半分あたりから戻ってきたとすれば、子供にとっては7ポイント獲得とともに、「エネルギーをみんなに。そしてクリーンに」という7番目の国際目標も記憶に残ることだろう。
隣に設置されていた「ロンゲスト・パス」も、ゴールとなる穴の手前にボールが通るぐらいのスタンドが一直線に並んでいるだけなのだが、やってみるとなかなか難しい。だが、大人も真剣になると言えば、ゴール上隅にタイヤがぶら下がっている「トップ・タイヤ」。カーブをかけて左上隅を狙ったつもりだった筆者の左足キックは、タイヤのはるか手前で急降下してしまった。ちなみに、こうしたゲームのコースや設備は、極力、廃材を再利用して作られているのだそうだ。
サッカーに真剣な子供たちは、ドリブルやキックが磨かれるゲームがセットになっている「スキルズ・アカデミー」に挑戦することもできる。成績はデータとして専用アプリで参照でき、他会場のユーザと比較してモチベーションを高めることも可能だ。そのeスポーツ版も用意されている。地元クラブとの提携が実現すれば、人気選手とバーチャルで対峙する「シャドー・ランナー」もゲームのラインナップに加えられる。
フリースタイルのワールドクラスを起用した映像を使った「フットボール・フィット」は、すでに実施されている。親子一緒に楽しめるフィットネスクラスのようなものだが、裏庭でボールを蹴る姿さえ見たことのないようなママさんが、家族一の足捌きを披露することもあるらしい。
アップデートが進む会場…年内に3か所が新設予定
ホラン氏によれば、常設のカーディフ(英国南西部)会場で現在の利用者の男女比は6対4。とはいえ中には、「偏見や先入観の目を気にせずにボールを蹴れるなんて最高」との名台詞を残してくれた女性客もいたという。
シュートの速度を競う「スピード・ケージ」のようなゲームでは男子のキック力が物を言うのだろうが、バランス感覚が重要な「バロンドール」ならぬ「バランスドール」などでは、女子が高いスコアを記録することも珍しくない。ワトフォードのスタッフからは、「ミニ・ピッチ」で男子対女子の2対2を始めた子供たちが、劣勢に立たされた男子側のリクエストで、途中から男女ペア同士の2対2を始めたとのエピソードを聞いた。
ワトフォードの会場内は、カフェとVIPルームの工事中だった。完成すれば、子連れで商店街に買い物に来た母親や孫と散歩に出たお爺さんが、子供を遊ばせながら屋内で一息つける空間になるだろう。サッカーの好きな子供たちにとっては、そのサッカーをテーマとした誕生日パーティーを開いてもらえるようにもなる。
景気の減速が続く国内では、各地方政府が地域再活性化の手段を探し求めてもいる。ホラン氏が掲げる「新規3会場」という年内目標は、十分に達成可能だろう。幼児から大人まで、時には一緒に身体を動かしながら楽しく遊べる街中の空間など、ほかにあるだろうか?
「フットボール・フィエスタ」が、それほどユニークで魅力的な存在である最大の理由を尋ねると、創立者からはずばり「フットボール」との答えが返ってきた。それだけの力が、サッカーにはあるのである。
(山中 忍 / Shinobu Yamanaka)
山中 忍
やまなか・しのぶ/1966年生まれ。青山学院大学卒。94年に渡欧し、駐在員からフリーライターとなる。第二の故郷である西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会およびフットボールライター協会会員。著書に『川口能活 証』(文藝春秋)、『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリーライオンズ』、『バルサ・コンプレックス』(ソル・メディア)などがある。