高校ベンチ外→J1主力…親の涙に「俺、何してんだ」 内定辞退でプロへ「ごめん、後は継がない」

インタビューに応じた町田の岡村大八【写真:増田美咲】
インタビューに応じた町田の岡村大八【写真:増田美咲】

町田の岡村大八「歯科大学に進学するかサッカーをやるかの二択ですごく迷った」

 FC町田ゼルビアで3バックの中央を務めるDF岡村大八は、今や誰もが認めるJ1屈指のディフェンダーだ。昨年1月に北海道コンサドーレ札幌から加入し、天皇杯制覇やAFCチャンピオンズリーグエリート準優勝に貢献。順風満帆にも見えるが、高校3年間ではベンチにも入れないところからのスタートだったのだ。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大/全4回の3回目)

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 FCオルテンシア相模原という街クラブから、高校サッカーの強豪として知られる前橋育英に進学した岡村。しかし、待ち受けていたのは、同期のMF坂元達裕、MF小泉佳穂、MF鈴木徳真、MF渡邊凌磨らの活躍を、スタンドから見つめる日々だった。その当時、サッカーを続けるか迷ったことはなかったのだろうか。

「これ、めちゃくちゃ言われるんですよ。僕、いつも言っていることは同じなんです。逆に悔しかったからこそ、サッカーを辞められなかったんですよね。選手権でめちゃくちゃ活躍していたりとか、試合に出ていたりとかしていたほうが、たぶん満足しきってサッカーを辞めていたのではないかなと思います」

 約200人の部員がいる前橋育英のサッカー部。最後の全国高校サッカー選手権では登録メンバー25人に滑り込んだ岡村だったが、ベンチ入りしたのは1試合のみ。しかも、ディフェンダーの選手に体調不良者が出たという理由だった。

「繰り上がりでベンチに入ったことが1回あって、電光掲示板に名前が載っただけで、親が泣いて喜んでくれて。逆に俺はそれを聞いて、何してんだろうって。親元を離れて3年間、サッカーをやるためだけに仕送りしてもらって、寮に入れてもらって、お金も払ってもらって。それなのに、何やってたんだと」

 そんな両親の姿を見て、「親元を離れさせてもらって、サッカーをやらせてもらっていることは当たり前じゃない。それはすごく幸せなこと」と痛感した岡村。「Jリーグで戦っている舞台を見せてあげたい」との決意を固めていく。

「高校が終わるタイミングで、親に『ありがとう』と言われたんですよ。試合に出ていないのに『ありがとう』と言われて、俺はそのときに何が『ありがとう』かわからなくて。何もしていないし、結果も残せていない。高校サッカー選手権は準優勝という結果だったんですが、僕はピッチに立っていないので」

 高校での悔しさを糧に、大学でもサッカーを続けることを決断。「だからこそ大学に進学してサッカーをやりきって、もしサッカーがダメだったら別の道に進もう」。そう決めたが、その結論に至るまでには当然ながら迷いもあった。

「僕、親父が歯科医師だったので、歯科大学に進学するかサッカーをやるかの二択ですごく迷ったんですよ。推薦としては歯科大学もあったので、そこですごく悩みました。たぶん人生で一番、悩んだんじゃないかな。親父の後を継いで歯科医師になるか、サッカーをやるかって、もう1か月くらい悩みました」

 そんなとき、前橋育英のコーチからこのようなアドバイスを貰う。「お前を求めてくれるチームがあるんだったらそっちに行って、もし大学でサッカーをやりきってそれでダメだったら、また歯科大学に入り直せばいいんじゃないか」。プロサッカー選手になる夢を叶えるため、立正大学へ進むことを決めた。

「色々と調べたら、歯科医師になるのって、就職してからまた大学に入り直して勉強して、という人も多かった。浪人して入る人もいたり、平均年齢がけっこう高かったんですね。確かにそれもありだなと思って。自分は大学4年間サッカーを一生懸命やって、ダメだったら歯科大学に入り直そうと思いました」

 立正大学でも3年生の途中までレギュラーを掴めずに苦しんだが、最後の一年で関東大学2部のベストイレブンに輝く活躍。10月末にザスパクサツ群馬からオファーを受け、父親に告げたのは「ごめん、もう後は継がない」。就職活動も平行して進めていたなかでの、悲願のプロ入りだった。

「3年生の10月から就活を始めました。社会経験が無かったので、ビジネスマナーだったり、そういったものを学ぶ機会が無かったので、就活はしておこうと思って。3年生の早い時期に色んなところを受けて、4年生の3月のタイミングでは内定をいただいている状態で、4年生はサッカーをやっていましたね」

 普通の大学生と同じように就活に挑み、不動産とメーカーから内定をもらっていた岡村。「でも、その不動産さんとメーカーさんにも、僕がなりたいのはサッカー選手です、というのは伝えたうえで、それでも了承を得て内定をいただきました」。そんな苦労が報われたのも、充実した大学生活を送ったからだ。

「大学は色んな誘惑がある。お酒だったり、遊びだったり、自由な時間が増えていくなかで、僕は悔しい思いがあったからこそ、サッカーをやるしかなかった。立正大学はサッカーをやるのに適した環境だったので、4年間はサッカーに集中して打ち込むことができた。それが良かったのかなと思っていますね」

 群馬でのプロ入り後は、当時JFLだったテゲバジャーロ宮崎への武者修行も経験。その翌年の2020年にはJ2で全42試合にフル出場し、オフに札幌へと完全移籍した。札幌では2年目の途中からレギュラーを掴み、その後の飛躍はご存知の通り。Jリーガーを目指す子どもたちに夢を与えるサクセスストーリーだ。

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