浦和DF平川忠亮が“第2の人生”で掲げた野望 「監督としてこの埼スタに戻ってきたい」

2011年のJ1残留争いで“浦和愛”が一層アップ 柏木も敬服「神様みたいな人」

 プロの世界である以上、出場機会が減ったり、監督の目指すサッカーと相性が良くなければ移籍を考えることもあるだろう。本人も「レッズを出る選択肢が少しもなかったわけではない」と語ったが、それでも浦和でプレーを続けてきたのは彼の持つ哲学がある。それは、プロサッカー選手として長いキャリアを形成していく秘訣とも言えるものだった。

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「考え方だと思うけど、原因を監督に求めて他のチームを選ぶのか。それもプロの選択だと思うし、もっと自分に合うサッカーがある、こうじゃなければ生きないと思うのも一つ。こういうサッカーに自分がどう合わせるのかと考えるのもあるし、僕は後者。出られない時に、『何で出られないんだ』よりも、『どうしたら出られるのか』と。自分ではなくて、使われている選手はどういうところが勝っているかを考える」

 そうしたキャリアのなかで、「浦和愛」とでも呼ぶべきものが強くなったのが、2011年のJ1残留争いだったという。ゼリコ・ペトロビッチ監督の下で、浦和は前年までのフィンケ監督が作り上げた流動的なパスサッカーから、ポジションをハッキリさせたサイドアタックに変化した。それは主力の一部に噛み合わない面が強く見え、主将のMF鈴木啓太と副主将の平川は何度も話し合いを持ったが、「どう頑張っても上手くいかない」という苦しい状態にあった。

 その時、浦和に来て2年目のMF柏木陽介は、平川に救われたと話している。それは柏木の「神様みたいな人。リスペクトできるし、ヒラさん(平川)がいなかったら今の自分はない」という言葉にあった。

「(2011年は)自分も苦しかったけど、腐っていたところで説教をしてくれた。『今のお前で良いのか?』と。この1年というのが、自分にとっても成長するきっかけだったと思うし、それがなかったらそのまま腐っていってしまったと思う。今ではできる後輩と思ってもらえたのか、家族ぐるみでも付き合いをさせてもらっていますからね」(柏木)

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