【名将秘話】名古屋“ピクシー”政権の伝説的手腕 闘莉王も「ミスターが好き」と溺愛…“超”個性派集団をいかに操ったのか

ストイコビッチ監督の技術に惚れ惚れ…名古屋加入を決断した逸話も

 面白かったのはデモンストレーションだ。日産スタジアムで見せた伝説の革靴シュートに代表される、“監督が一番上手い”と思わせる技巧の数々は、もちろん練習の場でも数々披露されている。例えばサイドチェンジからのクロスシュートの説明で、サイドチェンジパスをピタリと止めてしまう。

 監督は「こういう形で」と見せているだけなのだが、見ている報道陣も、あるいは選手たちも、「そんなきれいにできないよ」という表情を浮かべたものだ。2011年に大卒で加入したFW永井謙佑は練習参加の際、空いた時間に遊びでやっていたストイコビッチ監督のボレーシュートの技術の高さに惚れ惚れし、名古屋への加入を決めたという逸話も残っている。

 試合中もタッチライン際に飛んでくるボールには必ず反応し、美しいトラップを見せることは日常茶飯事。ちなみに例の革靴シュートだが、そのシーズンオフにチェルシーの練習場を訪れたストイコビッチ監督が、チェルシーの選手たちの質問攻めにあったというエピソードも付け加えておこう。

 つまり、ストイコビッチ監督は世界的名選手であったことを余すことなく自分の武器として使い、個性派集団をまとめ上げたわけだ。おそらくは現在指揮を執っているセルビア代表でも、同じようなことが起きているのではないだろうか。

 選手たちも、自分より上手い選手、すごい選手の言葉は無条件に聞いてしまうもので、ストイコビッチという選手はほぼ世界中のサッカー選手に耳を傾けさせてしまう才能と実績を持っていた。築き上げたカリスマと、その能力の生かし方。その点において名古屋時代のストイコビッチ監督というのは、実に上手くチームをまとめ上げていた指揮官だったと言えるだろう。
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(今井雄一朗 / Yuichiro Imai)



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今井雄一朗

いまい・ゆういちろう/1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。Jリーグの名古屋グランパスや愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする。現在はタグマ!にて『赤鯱新報』(名古屋グランパス応援メディア)を運営し、”現場発”の情報を元にしたコンテンツを届けている。

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