選手が「バイトで不在」の衝撃 異例の“兼任監督”…元日本代表FWが築く独自のキャリア

今年から群馬でアカデミーダイレクター兼U-18監督を務める永井雄一郎氏【写真:イワモトアキト】
今年から群馬でアカデミーダイレクター兼U-18監督を務める永井雄一郎氏【写真:イワモトアキト】

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:永井雄一郎(ザスパ群馬アカデミーダイレクター兼U-18監督)第1回

 日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”を繋いでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。

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 FOOTBALL ZONEのインタビュー連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。かつて浦和レッズで“2代目ミスターレッズ”として名を馳せた永井雄一郎は、清水エスパルス、横浜FC、ザスパクサツ群馬(現・ザスパ群馬)などでもプレー。その後は複数のアマチュアチームで選手兼監督として活躍してきた。今も引退を表明せず、選手たちと同じ目線で指導する男の信念に迫った。(取材・文=二宮寿朗/全5回の1回目)

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 現役を続けているからこそ、伝えられることがある。

 永井雄一郎は47歳になった今も引退していない。社会人チームを渡り歩いて「選手兼監督」という独自路線を突き進んできた人は、浦和レッズ時代の同僚、細貝萌が社長を務めるJ3のザスパ群馬から声が掛かり、今年からアカデミーダイレクター兼U-18監督を務めている。

 春休みの昼下がり――。

 居残りでシュートストップの練習に励むU-18のGKたちに対して、永井は最後まで付き合って“生きたシュート”を蹴り続けていた。全体練習でも一緒にボール回しに入って選手たちと一緒に汗を流す。彼はピッチで育成組織の選手たちと同じ目線に立とうとしていた。

「サッカーをやるのが好きなので(現役を)辞めることなんて考えていません。自分の場合、引退となってしまうとボールを蹴らなくなって、指導も口で言うだけになってしまう。体が動くうちは一緒に動いて、ああだよ、こうだよってデモンストレーションでも見せられるようにしたい。今、股関節が良くなくてあまり動けていないので、しっかり治してフィジカルも追い込んでいけたらと思っています。サッカーは絶対、辞めたくないですね。自分からサッカーを取り上げないでもらいたい(笑)」

 引退を表明しなければならない規定などなく、カテゴリーにこだわらず生涯スポーツという観点に立つなら、永井の生き方が今後は主流になっていくかもしれない。

 記憶に残るドリブラーである。

 1999年のワールドユース選手権(U-20ワールドカップ)準優勝メンバーの一人であり、10年以上在籍した浦和レッズでは2代目ミスターレッズとも称され、なくてはならない存在であった。制覇した2007年のACLにおいて大会MVPに選ばれるなどレッズ時代の「第1章」を終えると、カテゴリー問わず大好きなサッカーに没頭する充実の第2章が待っていた。

 横浜FC時代に出会ったカズ(三浦知良)に、大きな影響を受けている。当時40代半ばだったカズの情熱はほとばしっていた、

「浦和レッズの時はただただ必死で、その後に清水エスパルスや横浜FCに行って“こういうサッカーもあるんだ”とサッカー観がちょっと広がったところに、カズさんを間近で見ることができたんです。もっと上手くなりたいと、生活もすべてサッカーに注いでいくあの人の姿に触れて、自分もずっとサッカーをやっていたいとすごく思わされました。

(結果に)必死な自分から、うまくなることに対する欲に向かおうとする自分にまた戻っていく感じがありました。もっとうまくなりたい、もっとサッカーを知りたい、と」

 もともと自分にあった感情を、カズとの出会いによって掘り起こされた。

 周りがセカンドキャリアに向けた準備をしても永井はあえて無視した。その分、逆にサッカーに集中しようとした。出場機会が減ろうとも、そこに抗うように。

「むしろセカンドキャリアを考え始めたら、絶対に引退を早めると思っていました。僕自身、サッカー選手として1年でも長くやりたいので、もっと必死こいて、腹括ってやらなきゃいけない。(セカンドキャリアの)勉強会に行くとか、誰かに話を聞きに行くとか、僕は一切やらなかった。そんな時間があればサッカーのことばかり考えていました」

