三笘薫は「ダンスが上手い」「家系ラーメンをよく食べた」 川崎アカデミー同期が明かす“素の側面”

川崎アカデミー時代の三笘薫【写真:かんち】
川崎アカデミー時代の三笘薫【写真:かんち】

【インタビュー後編】瀬川ヤーシャさんに訊く三笘薫の素顔

 イングランド1部ブライトンでブレイクした三笘薫は、2020年の川崎フロンターレ入りから瞬く間に成長を遂げ、現在は日本トップクラスの選手としてその名を轟かせている。そんな25歳の人物像に迫るべく、川崎アカデミー(ジュニア~ユース)で共闘した瀬川ヤーシャさん(以下、ヤーシャ)に話を訊いた。8年におよぶ付き合いになるヤーシャの目に、三笘の姿はどう映っているのだろうか。(取材・文=江藤高志)

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 川崎ユース在籍時の三笘はトップ昇格の打診を断って筑波大学への進学を選択した。この決断の背景を、ヤーシャはこう振り返る。

「相談とかは特になかったです。ただ、トップ昇格の話があるということはなんとなく知ってました。末長(クラブ本社の所在地名)の事務所にこっそり呼ばれるみたいなんですが、結局そういう話ってこっちまで回ってくるんですよね。

 僕らから聞いたんですよね、『どうするの?』って。そしたら『いや、ちょっと。自信ない、じゃないけど、このまま行っても無理だよ』って。『じゃあ、どうすんの?』と聞くと『筑波からの話があって』と。カオルはそういう話は全然してくれましたよ」

 三笘がトップ昇格をためらった理由の1つとして1学年上の三好康児(現アントワープ)がトップ昇格後、なかなか出番を掴めなかったことがあったと仄聞している。ただしヤーシャは、その話を否定する。

「康児くんは、膝の怪我明けでトップへ上がったんですよね。だから出番が限られていても不思議ではなかったと思います。でも、僕らにとって康児くんは身近な存在で、出番が少ないことについて、カオルは考えるところがあったのかもしれません。でも、当時相談されるようなことはなかったですね。あと、カオルは頑固なので、結局何を言ったとしても『いやー(笑)』ってなっていたと思います(笑)」

 筑波大で4年を過ごした三笘は、2020年に古巣の川崎入り。ルーキーイヤーながらJ1リーグで13ゴールを叩き出す活躍を遂げた。さらに、新型コロナ感染拡大により大会開幕が1年遅れた東京五輪ではメンバー入り。「本当に入ってほしいと思ってたなかで選ばれて。率直に嬉しくてすぐにLINEをしました」と、ヤーシャは素直に喜んだ。

 東京五輪が行われた2021年にはA代表デビューも果たし、翌年のカタール・ワールドカップ(W杯)の日本代表メンバー入り。グループリーグのスペイン戦では幼馴染である田中碧の逆転ゴールをアシストする活躍も見せた。一方、決勝トーナメント1回戦のクロアチア戦では延長戦後のPK戦でキックをセーブされ、涙をのむことに。ヤーシャはユース時代のラストマッチでもPKを外していたと振り返る。

「最終戦の山梨学院大学付属高校戦(現・山梨学院高)でPKを止められてました。僕は大学の入学試験があって映像で見ただけなんですが……。でもW杯のあの舞台で蹴りに行ったのは成長だと思います。ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズに行った時に、カオルに言ったんです。『何があってもお前がPK取ったら、絶対お前PK、蹴れよ』って。そしたら『いや、それはまず、馴染んでから(笑)』って(笑)。

『そういうの関係ないから、行けよ』って言ったんですけどね。結果大事だぞって言ったんですが、それに対して『分かってるって』って言ってました。プロになってからはPK蹴るのは初めてじゃないですかね。フロンターレ時代は蹴ってないですし。し、1年目の大卒ルーキーの得点記録がかかってた時に、(小林)悠さんが『PKがあったら譲ろうかなと思ってた』って言ってましたね」

