孤軍奮闘も孤立した興梠 「みんな守備で疲れてしまった」
前線でサポート少なく
韓国と戦った東アジアカップ第2戦、1トップで出場した興梠慎三(浦和)は、前線で常に韓国の選手たちに囲まれていた。
韓国に主導権を握られる展開が続き、日本は守備ブロックを低く構えた。「相手の中盤のボール回しがうまかったので、1回引くことにした。前からいっても、味方はついてこない。ちょっと難しい試合だった」と、振り返ったように、興梠まで自陣に入って11人全員がブロックを作る時間帯もあった。
それだけに、前線へのボール供給はロングボールが中心になった。「ロングボールがすごく多かったので、それを収めることができなかった。両サイドが引 くので、なかなか攻撃ができなかった。近くにあまり人がいなかったし、ボールが来たら1人かわすようなイメージだったが、味方と近くであまりプレーできなかった」と、孤立した状態でのプレーに難しさを感じながら過ごしていた。「守備から攻撃への切り替えは遅かった。監督の狙っていることの表現はまだまだかなと感じた」と、カウンターを狙ってチーム全体が押し上げるスピード感が不足していたと語る。
日本代表でのプレーは、実に2011年以来だった。当時は鹿島に所属していたが、13年に浦和へ移籍。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の絶大な信頼を受け、1トップとして君臨してきた。それだけに、「浦和で自分がいちばん変わったのは1トップでポストプレーもするようになったこと。代表でも1 トップで試合に出たい」と意気込んでいた。しかし、実際に立ったピッチではショートパスをつなぎ、前線が近い距離でサポートし合う浦和のサッカーと違い、前線で孤立無援の状況に陥る難しさを痛感する事態になった。
「レッズでやるプレーはみんな分からないから」という言葉を聞く限り、この日は控えだったMF武藤雄樹や、負傷離脱になったMF柏木陽介との浦和ラインが結成できていれば、そうした悩みも少しは解消されたのかもしれない。準備期間が短い中で、所属チームがバラバラのメンバーがピッチに立つことの難しさが表れた言葉でもあるだろう。