「あの重みを忘れたことはない」 岩渕真奈、なでしこジャパンで涙の大転換期 “最も厳しい選択”で3年間背負った想い【コラム】

レジェンド澤穂希(左)から大きな影響を受けたと語る岩渕真奈(右)。「やっぱり澤さんの存在が大きかった」【写真:早草紀子】
レジェンド澤穂希(左)から大きな影響を受けたと語る岩渕真奈(右)。「やっぱり澤さんの存在が大きかった」【写真:早草紀子】

ロンドン五輪決勝のアメリカ戦、決め切れなかったシュート1本の重み

 なでしこジャパン(日本女子代表)で長らく活躍し、女子ワールドカップ(W杯)に3度出場したFW岩渕真奈が、9月1日に30歳で現役引退を発表した。代表で10番を背負い89試合36ゴールの成績を残したアタッカーは、日本女子サッカー史に名を刻んだ。国内外で実績を残した「ぶっちー」(岩渕の愛称)の紆余曲折に富んだキャリアを、当時のエピソードや写真とともに振り返る。(文=早草紀子/第3回)

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 岩渕真奈にとって大きな転換期となる出来事、それがロンドン五輪だった。前年のワールドカップ(W杯)を初制覇し、世界に衝撃を与えた日本は徹底的にマークされ、苦しみながらも日本サッカー史上初となる決勝の舞台に立っていた。

 対するのはまたしてもアメリカ。2点のビハインドを経て、宮間あやからスイッチした攻撃は澤穂希がゴール前で粘り、そのこぼれ球を大儀見優季(現・永里優季)が押し込んで1点を返した終盤。満を持して岩渕が投入された。それまでにも、宮間が、大儀見が、澤が何度もコースを狙い澄ましたシュートを放っても世界随一の呼び声の高いGKホープ・ソロの完璧なセービングに拒まれていた。彼女以外のGKであればスコアに結び付いていても不思議ではない精度の高いシュートが決まらない。

 この状況下、やはり彼女の元にチャンスはやってくる。岩渕とソロの対決は、シュートコースの甘さもあり、ソロが危なげなくセーブする。自ら奪ったボールを同点弾につなげることができなかったこのシーンを彼女はこの後3年間、重く心に止め続けた。のちに19歳だった当時を振り返り「オリンピックだ!っていう高揚感が大きくて、責任感なんて1ミリもなかった」と、だから「外したらどうしようって気持ちが一瞬あった」と明かした。

 男子とは違い、女子は五輪が最高峰の大会という位置づけになっている。以前は、W杯の上位チームにオリンピックの出場権が与えられていたことに由来するのだろうが、波に乗る日本が初めてこの高みまで勝ち上がってきた。過去に敗戦を繰り返してきた選手たちにとっては二度とないかもしれないメダル獲得へのチャンスだ。しかしそんな時間を知らない若手選手との間に隔たりがあったことは事実で、決勝トーナメントに入って以降、控えめに言ってもチーム内はかなりピリついていた。

胸に刻んだロンドン五輪、カナダW杯で3年分の想いを込めて叩き込んだ一撃

2012年ロンドン五輪の表彰式で悔し涙を見せた岩渕真奈【写真:早草紀子】
2012年ロンドン五輪の表彰式で悔し涙を見せた岩渕真奈【写真:早草紀子】

「1つになる」――よく耳にする言葉だが、選手間の温度を1つにすることは簡単ではない。ステップを踏まずに大舞台に乗った最年少の岩渕にとって、まだまだ未熟な自分が百戦錬磨の先輩が築くチームの一員になる術など、容易く見つけられるはずもない。失敗を繰り返しながらも一歩一歩強くなっていくしかなかった。

 そういう目線で見ると、ロンドン五輪の表彰式は興味深いものだった。悔し涙を隠せない岩渕と、「世界の2位だぞ!」(大野忍)と強気な笑顔を見せながら涙がこぼれるベテラン選手。その涙のコントラストが今も印象深く残っている。

 岩渕はこのロンドンでの場面を自分なりに理解し、あえて昇華させることなく、胸に刻み付けることを選んだ。最も厳しい選択をした。彼女の内に秘めたその重みを改めて知ることになったのが、2015年のカナダ女子W杯だった。

