本田圭佑に言った「もう帰っていい」 後日謝罪「すみません」…再認識した“向き合い方”

北京五輪に出場した本田圭佑【写真:アフロスポーツ】
北京五輪に出場した本田圭佑【写真:アフロスポーツ】

江尻篤彦氏は2008年北京五輪代表のコーチを務めた

 東京ヴェルディの江尻篤彦強化部長が、選手時代を過ごしたジェフユナイテッド市原(現千葉)で指導者人生の初期を過ごしたことは前回触れた。イビチャ・オシムという偉大な名将の下で働くチャンスを得られるのは滅多にないこと。今は亡き恩師に彼は心から感謝する。

【PR】ABEMA de DAZN、2/6開幕『明治安田Jリーグ百年構想リーグ』全試合生配信!毎節厳選6試合は無料!

 その貴重なキャリアに期待を寄せたのが、地元・清水の先輩に当たる反町康治氏(清水GM)だ。2008年北京五輪を目指す日本代表が発足した当初、江尻氏はアルビレックス新潟でコーチを務めていたが、反町監督から直々のオファーがあって2007年頭から北京五輪代表コーチに就任。ともにアジア予選、本大会を戦うことになったのである。(取材日:2026年3月4日、取材・文=元川悦子/全4回の4回目)

   ◇   ◇   ◇   

 2007年2~6月にかけて2次予選を戦ったが、5月の香港戦で最終予選進出が決定。最後のマレーシア戦は消化試合と位置づけられた。このタイミングで抜擢されたのが、長友佑都(FC東京)、岡崎慎司(バサラ・マインツ監督)、鈴木修人(鹿島アカデミーダイレクター)らだった。常連組でなかった面々を起用した背景には「競争を加速させるため」というハッキリした意図があった。

「ソリさんとは2005年の新潟でも一緒に仕事をして、固定したメンバーでチームを作って戦うというスタイルもやりました。でも五輪代表の時は『競争させろ』というオシムさんの考え方を取り入れ、実践したんです。

 当時はオシムさんが代表監督で、ソリさんはコーチも兼務していましたし、同じ哲学でチーム作りを進めていくべきだと考えていたのかなと。あのタイミングで佑都やオカを呼んだことで、チームに大きな刺激が加わったのは間違いない。競争というのは北京五輪代表の一貫したポリシーでした」

 五輪本番に向けても、「日本の未来のため」という確固たる方向性を定め、最終メンバー18人を選出。最終予選を戦っていない19歳の吉田麻也(LAギャラクシー)、22歳の森重真人(FC東京)らを抜擢した。逆に実績のあった青山敏弘(サンフレッチェ広島コーチ)や青山直晃(岐阜VAMOS代表)が落選するサプライズもあり、本体では3戦全敗の憂き目にも遭ったが、北京に赴いた18人中17人がのちに日本代表入り。本田圭佑や長友、岡崎のように長く主軸を担った選手も出現したのだ。

「北京のメンバー選考は本当に物凄く悩みました。オーバーエージで呼ぶはずだった楢崎正剛(名古屋GKコーチ)、遠藤保仁(G大阪コーチ)、大久保嘉人の3人の招集が叶わず、ソリさんとも『だったら3年後の日本代表の中心になれる選手で戦おう』と覚悟を決めました。

 そこから佑都やオカ、(内田)篤人、(香川)真司(セレッソ大阪)たちが大きく成長してくれた。圭佑も当時から自信満々で、実際に日本の中心になりましたけど、あの頃はまだ未熟なところがありましたね(笑)。

 一度、同部屋だった家長(川崎フロンターレ)と揃ってミーティングに遅刻してきたことがあって、『大事なミーティングに遅れてくるならもう帰っていい』と怒ったことがありました。2人は揃って部屋に戻り、後から『すみませんでした』と謝りに来ましたけど、圭佑はそうやって怒られても前向きに突き進むスタンスは変わらなかった。

 指導者も『こいつは扱いづらいから』と遠ざけるんじゃなくて、しっかりと向き合うことが大事。その重要性を再認識したエピソードですね」と神妙な面持ちで言う。

 反町監督、そして日本サッカーを担ったタレントたちとの関わりから大きな学びを得た江尻強化部長。現日本代表監督の森保一監督も、北京五輪世代の長友らの経験値を大事にしてくれている。森保監督とはハンス・オフト監督時代の日本代表の同僚でもあるが、さまざまな部分で刺激を受けることが多いようだ。

「彼は自分の1つ下ですけど、海外の高いレベルでプレーしている選手たちをまとめ上げている。そのマネージメントを興味深く見ています。

 代表というのは結果が第一で、それを追い求めながら、選手をうまく使いこなすのは本当に難しい。過去には堂安(フランクフルト)や久保(レアル・ソシエダ)を外したこともありましたけど、彼には『確固たる基準』があるのかなと感じます。

『これは絶対にやってもらわなければいけないこと』を明確に提示して、全員を同じベクトルに向けさせるというのは、今の自分にも課されている命題。模索すべき点は多いですけど、現場に関わる1人1人としっかり向き合っていくことが第一ですね」

 ヴェルディも近年、クラブ規模が拡大。強化部の組織も大きくなっている。江尻強化部長が2020年に就任した頃は一手に仕事を引き受けている状態だったが、今は西脇徹也強化副部長ら5人のスタッフとともに組織で戦うようになった。

 そういった人材の力も借りながら、短期的にはJ1定着、中長期的にはJ1・1ケタ順位、そしてAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場という高みを目指し、着実にステップを踏んでいく構えだ。

「我々は夏からU-21リーグに参戦しますけど、トップと育成の連携強化はより重要なテーマになってくると思います。もともとヴェルディの育成は素晴らしい歴史と経験がありますけど、寺谷(真弓)アカデミーダイレクター、中村忠ヘッドオブコーチングといった優秀なスタッフと協力しながら、強い組織を作っていけば、短期・中長期目標も達成できると考えています」と、ここからも前向きに前進していく構えだ。

「オシムさんに『死ぬまで頭を使え』と言われたことは、今も心に深く刻みつけています。

 2007年11月に倒れて、長期間リハビリをされていた間、僕は何度も病院に行きましたけど、いつもサッカーの映像を見て、何かを考えていたんです。『ワインを持ってこい』と言われた時にはさすがにストップをかけましたけど(笑)、貪欲に生きようとする姿勢が印象的でした。

『人は最後の最後まで考えるもの。考えるのをやめた瞬間に棺桶に入るんだ』とも言われましたが、本当にその通りだなと。クラブ規模を大きくしていくフェーズでも考えることはできますし、アイディアや工夫次第で強いチームは作れるんです。2000年代のジェフのように今のヴェルディもまだそこまで金銭的には潤沢ではないですけど、戦える集団になれると信じています」

 ヴェルディが90年代を上回る栄光をつかむためにも、強化トップがアグレッシブに突き進むしかない。ここからの江尻強化部長の一挙手一投足が本当に楽しみだ。

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



page 1/1

元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング