稀代のドリブラーを育てた“考える癖” ピアノ経験を活用「これを足でできないかなって」

永井雄一郎氏が代名詞だったドリブル技術について語った【写真:イワモトアキト】
永井雄一郎氏が代名詞だったドリブル技術について語った【写真:イワモトアキト】

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:永井雄一郎(ザスパ群馬アカデミーダイレクター兼U-18監督)第2回

 日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”を繋いでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。

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 FOOTBALL ZONEのインタビュー連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。選手としての肩書きを大事にしてきた永井雄一郎だが、2026年からザスパ群馬アカデミーダイレクター兼U-18監督に就任した。恵まれた環境を手にしたアカデミーを受け持ち、トップチームと連携しながらクラブの未来を作り上げていく。新しいチャレンジに情熱を注ぐ姿勢の根底には、幼少期より育まれた“考える癖”があった。(取材・文=二宮寿朗/全5回の2回目)

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 大きなやり甲斐を感じたから永井雄一郎は動いた。

「おそらくU-18監督のオファーだけだったら受けていなかったと思います。自分が選手として在籍したクラブの育成に深く関われることに、純粋に魅力を感じました。U-18を強くするために、トップチームに選手を上げていくために、じゃあ(下の年代の)ジュニアユースは、ジュニア世代はどういったことをやっておくべきなのか。そういったことを組み立てていくのはとても充実しています」

 ザスパ群馬のアカデミーダイレクター兼U-18監督という新しい肩書き。浦和レッズ時代の同僚である細貝萌社長はアカデミー改革に力を注いでおり、現在群馬県リーグ2部にいるU-18のみならずアカデミー全体を引き上げていくミッションは、永井をワクワクさせた。

 クラブの育成力を高めていくには、環境面は外せない大事な要素だと言える。ザスパはその強みを得ることになった。2024年5月にオープンした練習拠点のGCCザスパークは天然芝コート2面、人工芝コート2面、フットサルコート3面、そのほかトレーニングスペースなどが完備され、Jクラブ屈指の設備を誇る施設をアカデミーも使用できる。トップチームとの関わりが一気に強くなった。

「Jクラブの育成組織であるメリットを出していければいい。ザスパのアカデミーは正直、恵まれた環境にあると思います。実際、トップの沖田(優)監督がU-18の選手を(トップの練習に)呼んでくれていますし、選手とすれば体感したうえで自分に足りないもの、必要なものに取り組んでいける。極端に言えば、可能性のある面白い選手だと思われたらトップに引き上げられるチャンスだってある。同じ場所で練習しているわけですから、トップの指導者がいつ見ているか分からない。だから僕は、選手たちに『見られた瞬間に、価値が決まってしまう。手を抜いていい練習なんてない』と就任してからずっと言い続けて、緊張感を持たせているつもりです。プロを目指すなら、そのメンタリティーを備えていなければなりませんから」

 上を目指せて、チャンスが常に転がっている環境。育成年代の選手たちが本気になればなるほど、促していける場がある。現役としての自分のプレーを一度中断してまでの価値を、ザスパの未来づくりに感じた。

 情熱をぶつけられる、ワクワクがそこにあるかどうか。

 いつも彼自身で決めてきた選択の、一つの揺るがない基準であるのかもしれない。

 幼少時代、サッカーとの出会いからしてそうだった。

 幼稚園から水泳に取り組んでいたが、小1の頃、後に北島康介を輩出する東京スイミングセンターに行く途中で目にしたのが欧州のクラブをモデルに創設された三菱養和会のサッカースクール。自分と同じ年代の子どもたちが楽しそうにサッカーボールを蹴っていた。

「水泳は孤独な感覚があって、体的にも結構きつい。養和の前をいつも通るたびに、俗に言う団子サッカーで一つのボールにみんなが群がって、点が入ったらみんなで喜んで。それを見て“あれ、やりたい”って言った感じなんです。団体競技がやりたかったので、もし見たのがサッカーじゃなければ、違う団体スポーツをやっていたんじゃないですかね。ただ小さい頃はストリートサッカーみたいな感じでマンホールにボールを乗せたら勝ちみたいな遊びもやっていたので、好きではありました」

 一人ひとりの自主性を育む指導法によって、永井はどんどんサッカーの沼にハマっていく。三菱養和では小1から高3までの12年間を過ごした。

 彼は過ぎ去りし日々を想い浮かべる。

「合宿中にちょっとした悪さをしてコーチに怒られたことはありますけど、ピッチ上で怒られた記憶がないんですよね。一人ひとりを尊重してくれて、グラウンドが一面だったので、使えない時間は自分で考えながら練習しなきゃいけなかった。家の近くの公園でも一人で向き合っていましたし、自分を客観視しながら“何が足りないんだろう”って小学生から考える癖はかなりついていたと思います」

ピアノから学んだ“反射”をドリブルに応用「これを足でできないか」

 考える癖――。

 サッカーに限らず、走り方にしてもそう。アメリカ陸上界のスーパースター、カール・ルイスの走法を見て「どういう姿勢か」「どういうふうに手を振っているか」を見て、真似するところから始めて本当に速くなった(中学時代には400mで東京都2位になっている)。永井少年はピアノの経験から「自分はなぜ緊張するのか」の答えまで導き出している。

「ピアノの発表会に出た時、緊張して手が震えちゃって1個目の音を出せない。どうしてこんなに緊張するんだろうって考えたら、ちゃんと練習してなくて自信を持てていないからそうなるんだと結論づけました。それをサッカーに置き換えて、しっかり練習をしていろんなものを積み上げておけば試合で緊張することもない。たとえばPKだって練習していれば、いつもどおり蹴ればいいだけのこと。僕は基本的に100%の力しか出ないと思っています。“120%の力が発揮できた”なんて聞きますけど、本来は100%のはず。その100%を出すために何を準備しておけばいいかという考え方をすると、自分の力をそのまま発揮すればいいとしか思わないので緊張しなくなりました」

 ピアノからは、もう一つ大切なことを学べたという。彼が言葉を続ける。

「それは反射です。楽譜も見ないで弾けるのは、頭で覚えているというのもあるんですけど、手が覚えているんですよね。これを足でできないかなって、僕はサッカーに置き換えようと考えました。ドリブルの時に出てくる(相手の)足に対して、考える前に反射的に避けられないかなって。そういう練習も自分で考えながらやっていました」

 そして自主性や考える癖とともに、三菱養和から植えつけられていくのがクラブの名前にあるように「和を養う精神」である。みんなで力を合わせてゴールを目指していくことが何より楽しかった。

「仲間を大切にしようというのはずっと言われてきたこと。だからザスパの子どもたちにも『組織のなかの個でなきゃいけないよ』と伝えています。組織という大枠があったうえで個性がある、との考え方を僕はしています。チームとして組織としての目的意識があるなかで、自分は何ができるのかっていう考え方になれば、自分勝手にはならないので」

 この観点に立てば、得意のドリブルも「抜く」という言葉は永井のなかで当てはまらない。最もふさわしい言葉は「運ぶ」になるという――。(文中敬称略/第3回に続く)

■永井雄一郎 / Yuichiro Nagai

 1979年2月14日生まれ、東京都出身。三菱養和SCユースから97年に浦和レッズに加入し、1年目からリーグ戦30試合出場3得点を記録。同年のワールドユース選手権(現・U-20ワールドカップ)にも出場した。カールスルーエ(ドイツ)への期限付き移籍を経て99年は浦和に復帰すると、2度目のワールドユース選手権出場を果たし、日本の準優勝に貢献。2003年にはA代表にデビューし、初得点も記録している。浦和ではJ1優勝、AFCチャンピオンズリーグ優勝などを経験。09年の退団以降は、清水エスパルス、横浜FC、ザスパクサツ群馬(現・ザスパ群馬)などのJリーグクラブのほか、アマチュアチームを渡り歩き、選手兼監督としても活躍。26年からはザスパ群馬のアカデミーダイレクター兼U-18監督を務めている。

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二宮寿朗

にのみや・としお/1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『岡田武史というリーダー』(ベスト新書)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)などがある。

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