フランスのW杯制覇と移民系選手 「多人種統合の象徴」が“恥”を経て手にした一体感

20年ぶりとなる世界制覇を成し遂げたフランス代表【写真:Getty Images】
20年ぶりとなる世界制覇を成し遂げたフランス代表【写真:Getty Images】

移民系選手が台頭し勝ち取った1998年W杯優勝と、崩壊した2010年大会

 フランスがワールドカップ(W杯)で初優勝したのが1998年、移民系の選手たちが台頭していた。ジネディーヌ・ジダンはアルジェリア移民の子で、アルジェリアでもベルベル族。キャプテンのディディエ・デシャンとビセンテ・リザラズはバスク、クリスティアン・カランブーはニューカレドニア、マルセル・デサイーはガーナ……先祖を三代さかのぼれば外国人と言われるフランスでも、移民系の割合はここまで高くはない。

 それが、サッカー界では移民系の人口比率が一気に跳ね上がる。アメリカのNBA(プロバスケットボールリーグ)に黒人選手が多いのと同じ現象だろう。

 当時、快挙を成し遂げたフランス代表は「多人種統合の象徴」と言われたものだ。ところが、2010年にはその多人種統合は悪い意味での象徴になってしまう。

 ニコラ・アネルカの追放を巡ってチーム内で反乱が起きる。レイモン・ドメネク監督は、なぜか練習をボイコットした選手たちの声明文をメディアの前で読み上げる事態になった。ドメネクの手記を読むと、心の底で自らが選抜した選手たちを軽蔑していたことが分かる。彼はかつて黒人選手をDFではなく、FWに起用するように育成方針を変えたスタッフの一人だった。人種差別ではなく、特定のバックグラウンドを持つ彼らへの無理解、または嫌悪だと思う。

 フランスの選手の多くは、都市郊外出身者だ。例えば、移民はパリの中心には住まない。家賃が高すぎるからだ。しかし、田舎へ引っ込んでしまえば仕事がない。そこで都市の郊外に住み始めた。いつしか都市郊外は移民家族で占められてゲットー化していった。

 バカンスの時期にも仕事をする彼らの子供たちは、夜遅くまで明るい長い夏の夜を同じ境遇の仲間たちと過ごす。カルフールの駐車場で親戚とサッカーをしていたティエリ・アンリ、集合住宅の中庭でルーレットの技を磨いたジダン……彼らのボールへの親和力は才能だけではなく、単純にボールとともにあった時間の差なのかもしれない。

 ある意味、疎外された環境で育った若者たちの独特の仲間意識、管理者や権力者への厳しい眼差しに対して、ドメネクたちは対処の方法を知らなかったのだろう。南アフリカW杯での顛末は「恥」として糾弾され、移民系選手の招集を減らすべきだという意見も堂々と開陳されていた。

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西部謙司

1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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