 思えば、この頃からすでに岩渕は怪我とともに歩んでいる。大会前の膝を負傷。それでも当時のなでしこジャパンの佐々木則夫監督は岩渕を選出した。現地入りしても続く孤独なコンディション調整。黙々と別メニューをこなすも、どんどんと大会は進んでいく。そのなかで続出する怪我人、ゴールゲッターが必須な状況下で、万全ではない岩渕は限定的にピッチに立つ状態だった。

 そして迎えたオーストラリアとの準々決勝。残り20分を切ってスコアレス。一気に勝負をつけるために岩渕がピッチに放たれた。頑丈にテーピングで固定されている痛々しい左膝。それでも怪我を思わせない仕掛けを何度も繰り出す。その瞬間は日本の強みであるセットプレーからだった。ギリギリの球際をつなぎ、最後にボールがこぼれたのは岩渕の前。ロンドンでは迷いがあった岩渕が、3年分の想いを込めて叩き込んだ。しかもこのコーナーキックは自らのシュートから得たもの。そして彼女にとってW杯初ゴールだった。

「なんか美味しいところだけいただいちゃった感じですけど(笑)。ずっと、大事な試合でチームを勝たせるゴールを決めることができなかったし、やっぱりロンドンではあの1点が入っていればゲームを振り出しに戻すことができた。あの1点の重みを忘れたことはないです。(今回は)この1点であと2試合戦える……」と感慨深い様子で語っていた。

澤穂希のお告げ「今日、ぶっちー(試合に)出たら点取るよ」

2015年カナダ女子W杯の準々決勝オーストラリア戦で待望のW杯初ゴールを決めた岩渕真奈【写真:早草紀子】
2015年カナダ女子W杯の準々決勝オーストラリア戦で待望のW杯初ゴールを決めた岩渕真奈【写真:早草紀子】

 このゴールを決める直前のベンチでの様子を当時は「澤さんと2人だけのことにしときます」と明かさなかったが、岩渕は引退会見でこの時のことを振り返っている。

 選手間では有名な澤の第六感。なかなか岩渕のゴール予想はなかったが、この試合直前、「今日、ぶっちー(試合に)出たら点取るよ」と初めて“お告げ”があった。そして予言どおりのゴール。この頃、病気治療をきっかけに澤は代表活動から離れていたことで出場機会が減っていた。怪我の回復を待つ岩渕とはベンチで隣に座り、多くの時間を共有した。

「澤さんから受けた影響はたくさんありますけど、“誰1人欠けることなく一緒に戦う”ことが大事だと思うようになったのも、やっぱり澤さんの存在が大きかった」(岩渕)

 記憶の底に封印するのではなく、あえて背負った苦い経験をこの時、岩渕は3年かけて昇華させた。このオーストラリア戦で、ようやく“なでしこジャパン”のゴールゲッターとして一歩を踏み出せたのかもしれない。

※第4回へ続く

[プロフィール]
岩渕真奈(いわぶち・まな)/1993年3月18日生まれ、東京都武蔵野市出身。2005年、日テレ・ベレーザの下部組織メニーナに加入し、07年に14歳でトップデビュー。08年にリーグ新人王を受賞し、同年のU-17女子W杯で3試合2ゴールの活躍を見せ、ベスト8敗退も大会MVPを受賞。10年に16歳でA代表初招集を受け、同年2月6日の中国戦でデビュー。12年11月にホッフェンハイム、14年5月にバイエルン・ミュンヘンへ移籍。負傷が続いたなか、17年6月にINAC神戸レオネッサ移籍で国内復帰し、20年12月にアストン・ビラ、21年5月にアーセナル、23年1月にトッテナムへ移籍し、23年9月に引退を発表。2011年のドイツW杯はチーム最年少18歳で招集され、決勝のアメリカ戦も途中出場で優勝に貢献。15年のカナダW杯(準優勝)、19年のフランスW杯(ベスト16)でプレー。12年のロンドン五輪(銀メダル)、21年の東京五輪(ベスト8)にも出場した。

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早草紀子

はやくさ・のりこ/兵庫県神戸市生まれ。東京工芸短大写真技術科卒業。在学中のJリーグ元年からサポーターズマガジンでサッカーを撮り始め、1994年よりフリーランスとしてサッカー専門誌などへ寄稿。96年から日本女子サッカーリーグのオフィシャルフォトグラファーとなり、女子サッカー報道の先駆者として執筆など幅広く活動する。2005年からは大宮アルディージャのオフィシャルフォトグラファーも務めている。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。

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