日本サッカーを変えた戦術「本当に斬新」 森保Jとの共通点…トルシエ氏が驚いた「最後のピース」

鈴木隆行氏とフィリップ・トルシエ氏の対談が実現【写真:FOOTBALL ZONE編集部】
鈴木隆行氏とフィリップ・トルシエ氏の対談が実現【写真:FOOTBALL ZONE編集部】

FOOTBALL ZONEでフィリップ・トルシエ氏と鈴木隆行氏の対談が実現

 2002年日韓ワールドカップ(W杯)で日本中を熱狂に包み、史上初の決勝トーナメント(T)進出を果たした日本代表。当時チームを率いたフィリップ・トルシエ氏と、FW鈴木隆行氏のレジェンド対談が実現した。革新的戦術「フラット3」の真実や、今も語り継がれるベルギー戦の伝説のゴール、そして現在の森保ジャパンへと脈々と受け継がれる日本サッカーのDNAについて、熱く語り合った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部)

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 森保一監督率いる日本代表は、北中米ワールドカップでは、グループステージを2位で突破。3大会連続となる決勝T進出を果たした。今では見慣れた光景となったが、初めて決勝T進出を果たしたのは2002年の日韓大会だった。24年の時を経て、かつての指揮官とストライカーが再会。トルシエ氏は当時を振り返り、鈴木氏の類い稀な資質について語り始めた。

フィリップ・トルシエ氏(以降、トルシエ)「(隆行氏は)もちろん当時リーグで活躍していましたが、彼は当時の日本にあまりいなかったタイプでした。ポストプレーが非常に強く、フィジカルも優れており、賢くボールキープの仕方が日本人離れしていました。メンタルの波もほとんどなかった。さらに戦術の理解度が高く、実はポリバレントな選手でもありました。私が探し求めていた『最後のピース』に極めて近い、素晴らしい出会いでしたよ」

鈴木隆行氏(以降、鈴木)「当時、トルシエ監督の戦術は本当に斬新でした。もちろん基本的な守備の仕方はなんとなくみんな分かっていましたけど、組織的にしっかりと選手たちを動かし、役割を決めてそれを徹底してやらせるというのは、それまでの日本にはなかった。あの指導によって、守備の重要性をかなり意識し始めました。そのきっかけになったのが、トルシエ監督の『フラット3』だったんです。日本代表が成長していくためには、本当に重要な戦術だったなと思います」

 当時、トルシエ氏の代名詞だった「フラット3」は、3人のディフェンダーが最終ラインを平行(フラット)に保ち、高度なラインコントロールと完璧なマークの受け渡しで相手の攻撃を封じる革新的な戦術だった。個人の能力差を組織の力でカバーする戦術は、当時の日本サッカー界にパラダイムシフトをもたらした。

鈴木「とにかくFWも含めたチーム全体で、組織的に守るということをあの時に教わりました。それがサッカーの試合においていかに重要かということが、理解できた。それまでは組織的守備の重要性をそこまで意識していなかった部分もありましたが、あそこから代表は大きく変わっていったと思いますし、今の選手たちは自分でしっかり学んで成長している部分もありますが、あの時代からの積み重ねが、今の日本代表の強みになっているのではないかと思います」

トルシエ「私が来日した当時、日本には個人技や根性論といった南米サッカーの影響がまだ色濃く残っていました。私はそこに、理論的で合理的な欧州の現代サッカーを持ち込みたかったのです。その象徴が『フラット3』による組織的な守備でした。個人の1対1で劣っていても、お互いにカバーし合えば強い相手にも絶対に通用する。当時はピッチの半分を無視するほど、大胆にボールサイドへ人数を集めました。もちろん、一度突破されれば即失点に繋がるハイリスク、ハイリターンな戦術です。完璧なマークの受け渡しや、高度なラインコントロールが求められます。しかし選手たちには、そのリスクを冒す価値を頭と体の両方で実感してほしかった。『理論的にやれば勝てる』と頭で納得できれば体は動く。そうやって戦術を共有することで、選手たちが個人の能力差に抱いていたストレスを解消してあげたかったのです」

 今回の北中米W杯では決勝トーナメント1回戦でブラジルに1-2で逆転負けを喫したが、世界でも戦える力を示した森保ジャパン。その礎となったのは「いい守備から、いい攻撃」というコンセプト。それはトルシエ氏が率いていた2002年のチームに共通するものがあるという。