川崎アカデミー時代の三笘と共闘した瀬川ヤーシャさん【写真:江藤高志】
川崎アカデミー時代の三笘と共闘した瀬川ヤーシャさん【写真:江藤高志】

「真面目なイメージってあると思いますが、素は全然そんなことなくて…」

 三笘とは8年におよぶ付き合いになるヤーシャは、メディア上で見せる三笘とは違う、素の一面を見てきたという。

「今でこそカオルの真面目なイメージってあると思いますが、素のカオルは全然そんなことなくて歌を歌うし、ちょっと抜けてて。ブライトンの試合日、スタジアムに入る際にイヤホンのケーブルがぐちゃぐちゃに絡まっていて話題になってましたけど、昔から知ってる立場から言わせてもらうとそれが素なんですよね。

 例えば、ブレザーの制服を着てる時、前から見るとちゃんとしてるんですが、背中からシャツが出ていたり、ボタンがズレていたり、ネクタイが曲がっていたり。カオルは本当にどこか抜けてましたよ。フロンターレのプロフィール写真を見ても分かりますが、寝癖で来ちゃったり(笑)。インタビューの時の早口のカオルは、そっちのモードになってるだけで、普段はおっとりしてますね。

 あとカオルって、今でこそ食事面に気を配ってるという話を最近よく聞きますけど、中3から高1ぐらいの頃、練習や試合終わりのラーメンっていうのが流行って家系ラーメンをよく食べてましたね。開店前に待っていると店員さんがチャーシューのトッピングを無料にしてくれたりとか、海苔をおまけしてくれたりすることがあったんですよ。

 食べ方に関しては、リスですからね(笑)。口に含んで、ずっとモグモグって感じで。ずっと飲み込まずにどんどん入れるんですよ。今は変わっているかもしれないですけど、詰め込み過ぎていたイメージがあります(笑)」

 ヤーシャは、今でも三笘と頻繁に連絡を取り合っているという。その中で今、ゴールパフォーマンスを2人で考案していることも明かしてくれた。

「一緒にゴールパフォーマンスを考えてるんですよね。あいつ膝で滑るかチームメイトに抱きついて膝を入れるかで面白くないんですよね。ちなみに僕が全小で先制点を決めた時の話ですけど、ベンチに走ろうと思っていたらカオルがうしろから来て『滑れ滑れ滑れ』って言われて滑りました(笑)」

 その頃から膝で滑るパフォーマンスが続いていると言えるのかもしれないが、ヤーシャによると三笘はリズム感がありダンスも上手いとのことだ。ちなみに三笘はゴールパフォーマンスについては状況に応じて使い分けているのは付記しておきたい。得点してもビハインドの状況だったり、同点ゴールでは喜ばない。一方で先制ゴールや追加点などでは時間を使い派手に喜んでいる。

「リズム感もあるし、ダンスが上手いので、有名選手の決めポーズ的なやつができないか考えてるんですよね。できたら動画で送ってやってもらおうと思っているので、楽しみにしててください」

(文中敬称略)

[プロフィール]
瀬川ヤーシャ/1997年8月16日テヘラン生まれ。3歳頃日本に。川崎U-10を皮切りにU-18まで在籍。同級生の三笘薫や、一学年上の板倉滉、一学年下の田中碧などとともにアカデミーで育つ。名古屋経済大学を卒業した後、現在は双子の弟と事業を立ち上げて活動中。

(江藤高志 / Takashi Eto)



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江藤高志

えとう・たかし/大分県出身。サッカーライター特異地の中津市に生まれ育つ。1999年のコパ・アメリカ、パラグアイ大会観戦を機にサッカーライターに転身。当時、大分トリニータを率いていた石崎信弘氏の新天地である川崎フロンターレの取材を2001年のシーズン途中から開始した。その後、04年にJ’s GOALの川崎担当記者に就任。15年からはフロンターレ専門Webマガジンの『川崎フットボールアディクト』を開設し、編集長として運営を続けている。

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