コロンビアでバルデラマと“共演”した日本人DF 中南米を渡り歩いた波瀾万丈のキャリア

コスタリカのリーグでプレーする山中【写真:本人提供】
コスタリカのリーグでプレーする山中【写真:本人提供】

中米コスタリカで得た充実感、2部クラブと正式契約

 それでも、山中はドミニカ共和国のサッカーの将来に期待している。同国のサッカーは、身体能力の高さを前面に押し出したサッカー。足下の技術はなく、つなぐよりも蹴るサッカーだという。野球大国でサッカーの人気は低いが、協会が南米各国から各チームにコーチを派遣するなど、サッカーの発展に向けて力を入れているといい、山中は「ドミニカ人は技術の無さを身体能力で補っている。黒人選手が多く、ガッチリしていて横にもゴツく、身体能力が高いので、良い指導者がいれば何十年後かにはワールドカップにも出場できると思う」と予想する。

 リーグ期間途中でチームを離れることになった山中は、ドミニカ共和国の移籍市場がすでに閉まっていたこともあり、いったん日本に帰国後、ドミニカ共和国よりもレベルの高いほかの国で新天地を探すことを決意した。

 そして見つけたのが中米コスタリカだった。

 ダメ元で1部のウニベルシダ・デ・コスタリカにメールと自身のプレー動画を送ると、トライアウト参加が認められた。だが、行ってみると、参加選手の数は所属チームのない外国人選手、コスタリカ人選手を合わせて約60人。そこから紅白戦が延々と続けられ、ふるい落としの作業が行われた。

 山中は3度の試験をパスし、約20人のところまでこぎつけたが、結局そこで見限られた。そして、別のチームが選手を探していると聞きつけ、2部のウルグアイ・デ・コロナドに出向く。練習試合などの結果が評価され、正式契約へとこぎつけた。

 山中はウルグアイ・デ・コロナドでは1年間プレーした。コスタリカのサッカーは5バックが特徴で、代表チームだけでなく、クラブチームでも5-4-1や5-3-2が主流。山中は5バックのチームで左サイドバック、時に左のストッパーも務めた。チームのシステムは変則的で、攻撃時は3人いるセンターバックの真ん中の選手がボランチに上がり、4バックのようなシステムに変わる。ほかの選手もポジションが頻繁に変わるため、常にボランチの位置を見て確認しながらプレーしていたという。

「コスタリカは攻撃参加しやすかったし、自分の形でセンタリングを上げてアシストもできた。久々に正式に契約もできたし、充実感がありましたね」

 月500〜600ドルとされる給与も銀行口座に振り込まれる形が取られ、金銭面でも困ることはなかったという。チームは1部昇格を懸けたプレーオフにも進出したが、決勝で敗退。スタンドからは審判の判定に納得いかなかったサポーターがなだれ込み、チームメートの1人はロッカールームからハサミを持ち出して審判を襲おうとするなど、波乱の幕切れだったという。

「ラテンアメリカのサッカーは本当に何が起きてもおかしくない。日本なら逮捕されるけど、あの時はハサミを持ち出した選手にチームもお咎めなしでしたね」

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