選手兼監督としてチームをつくっていく、大変でも幸せな時間

 2013年から関西1部のアルテリーヴォ和歌山で、2015年からはJリーグに戻って3シーズン、ザスパでプレーする。その後、永井はJクラブを離れてアマチュアチームに身を置くようになる。サッカーを続けられるならカテゴリーも環境も二の次。39歳になった2018年は神奈川県1部のFIFTY CLUB、2020年には同2部のはやぶさイレブンへ。ここでは2年目にコーチ兼任、そして3年目に監督兼任となって関東社会人大会で優勝を遂げて関東2部昇格を果たす。ちょうどJFA指導者ライセンスのA級コーチジェネラルを取得すべく講習を受けていた時期でもあった。

「もともと指導者をやりたいとは思っていませんでした。ただ社会人サッカーで選手を続けていくうえでの条件が指導者との兼任だったので、指導者ライセンスを取得しなければならなくなって。フィジカル頼みのサッカーをしていても(勝ち続けるのは)難しいので、どう戦っていけば関東リーグに昇格できるか道筋を立てながら、やるべきサッカーを整理していきました。僕が率先して試合に出ちゃうと選手のモチベーションにも関わってしまう。だから、なるべくほかの選手を優先していく形にはなりましたけど」

 サッカーでは珍しい選手兼監督。自分でつくった練習メニューを一緒にこなしつつ、チームをつくっていく。サッカーを考えること自体が好きであり、大変だと感じる一方で、それは幸せな時間でもあった。

 アマチュアチームならではの山あり谷ありのエピソードもある。

 永井は2023年、埼玉県北部3部に属するKONOSU CITY FCの監督兼選手となる。練習は週に2度だけ。上を目指すチームにしたいという熱意を受けて鴻巣にやってきたものの、実際の現場は大学サークルのノリに近かったという。

 永井以外の選手は年のだいぶ離れた大学生だけ。練習の日も最初は4、5人しか集まらなかった。

「聞いた話とはだいぶ違うなとは思いましたよ。開幕戦もスタメンで起用しようとした子が試合に来ていないので、ほかの子に理由を聞いたらバイトのようです、と。それに試合の日に初めましての子もいました。試合も当然、負けました」

 本気の選手と遊びの延長でいい選手に分かれていた。永井は「今来ているメンバーたちが、来ていないメンバーたちをどれだけ本気にさせるか」と呼び掛け、まず自分が本気になってやっていくことを示そうとした。

 永井の思いが伝わって、1人ひとりのマインドが変わっていく。最終的には本気の集団になって3部から1部に昇格している。ここで2年過ごし、2025年には東京都2部の大森FCでも選手兼監督に。指導者ライセンスもJリーグクラブのトップチーム監督資格となるProライセンスを取得。そして再びザスパとの縁があった。

 新しいタームの「第3章」。こだわってきた選手の肩書きを一度外してまで、古巣に戻ってアカデミーの指導者になったのは一体なぜだったのか――。(文中敬称略/第2回へ続く)

■永井雄一郎 / Yuichiro Nagai

 1979年2月14日生まれ、東京都出身。三菱養和SCユースから97年に浦和レッズに加入し、1年目からリーグ戦30試合出場3得点を記録。同年のワールドユース選手権(現・U-20ワールドカップ)にも出場した。カールスルーエ(ドイツ)への期限付き移籍を経て99年は浦和に復帰すると、2度目のワールドユース選手権出場を果たし、日本の準優勝に貢献。2003年にはA代表にデビューし、初得点も記録している。浦和ではJ1優勝、AFCチャンピオンズリーグ優勝などを経験。09年の退団以降は、清水エスパルス、横浜FC、ザスパクサツ群馬(現・ザスパ群馬)などのJリーグクラブのほか、アマチュアチームを渡り歩き、選手兼監督としても活躍。26年からはザスパ群馬のアカデミーダイレクター兼U-18監督を務めている。

(二宮寿朗 / Toshio Ninomiya)



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二宮寿朗

にのみや・としお/1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『岡田武史というリーダー』(ベスト新書)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)などがある。

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