「浦和の看板」背負いたくない 見知らぬ土地で再出発、元J戦士が描く第2の人生とは

見知らぬ土地で整骨院開業、「レッズの看板を使ったと思われるのが嫌」

 そうして09年5月25日、埼玉県蕨市に『わらびFit整骨院』を開業。松田は「縁もゆかりもない土地ですが、元サッカー選手という肩書きを使わず、どこまで信頼を勝ち取れるのか勝負したかった」と説明し、「レッズの看板を使ったと思われるのが嫌なので、初めから浦和は外しました」と、こんな男気も見せていた。

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 近所の小・中学生や高校生が訪れ、その口コミで業務は多忙になった。だんだんと社会人のアスリートが通院すると、またその口コミで患者が増えていった。一般の主婦や高齢者など、スポーツ選手以外の患者も多数来院する。

 浦和レッズなどで活躍し、日本代表にも招集されたGK山岸範宏は10年にわたり、シーズンオフとリーグ中断期間の自主練習で指導を受けた。現在JFAアカデミー福島U-18GKコーチの山岸さんは、「体幹などの体づくりがメインで、松田さんと私が提案したメニューをすり合わせてトレーニングしました。人としての魅力を感じたので長いお付き合いができた」と述べるなど、トップ選手からの信頼も厚かったのだ。

 JリーグFC東京の紺野和也をはじめ、原口翔太郎(東京ヴェルディBS)や後藤崇介(FC琉球BS)らビーチサッカー日本代表のほか、来年度のカヌースラロームU23日本代表Aに選ばれた岡崎遥海(至誠館大学)、陸上男子走り高跳びで2メートル22のジュニア室内日本記録保持者、中澤優も指導した。

 治療やトレーナー活動以外にも、Jリーガーがシーズン前の練習に訪れた際、近隣の中学生らを招いてサッカー教室を実施。地域貢献が認められ、19年3月1日から蕨市スポーツ推進審議会委員に委嘱された。

「患者さんの立場になり、自分は治療に専念することしか考えていません」

 柔道整復師としての松田は、ずっとこの信念を貫いてきた。

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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