トルシエ「2006年のジーコジャパンも私の教え子たちが中心だったので、もちろんものすごく応援していました。その後のザッケローニ氏も面白い見解を日本にもたらし、代表を進化させたと言っても過言ではありません。しかし、とりわけ今の森保ジャパンは、2002年の私たちの戦術に一番近い。それは徹底された『組織的な守備』です。今の選手は海外での経験が豊富で、攻守の切り替えのレベルやフィジカルは当時よりはるかに高い。でも、私たちが目指した戦術と本質は何一つ変わっていません。森保監督にはよく『2002年のサッカーに影響された?』と冗談交じりに話しますが、彼はいつも優しく『もちろん見ていました』と答えてくれます。私はそんな今の日本代表を見ていて本当に楽しいですよ」

伝説のベルギー戦ゴール、長年の積み重ねが生んだ奇跡

 そして対談は、再び日韓大会の話へ。日本中の期待を背負って臨んだ初戦のベルギー戦。先制点を奪われた直後の後半14分に飛び出した鈴木氏の「つま先」弾に話題は及んだ。

鈴木「あのゴールは、結局のところ技術とかそういうことではなくて、自分が小さい時からの積み重ねで取れたゴールだったなと。どういう時でも自分は手を抜かずにサッカーに向き合ってきたし、どんなに苦しい環境に身を置いたとしても常に全力でやってきた。何十年も小さい時から積み重ねてきたことが、あの瞬間の結果に繋がったと思います。もし、小さい時にそういうことができる人間じゃなかったり、どこかで1回でもサボったりしていれば、たぶんあのゴールには繋がっていなかったなと」

トルシエ「間違いなく、この1点はあのW杯で一番のターニングポイントでした。試合は0-1で負けており、相手に押し込まれる展開だった。しかし私たちは諦めずに走り続けました。その中で隆行氏が決めたゴールは、まさに長年の努力が生んだものでした。彼が持つ『9番(ストライカー)』の嗅覚でもぎ取ったゴールです。あれはチームワークというよりも、彼個人の力によるものでした。選手が戦術のルールを越えて持ち味を発揮してくれることこそ、指揮官として一番うれしい瞬間です。隆行氏はまさにそういう選手でした。その後、彼がアメリカやヨーロッパの厳しい環境で活躍したのも彼らしい。フィジカルを活かした泥臭いサッカーは、彼の大好物だったのでしょう。タフな試合でこそ自分が光るのだと証明した、見事な結果でした」

 ベルギーと2-2で引き分け、続くロシア戦では1-0で歴史的なW杯初勝利。第3戦のチュニジア戦も2-0で勝利し、2勝1分の首位で初めてグループステージを突破した。ホスト国として臨んだ日韓W杯は、日本のサッカー史に刻まれている。

鈴木「自分のサッカー人生の中で、本当にかなり重要な大会だったと思います。自分がこれまで積み重ねてきた結果が出た大会でもありましたが、同時にあのW杯をきっかけに、自分が世界に出ていくためには足りないものもたくさん感じさせられた。だから、それまでのサッカー人生の集大成であったんですけど、新たなスタートでもあったんですよ。この先さらにサッカー選手としてW杯に出て活躍するためには、やっぱりヨーロッパに出ていって力をつけなきゃいけないと、明確に理解した大会でした。自分の大きなターニングポイントであったことは確かですね」

トルシエ「当時、私は40代後半でしたが、早めに指導者になったのでキャリアとしてはすでに20年でした。自分にとっても一つの集大成であり、折り返し地点でもあったのです。フランス協会のエリートとして卒業後、なかなかポストに恵まれず苦労した時期もありました。だからこそ、日本代表からチャンスをもらった時は感謝しかなかった。挑戦は本当に大変なものでしたが、私たちはベスト16という歴史を作った。あの大会を振り返ると、様々な記憶が今でも思い浮かびます。フランスの偉大な仲間達から『日本はサッカーが上手い』と言われた時はうれしかった。そして中田英寿氏を筆頭に、選手達が次々と海外へ移籍していった。その活躍を私はものすごく誇りに思いました。このW杯が人生のすべてだったとは言いたくありませんが、私の人生において間違いなく最も大切な瞬間の一つだったと言えます。あの素晴らしい思い出は、今でも私の心の中に生き続けています」

 かつて日本サッカーの歴史を塗り替えた師弟が語る、戦術の記憶と情熱。組織的守備という2002年のレガシーは、今なお進化を続ける現代の日本代表へと、確かに受け継がれている。

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