J名門に特別指定も「要は逃げ道」 退路を断ち欧州へ…あえて選んだライバルがいる新天地

塩貝健人はあえて小川航基がいるNECを選んだ
慶應義塾大学の現役学生であり、J1の横浜F・マリノスの特別指定選手。一見すれば、これほど将来が約束された椅子はなかった。だが、塩貝健人はその椅子を自ら降りた。
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「マリノスで出られない時は、大学の試合に出る。それって要は、逃げ道があるってことじゃないですか」
周囲が羨む「二足のわらじ」の環境に、この男は違和感を覚えていた。なぜ塩貝は安定したキャリアを手放し、日本代表のストライカー・小川航基が在籍するオランダのNECナイメヘンへと飛び込んだのか。そこには、塩貝健人という人間を貫く、一本の筋があった。
(取材・文=林遼平/全4回の3回)
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2024年夏、塩貝は一つの大きな決断を下した。横浜F・マリノスの特別指定選手としてJ1デビューを飾り、現役大学生Jリーガーとして脚光を浴びていた中、同クラブとの契約を解除し、オランダのNECナイメヘンへの完全移籍を発表したのだ。
慶應義塾大学のサッカー部に籍を置きつつ、週末は日産スタジアムでゴールを狙う。多くの大学生プレーヤーが羨むその環境には、ある意味、約束された将来があった。
だが、塩貝はこの環境にもどかしさを感じていた。
「正直なところ、特別指定という立場でサッカーを続けるのが嫌だったんです。マリノスで出られる時は行くけど、出られなかったら大学(慶應)の試合に出る。それって、要は『逃げ道』があるってことじゃないですか。マリノスでダメでもこっちがあるよ、という」
その言葉は、単なる自己研鑽のためだけではない。共に戦う仲間への、塩貝なりのリスペクトから発せられたものだった。
「僕がいなかったら試合に出られる選手が慶應にはいたわけで。もし自分が逆の立場だったら、練習にも出ていないやつが、プロで出られないからって急に帰ってきて試合に出るなんて、監督に『ふざけんな』と言いに行くレベルというか。それは慶應の選手たちに対してもリスペクトがないし、あってはならないことだと思っていました」
この状況を変えるために横浜FMにどう入っていくかを考えていた時、U-19日本代表として参加した2024年6月のモーリスリベロトーナメントで大会得点王という大きな結果を残した。それをきっかけに海外クラブからのオファーが舞い込むことになった。ただ、これほど早いタイミングでの決断は、本人にとっても迷いがなかったわけではない。
「最初はマリノスでやりたいと思っていたんですけど、やっぱりチャンスっていつ来るかわからない。ここで日本に留まる選択をして、もし将来うまくいかなかった時、あの時行っておけばよかったと後悔するだろうなと思いました。だったらチャレンジして、無理だったらまた帰って這い上がればいい。すごく悩みましたけど、チャレンジすることに決めました」
移籍先に選んだのは、日本代表FW小川航基がエースとして君臨するNECナイメヘン。あえて日本人のライバルがいる環境に飛び込むのも、塩貝らしい計算があった。
「(成長のためには)一緒にプレーする人が大事だなと思っていて。マリノスに決めた時も(アンデルソン・)ロペスと争いたかった。デカいし、シュートのクオリティもあって一緒にやったら伸びるだろうなと。だから、航基くんがいることは、僕にとって決め手の一つでした。日本代表のストライカーが目の前にいる。そこでスタメンを奪い取れば、自ずと代表が見えてくるじゃないですか。それにいいところも盗める。ライバルの存在は絶対に大事だと思うし、『誰々には負けない』と思わないと成長できないタイプなので、航基くんのような存在がいないと自分は成長できないと思っていました」
退路を断ち、鳴り物入りで渡欧した塩貝だったが、異国の地での生活は決して簡単なものではなかった。強気な発言が目立つが、その裏側には、20歳の青年らしい繊細な素顔も隠れている。
「実は、めちゃくちゃ寂しがり屋なんですよ。こっちでの生活はきついです。夜になると寂しすぎて、代理人に電話をかけたり…(笑)。ホームシックになりがちで結構、電話とかよくしてます。でも、成功するためには何かを犠牲にしなきゃいけないと思っていて。僕のような年齢だといろいろな誘惑もあると思うんですけど、そういったものを犠牲にしてヨーロッパで戦うのはいいチャレンジだなと。その犠牲があって初めて成功するのかなと思っています」
その孤独を癒やすのは、やはりピッチで結果を残すしかない。加入初年度はなかなか出場時間を得ることができなかったが、当時首位だったPSV戦で初ゴールを奪取してから最終的に4得点を記録。今季も4試合出番なしという屈辱こそ味わったが、そこから奮起したこともあり、ハーフシーズンで7得点を記録してブンデスリーガへとステップアップすることになった。
ここまで言葉を聞いていると、一貫して「知性」と「野性」のバランスが共存していることに驚かされた。塩貝は自分のことを「頭は良くない」と謙遜するが、自らの立ち位置を客観視する能力は極めて高いように感じた。
「自分を大きく見せることは大事ですが、慢心はダメ。いい意味で過信するのはいいと思っているんです。ただ、過信し過ぎるのもよくないと思うので、その塩梅が大事かなと。逆に自分に自信が無さ過ぎるのは絶対ダメなので」
「僕は性格的にイケイケのタイプじゃない。陰キャだし、点を取ってもウエーイとかはならないですけど、普通に心の中ではウキウキしてます。それにアンチコメントを見たら普通に食らう時もあります(笑)。間に受けるタイプなので。でも、そういうのにしっかりイラついて、黙らせに行かないと面白くない。だからこそ、その人たちを結果で黙らせた時の幸福感がある。そうじゃなきゃあんま燃えないですね」
横浜F・マリノス内定という安定を捨て、一人のストライカーとして欧州の荒波に飛び込んだ塩貝健人。彼が求めたのは自分を極限まで追い込む純粋な競争だ。
「ここで満足したら終わり。日々成長です」
次に見据えるのは、クラブでの結果だけではない。その先にある青いユニフォームへの道筋を、この男はすでに描き始めていた。
(林 遼平 / Ryohei Hayashi)

林 遼平
はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。












