イタリア代表を救った感覚派の点取り屋 “黄金の子”ロッシ、1982年W杯「覚醒の記憶」

ブラジル戦のハットトリックで突如として目覚める

 ベアルツォット監督ですら「十中八九は負ける」と言っていた相手に勝てたのは、守備の健闘がまずあった。といっても2点取られているのだが、それだけブラジルの攻撃力が強烈だったのだ。マラドーナを完封したジェンティーレがジーコをマンツーマンでマークしたほかは、ゾーンに入ってきた相手を捕まえるやり方。当時のイタリアにしては珍しい。ブラジルの攻撃が流動的なので、マンマークにするとむしろ危ないという計算だろう。実際、そのとおりだったと思う。

 ジェンティーレ以外をゾーン気味にしたことで、左SBのカブリーニが“浮いた”。ブラジルは右ウイングを置かず、右寄りにはジーコがいたが、そこはジェンティーレがマークするのでカブリーニが余る格好になっていたわけだ。これがイタリアの先制点につながっている。

 攻め上がったカブリーニからのクロスをロッシがヘディングで決めた。この1点で突然エースが目覚めた。ブラジルに1点を返されるが、トニーニョ・セレーゾのミスパスをカットして2点目。さらにファルカンの同点ゴールの後、試合を決める3点目をCKのこぼれ球を拾ってゲットした。守備の頑張りもあったが、ロッシの覚醒で奇跡的に勝った試合と言っていいだろう。

 準決勝のポーランド戦で2ゴール、決勝の西ドイツ戦も先制点。終わってみれば大会得点王になっていた。その後、ユベントスでも活躍して多くのタイトルを手にしたが、チームのスターはミシェル・プラティニ。ロッシが輝いたのは、やはり1982年W杯である。

 細身で背も高いほうではないが、ポジショニングとタイミングでゴールを重ねる感覚派の点取り屋だった。1994年アメリカW杯でも、序盤に不調だったロベルト・バッジョが復活して決勝進出の立役者になっている。イタリアはなぜか逆境から這い上がるヒーローがいると強い。2006年に優勝した時は特定のヒーローはいなかったが、カルチョ・ポリ事件があってチーム自体が逆境だった。なかでもパオロ・ロッシはどん底から頂点へ一気に駆け上がった稀有なケースで、まさに「黄金の子」だった。

page1 page2 page3

西部謙司

にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング