Jクラブ監督は「中間管理職」 プロの世界を離れ“再出発”…岩政大樹氏の使命「これが自分のやりたいこと」

インタビューに応じた東京学芸大の岩政大樹監督【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】
インタビューに応じた東京学芸大の岩政大樹監督【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】

札幌の監督解任後に行き着いた「本気で身を投じる」場所

 2025年夏に北海道コンサドーレ札幌の監督を解任された後、失意の中で様々なカテゴリーの指導現場を渡り歩き、自らを見つめ直した岩政大樹氏(現東京学芸大学蹴球部監督)。Jクラブや海外からのオファーもあったなか、選んだ次なる舞台は、母校である東京学芸大学だった。なぜプロの舞台ではなく、大学サッカーの道を選んだのか。そこには、「Jクラブの監督」という立場に対する彼なりの葛藤と、「人と真摯に向き合い、成長を促したい」という指導者としての切実な本音があった。(取材・文=元川悦子/全6回の3回目)

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 2025年末の段階で「札幌の監督を解任された岩政大樹はどこへ行くのか」というのは、サッカー関係者やサポーターの中で1つ、話題になっていた。

 本人は龍谷富山高校の指導を11月中旬に終えた後、解説業にも復帰。12月5日の鹿島アントラーズ対横浜F・マリノス戦はNHKの解説者としてテレビに出演。古巣の9年ぶりJ1タイトル獲得の場にも立ち会った。それが終わった後、彼が他のJクラブの監督に就任するという一報が聞こえてくると思われたが、それは現実にはならなかった。

「8月に札幌を離れた後、2024年に指揮を執ったベトナムをはじめとする東南アジアのクラブからも連絡をもらいました。Jクラブもいくつかと様々な話をしたことはありましたが、今の自分にしっくりくるものは見つからず、断りを入れました」

 Jリーグクラブの監督を「中間管理職」と考える岩政は、こんな本音を吐露する。

「僕自身は継続的にクラブや町のために尽力するつもりでいたんですけど、本質的にそういう仕事じゃないんだと感じた。選手時代は5年契約すれば5年はとどまれるし、コーチもそれに準ずるところがありますけど、監督だけはそうじゃない。『もっと根差した部分に関わりたい』という気持ちになったのは確かです」

 そんな時、降って湧いたのが、母校・東京学芸大学に戻る話だった。2025年12月時点で同校を率いていたのは桐田英樹監督。JFLのソニー仙台でコーチを務め、2024年からはソニーの社員の傍ら、監督を務めていた。そこで桐田は「もし岩政が戻るのなら監督をやってもらいたい」と打診。岩政は熟考した末に「やろう」と決心した。

「僕は桐田さんが監督になった2024年の秋~冬にかけて学芸大でコーチを務めさせてもらっていたんです。その時2年生だった子たちが4年になる2026年に指導するのは1つ、やりがいのあることだと感じました。

 それに鹿島や札幌で監督をやって足りなかったと感じた部分もいくつかあって、それをきちんと解決したうえで、次のチャンスを待つべきなんだろうなという思いもありました。

『自分がやりたいのはこういうことなんだ』とハッキリ言えるもの、独自のものを作りたいと考えてはいたんですが、できていないのが現状。明確に表現できるところまで学芸大の選手と一緒になって取り組ませてもらうべきだという気持ちになり、大学サッカーに本気で身を投じることに決めました」

 岩政の監督就任が発表されたのは、2026年1月20日。そこからほぼ毎日のようにグランドに通い始めた。「人と真摯に向き合い、成長を促したい」という教育的志向の強い彼にとっては最高の再出発の場ではないか。筆者を含め、岩政大樹を知る人間はそんな感想を抱いた人が多かっただろう。

「それはよく言われます」と、岩政本人も爽やかな笑みをのぞかせながらも、こんな苦悩も打ち明けた。

「学芸大が関東大学リーグ1部にいたのは20年くらい前。チームは2部、3部を転げ落ち、僕が携わり始めた2024年秋には関東大学サッカー大会(関東3部参入戦)に参戦。何とか3部に復帰して現在に至ります。8月26日の天皇杯2回戦で浦和レッズ相手に奮闘した山梨学院大学も同じリーグ。かなりレベルが高くなっていますね。

 大学サッカーって、僕が現役だった20数年前に比べると私立の選手の集め方が尋常じゃない。当時はスポーツで集めるといっても数校でしたけど、今はどこでも大々的にやっている。そうなると当然、国立には選手が来ないという流れになるので、本当に難しさが増したなという印象はあります」

 それでも、8月末に来季のFC岐阜入りが発表された半田祥真のように、私立の強豪校である静岡学園から学芸大に一般受験で来て、地道に力をつけてプロへの道を切り開こうとする人材はいる。そんな選手としっかり向き合っていくことが自分の使命だと感じているようだ。

「学芸大は各学年10数人しかいない。まさに少数精鋭のチームです。その陣容で、同じ3部の山梨学院や国学院、順天堂や東京農業大らに向かっていかなければいけない。難しい環境にいるのは確かです。

 ただ、ウチも各学年2~3人くらいは高いレベルでやれる子がる。それ以外にも、まさに25年前の僕がそうだったような、化ける可能性のある選手もいます。その子たちを成長させ、工夫してフットボールを作り上げながら勝とうとしていますし、みんな高い意欲を持ってのぞんでくれています。今の学芸の選手は目をキラキラさせてサッカーと向き合っている。

 その姿を目の当たりにしながら『これが自分のやりたいことなんだ』と実感している日々です。前期のリーグ戦で4位と結果が出たことも大きいですけど、9月23日から後期が始まるので、2部昇格を目指してやっていきたいです」

 岩政が力を込めるように、まだ東京学芸大には上を狙えるチャンスがある。同校は秋から教育実習が入ってきて、メンバーが揃わなくなるというハンディキャップがあるが、それを乗り越えていけるかも1つの大きな課題。指揮官は目の色を変えてここからの戦いに挑んでいく覚悟だ。(本文中敬称略、4回目に続く)

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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