W杯決勝前のロッカーで…ロッベン拍手「おお、またお前か!」 祝福された日本人とは

西村雄一氏「なんと両チームから祝福を受けるという不思議な光景がありました」
2010年、アフリカの地に初めてワールドカップがやって来た。その南アフリカで開催されたワールドカップでは、一人の日本人レフェリーが注目を浴びていた。(取材・文=森 雅史)
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西村雄一氏はグループリーグで3試合、そして準々決勝のオランダ対ブラジルというビッグカードで主審を務めた。1大会で4試合の主審を担当したのは、日本の審判史上最多記録である。この大会で招集されたレフェリーチームが29トリオだったことを考えると、これだけ多くの試合で笛を吹いたことは西村がどれくらい高い評価を受けていたかが一目瞭然だった。
しかし、当の本人はその「評価」という言葉を慎重に避ける。
「評価というよりも、信頼してもらった、という感じですね。なぜなら、評価は結果に対して与えられるものですが、信頼はプロセスのなかで積み上がるものだと思っています。2010年の舞台に立つまでに、実は3年がかりのプロジェクトがありました。
2007年からの各アンダー世代のワールドカップで、我々は常にFIFAから実力を見極められていました。そのプロセスをともに歩んできたFIFA審判部長のホセ・マリア(・ガルシア=アランダ)さんに、日本のバックアップ体制を含めた『チーム・ジャパン』として積み上げてきたことを信頼してもらったからこそ、あの舞台に立てたと思っています」
2010年大会の幕開け、アジアから選ばれた2人の新人レフェリーが開幕日の2試合を任された。一人はウズベキスタンのラフシャン・イルマトフ、もう一人が西村だった。
「FIFAからアポイントの発表があったときは驚きましたが、これは『いつも通りのパフォーマンスをしてきてほしい』というメッセージと受け取りました。この捉え方が重要でした。ワールドカップだからと気負って、実力以上のものを発揮しようとすると、大抵ゲームはうまくいきません。我々はただ、準備してきたことを、いつもどおりやろうとピッチに向かいました」
西村の話からは「審判界のエリート」として、他者を蹴落として階段を上ってきたのではないことがよく分かる。そこには「競争」という概念が存在しない。
「我々は、レフェリーパフォーマンスのコンペティション(競争)をしているわけではないんです。決勝戦を目指して審判同士が競い合うような風潮は、レフェリーにとって無用なプレッシャーを生み、本来の目的を見失う原因になりかねない。我々は、大会を成功させるために集まったサッカーを支える仲間なんですよね。
世間では1次リーグで帰国するレフェリーを『返された』と表現する人たちもいますが、それはFIFAからの評価によるものではないんです。自国チームの勝ち残り状況(自国チームの利益になるようなカードは担当できない)、中立性の担保、そこまでの担当試合の流れなど、ポジティブな理由によるもので、十分に任務を全うしたことへの敬意と感謝の『リリース』なんです」
西村は準々決勝、オランダ対ブラジルという歴史に残る激戦を任される。試合はブラジルが追い詰められる展開となり、後半、感情を抑えきれなかったフェリペ・メロが相手を踏みつける事態が起きた。西村は迷うことなくレッドカードを提示した。
「あの場面、私の位置からはどこがどこに接触したのかは見えていませんでした。(踏んだ足が)体の向こう側でしたから。ただ、膝の角度や体の動きから『踏んだな』と。仮定的消去法で状況と事象を整理し、見えたものに対して正直に対応しました。勇気というより、正直さが勝った瞬間だったのかもしれません」
この毅然としたジャッジ、その後の混乱を招かなかったゲームマネジメントが、さらにFIFAの信頼を深めることになる。主審としての役割を終えた後も、西村は大会に留まり、第4の審判として準決勝、そして決勝に参加することになった。
「実は、第4の審判として決勝戦の試合前に両チームのロッカールームへ用具チェックに行ったとき面白いことが起きました。私は準々決勝、準決勝に続いて決勝も担当したので、オランダ3連戦ですね。
ロッカールームの扉を開けて『こんにちは』と言ったら、私が担当して2連勝でしたので、アリエン・ロッベンやナイジェル・デ・ヨングが『おお、またお前か!』と拍手で迎えてくれたんです。
一方、スペイン側も、2007年のU-17決勝で優勝したときのメンバーや、背水の陣でホンジュラスに勝利した第2戦を覚えていて、なんと両チームから祝福を受けるという不思議な光景がありました」
2010年大会、西村雄一が世界のトップクラスであったことは、ピッチ上の判定のみならず、選手やFIFAとの間に築かれたこの「信頼」の厚さが物語っている。当然のように、彼は4年後のブラジル大会にも招集される。変わらぬ信頼を寄せられ、ついに開幕戦という大役を任されることになった。しかし、そこには想像を絶する難しい局面が待ち構えていた。
(森雅史 / Masafumi Mori)

森 雅史
もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。



















