約5000分の2となる異色の転身 30歳で引退→審判へ、セカンドキャリアで目指すサッカー界の普及と強化

Jリーガーからレフェリーへ転身した御厨貴文【写真:Getty Images】
Jリーガーからレフェリーへ転身した御厨貴文【写真:Getty Images】

【元プロサッカー選手の転身録】御厨貴文(元甲府、草津、富山)後編:プロフェッショナルレフェリーの名木氏の言葉に感銘

 世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。(取材・文=河合拓)

 今回の「転身録」は、ヴァンフォーレ甲府、ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)、カターレ富山を渡り歩き、J2で通算159試合に出場したのち、審判員としてJリーグの舞台に戻ってきた御厨貴文(38歳)だ。スピード豊かなDFとして活躍。まだ現役を続行できる状態で、審判員としてのセカンドキャリアを踏み出した。現役時代以上に、サッカー界の普及と強化を意識するようになったという御厨が、敗れたチームの試合後の姿を重視している理由を語った。

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 プロサッカー選手は、子供たちにとって憧れの職業だ。サッカーの才能に恵まれていたとしても、それだけでプロサッカー選手になれるわけではない。所属クラブと契約が残っている間はもちろん、翌シーズンのオファーをもらえる状況であれば、プロサッカー選手という仕事を続けるという人がほとんどだろう。

 だが、御厨貴文は違った。経験がものをいうDFというポジションで、30歳でプレーしている選手は珍しくない。だが、クラブと契約を残している状態で、選手としてのキャリアに幕を引くことを決めた。

「今はチーム数やカテゴリーが増えて、選手の引退平均年齢は31歳になっていますが、数年前までは26、27歳でした。僕の寿命が30歳までなら、プロサッカー選手しか考えなかったでしょうが、70歳まで働くと考えると、まだ40年間あります。生活をしていく手段を、サッカー選手から別のものに変えないといけない時が必ず来るなと思っていました」

 20代後半の頃、御厨はサッカー界にとどまらず、大学時代や高校時代の同級生、教授や経営者、営業マンに会って話を聞き、自身の引退後のセカンドキャリアについて考え始めていた。その中の1人に、日本サッカー協会(JFA)のプロフェッショナルレフェリーでもある名木利幸がいた。

 負傷した際、リハビリを行っていた場所で偶然にも名木と接点があった御厨は、プロの審判員がどういうものなのか、どうしたらなれるかなどの話を聞いた。それまでも、さまざまな仕事をしている人たちに話を聞いていたが、名木の話を聞き、「これから自分が目指す価値のある職業じゃないかと思って、引退を決めました」と、プレーを辞める決意を固め、2014年に現役を引退した。

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