浦和DF平川忠亮が“第2の人生”で掲げた野望 「監督としてこの埼スタに戻ってきたい」

浦和レッズDF平川【写真:Getty Images】
浦和レッズDF平川【写真:Getty Images】

FC東京戦で途中出場し、自身のリーグ戦ラストゲームを勝利で飾る

 浦和レッズのDF平川忠亮は、1日のリーグ最終節FC東京戦(3-2)で後半44分から出場。浦和一筋で17年間戦い続けてきた最古参は、J1通算336試合出場に伸ばし、自身のリーグ戦ラストゲームに勝利で花を添えた。

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 2002年に筑波大から加入した平川は、加入当初はスピードあるサイドバック、あるいはサイドアタッカーとしての色合いが濃かった。折しも03年にハンス・オフト監督の下でナビスコカップ(現ルヴァンカップ)でチーム初タイトルを得て黄金期を迎えるなかで、キャリア前半は恐ろしいまでのポジション争いの連続だった。

 最も得意なポジションである右サイドは、ジーコ監督時代の日本代表にも選ばれたDF山田暢久がいて、時にFW永井雄一郎やFW岡野雅行が回ってくることもあった。ルーキーイヤーから起用された左サイドでは、日本代表でレギュラーだったDF三都主アレサンドロが移籍加入し、1対1のドリブル突破に絶対の自信を持つDF相馬崇人もやってきた。ナビスコカップの優勝から毎年のようにタイトルを獲っていくなかで、ポジションが安泰だったことは一度もなかったと言っていい。

「常にヤマさん(山田)とは右サイドでライバルという関係で、切磋琢磨して、プレーを見ながら勉強してトレーニングに励んでいたし、試合もそういうふうに取り組んでいましたね。オフト監督の時に左サイドをやらせてもらって、自分の中のオプションとしてはどちらもいけるぞと。そういう強みも持ちながら、右も左も監督の言われた通りで、チャンスがあればどちらでもと思っていたし、少なからずタイトルに貢献できたのは自信になった。良くも悪くも、ずっと出ていたというシーズンもなかった」

 以前、平川はそうしたポジション争いによる成長をこのように話していた。オフト監督に始まり、ギド・ブッフバルト監督、ホルガー・オジェック監督、ゲルト・エンゲルス監督、フォルカー・フィンケ監督、ゼリコ・ペトロビッチ監督、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督、堀孝史監督、オズワルド・オリヴェイラ監督と、正式な監督に就任した指導者だけを数えても、これだけの指揮官の下でプレー。そのなかでも、常に信頼を勝ち取りながらチームの戦力と計算される存在として君臨してきた。

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