J1強豪なのに「あれ?クラブハウスない」 大物選手が川崎入り→「プレハブ施設」目撃で困惑【コラム】
川崎“名物”と愛された旧クラブハウスの秘話を紐解く
サッカークラブに歴史があるように、クラブハウスにも歴史がある。語り甲斐がある歴史を持つクラブハウスといえば、川崎フロンターレだろう。
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練習場のある麻生グラウンドに現在のクラブハウスが完成したのは、ちょうど8年前、2016年2月のことだ。
広々としたロッカールーム、ジェットバス付きの大きなお風呂、木の香りが漂うリラックスルームなど2階建ての豪華な施設が完成。その年からチームは再び優勝争いを演じ、翌年には初タイトルを獲得した。19年には食堂も併設されるなど環境面は大きく整いつつある。
川崎は近年、毎年のようにタイトルを獲得。J屈指の強豪クラブへ成長した。その背景にはピッチ上での取り組みはもちろん、ハード面が改善された影響もあるだろう。充実した環境はクラブ発展へ欠かせない要素だ。昨年にはアカデミーの活動拠点となる「Ankerフロンタウン生田」が完成。下部組織の施設も日本トップクラスになった。
ただ一夜にして、こうした環境に辿り着いたわけではもちろんない。
1999年から長らく過ごしていた旧クラブハウスは、平屋のプレハブ建築による施設だった。J1強豪クラブの施設とは思えないコンパクトな作りだったため、初タイトルを獲得すべく意気込んで移籍して来た選手たちが戸惑うこともしばしばだった。
例えば2010年に欧州から移籍してきた元日本代表の稲本潤一は、施設を目の前にして「ところで、クラブハウスはどこですか?」とクラブスタッフに尋ねたという逸話がある。同じく日本代表歴を持ち、13年に初めて練習場に車で訪れた大久保嘉人も「あれ? クラブハウスが見当たらない……」と敷地内で困惑したと明かしている。
ほかにも、クラブ公式Q&Aの「麻生のクラブハウスについて」の項目では、「ロッカーが狭い」「年季入っていい感じ」などと回答する選手がいるなか、小宮山尊信が「頑張れば壊せそう」と回答し、名言(珍言)としてサポーターの間で語り継がれている。「プレハブ」という愛称で長く親しまれ、何かとネタにされやすい名物クラブハウスだった。
もっとも、このプレハブは「狭いながらも楽しい我が家」でもあった。
川崎に移籍してきた選手はよく「フロンターレの選手たちは仲がいい」と驚くのだが、その一因となっているのが、当時のロッカールームの狭さと形状にあったとも言われている。選手全員が向かい合うような形になっており、その狭さから自然とみなが顔を合わせ、選手同士の会話も生まれ、一体感も生まれやすいというわけだ。フロンターレらしさを生む空間にもなっていたのである。
「最後に帰りたかったんですよね」中村憲剛がプレハブ最終日に語った言葉
このロッカールームの形状は、現在のクラブハウスが建設される際にも選手側から継続して欲しいというリクエストが出たほどだった。2.5倍ほど広くなったが、ロッカールームの形状自体はそのまま再現されている。
個人的には、プレハブ最終日となった時の取材が思い出深い。
練習後の治療を終えて最後に帰っていく選手が中村憲剛だった。彼は「最後に帰りたかったんですよね」とポツリと漏らし、色々と話してくれたのを覚えている。
川崎でプロになって当時14年目。13年間、選手としての日常を過ごしてきたのが、あのプレハブと呼ばれたクラブハウスだったのである。その家がなくなることに、寂しい思いがこみ上げてきたのだろう。すぐに帰るのが名残惜しかったようで、最後の1人になってから帰ろうと思ったのだという。そしてそこで過ごした日々を感慨深げに語ってくれた。
「自分は、ここ(プレハブ)で育ったようなものですからね。22歳で入ってきて、サッカー選手として右も左も分からなかったけど、14年経っても、まだここでやらせてもらっている。その場所がなくなるのは、長く住んでいた家を引っ越すようなものですから。ロッカーには『Thank you!!』と書きました。本当に家よりも長くいたんじゃないかな(笑)」
現在は取り壊されており、プレハブの跡形は残っていない。旧クラブハウスで過ごした在籍選手たちも少なくなってきた。どこか寂しい気もするが、これもまた歴史なのだろうと思う。
旧クラブハウスのさらに前の時代となると、選手たちは南多摩のグラウンドで練習を行い、完成直前は扇島(川崎市)で練習していた。現在監督を務めている鬼木達や今年から福島ユナイテッドFCで指揮を執っている寺田周平が選手時代、いわゆるクラブ黎明期である。
鬼木監督は当時のことを「もう誰も知らないんじゃないかな」と笑い、筋トレルームがガレージにあったことなど、今では想像がつかない練習環境を懐かしそうに話してくれたことがある。
旧クラブハウスができた99年に入団した寺田監督は「扇島では大きい部屋があって、適当に着替えるだけ。麻生にクラブハウスができて、ロッカーで着替え、シャワーやお風呂もある。学生からプロになったから何も不満はなかったですね」と回想。これはこれで古き良き時代であり、こうした過去があって現在がある。
クラブに歴史あり。クラブハウスにも歴史あり。三笘薫、守田英正、板倉滉、田中碧、谷口彰悟、旗手怜央……現在海外クラブで活躍する日本代表選手たちがプロ加入当初に日常を過ごしていた川崎のクラブハウスには、こうした歴史があったことを知ってもらえれば幸いである。(文中敬称略)
(いしかわごう / Go Ishikawa)
いしかわごう
いしかわ・ごう/北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。