【W杯】実は“レアケース”な「最高に輝く瞬間」の撮影 日本×スペインでフレームに収められた訳とは?
サッカー専用スタジアムでないがゆえにあったスタンドとの距離が生んだ撮影チャンス
カタール・ワールドカップ(W杯)も最終盤となり、ここまで数々のドラマが生まれ世界中の人々に感動を与えてきた。日本代表は初のベスト8の壁は突破できなかったが、グループリーグでドイツ代表とスペイン代表を撃破する殊勲の勝利を挙げた。
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ここまで取材をこなしてきて、今振り返ると日本対スペイン戦は撮影する立場において、なかなかのレアケースだったと思う。
日本に限らずどの国も多くの場合で、勝利をすれば試合後にサポーターの声援に応えるためスタンドへと駆け寄る。そして、選手たちは破格の笑顔を作り、思いを届かせようと手を力いっぱい振り、ガッツポーズをして大音響で歌を合唱する。当然、無敵艦隊と謳われるスペインを破った日本も歓喜の輪に包まれる。
日本対スペインが行われたハリファ国際スタジアムは、大会に合わせて唯一新設されなかった会場だ。1976年に建設され2006年にアジア競技大会も行われた伝統のあるスタジアムで17年に大規模な改修によって今に至る。
試合ではピッチの周囲は人工芝が敷かれていたがトラックがあった。スペインに勝利した日本の選手たちは、初めはゴール裏にある広告看板のところでサポーターの声援に応えていたが、最後はスタンドとの距離を埋めようとサポーターの元へ駆け寄った。
ほかのスタジアムはこの距離がないため、選手たちがピッチを飛び出すことはあまりない。カメラマンたちもこのチャンスに選手へとレンズを向けた。ここで見せた選手たちの笑顔は大会を通して日本が最も輝いた時であり、ほかではないシチュエーションでサムライブルーを撮影することができた試合だった。
(FOOTBALL ZONE特派・徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)
FOOTBALL ZONE特派・徳原隆元 / Takamoto Tokuhara
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。