一般入試→理工学群…筑波大で「文武両道」 エンジニア志望から激変「プロを目指して」

筑波大学の相澤知哉【写真:安藤隆人】
筑波大学の相澤知哉【写真:安藤隆人】

筑波大学の相澤知哉「やるからにはこの1年間、プロを目指していきたい」

 今月、いよいよ全国各地で開幕した大学サッカーリーグ戦。プロ内定選手、これからプロを目指す選手、そして大学という新たなステージに移行した選手たちが全国各地で激闘を繰り広げる。

【PR】ABEMA de DAZN、2/6開幕『明治安田Jリーグ百年構想リーグ』全試合生配信!毎節厳選6試合は無料!

 ここでは大学サッカーのステージで躍動する選手たちをピックアップしていく。今回は関東大学サッカーリーグ1部から。前年度王者の筑波大学は開幕戦で今季から1部昇格を果たした早稲田大の前に1-2で敗れた。

 2連覇に向けてのシーズンの初戦を落としてしまったが、西が丘サッカー場のピッチに初めて立った4年生MF相澤知哉が下克上を誓う気迫のプレーを見せた。相澤にとってこの試合が、ずっと待ち望んでいたトップチームでの公式戦初出場であった――。

「昨年までずっとセカンドチーム以下でトップは遠い存在だと思っていました。でも、昨年の最後のほうにトップに昇格したときは『ついに来た』と思ったのですが、そこで怪我をしてしまい、結果としてインカレメンバーに入れず、本当に悔しかった。だからこそ、今年は何がなんでも試合出場をしてやると思って臨みました」

 早稲田大戦、相澤は190センチのFW小林俊瑛とともに2トップを組んだ。初めてのトップ公式戦がいきなり西が丘での開幕戦で、しかもスタメン。いきなりの大抜擢だったが、相澤は小林のポストプレーを受けたり、間に顔を出して縦パスを引き出したり、降りしきる雨のなかでボールをつなぐことに苦戦するチームのなかで精力的に動き続けた。

 だが、チームはカウンターから前半で失点。前半35分にMF安食優斗が1点を返し、後半はペースを握るが、ゴールをこじ開けられないまま後半12分に最初の交代としてベンチへ下がった。

「筑波大蹴球部である以上、勝たなければいけない試合を落として、スタンドで応援してくれる人たちに申し訳なかった。出ていることに喜んでいてはダメだし、自分の実力不足と責任の重さを痛感しました」

 試合後、悔しさを滲ませていたが、相澤にとってこの試合はとてつもなく大きな一歩であることは間違いなかった。

 相澤は筑波大に一般入試でやってきた。一般入試で入ってトップチームで主軸になっているCB小川遼也を始め、学群推薦で入ってくる選手以外でもトップの試合に絡めることは筑波大の伝統となっている。

 だが、その多くが体育専門学群に所属をしているが、相澤はトップチームで唯一理工学群に所属をしている。スケジュールが体育専門学群とは異なり、カリキュラム的に大変なこともあるが、それでもサッカーに実直に向き合っていた。

「小さい頃から文武両道をやりきることに憧れていましたし、そのなかで筑波大で好きな理系を学びながら、サッカーもハイレベルな環境で一生懸命できることは、僕にとって幸せなことなんです。だから、結果が出せなくて悔しい思いもしましたが、それ以上にこうして両方に対して真剣に向き合えていることが幸せなんです」

 愛知県刈谷市出身の相澤は地元のクラブチームである刈谷トラヴェッソSCでサッカーを始め、中学時代は強豪の刈谷JYでプレー。勉強もしっかりと打ち込んでいた相澤にとって、家の近所のグラウンドで試合をする刈谷高サッカー部は憧れの存在であった。

 刈谷高といえば愛知県屈指の進学校であり、サッカー部はこれまで高校選手権19回出場で、1955年度、1958年度に準優勝。インターハイも1967年度に準優勝をしており、白地に赤の“伝統の赤ダスキ”ユニフォームで愛されている伝統校でもある。

「昔から刈高の赤ダスキに憧れていましたし、小学高学年のときには刈高~筑波大に進学をして、サッカーも勉強も両方ハイレベルでやると決めていました」

 その意思通りのルートを歩んできた。刈谷高ではトップ下の主軸として活躍する一方で、高校2年生になるタイミングで理系を選択した。

「科目のなかで物理が得意だったのと、サッカー以外にはF1が大好きなので、将来はF1に関わるような仕事ができたら最高だなと思っていました。エンジン設計などのエンジニアになろうと思って、筑波大も理工学群を受験しました」

 高い志を持って入学すると、勉強はもちろん、サッカーでも一番下のカテゴリーから徐々に序列を上げていった。昨年の前半はセカンドチームで控えの存在だったが、後期に入って徐々に出番を掴み取り、そしてついにトップ昇格を手にした。

 今、相澤は理工学群のなかでも都市・経済・マネジメントの領域を含めた社会工学類を専攻している。これは「技術者というより、マネジメントなどに興味を持ち始めて、文理融合をして理系的な経済システムの構築をやりたいと思って選びました」と、将来の展望を少し変えて選択したものだった。そこに加えて、サッカー面でも展望に変更点が生まれたという。

「去年まで大学サッカーは僕にとって、自分のサッカー人生の集大成の場だと考えていました。でも、こうしてトップで出場できるようになって、より『もっとサッカーを続けたい』という思いが強くなってきました。だからこそ、やるからにはこの1年間、プロを目指していきたいなと思っています」

 文武両道もまさに新たなフェーズに移行している。新たな夢と目標、そして将来ビジョンを持った相澤は、最後に「この一歩は将来への一歩だと思っています。これからも踏み出し続けます」と力強く宣言をして、西が丘サッカー場を去っていった。

(安藤隆人 / Takahito Ando)



page 1/1

安藤隆人

あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。

今、あなたにオススメ

トレンド