“マイアミの奇跡”の舞台裏「自分は大丈夫だ」 転機は試合前の一コマ…川口能活が世界に立った日

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:川口能活(ジュビロ磐田GKコーチ)第3回
日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”を繋いでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。
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FOOTBALL ZONEのインタビュー連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。ブラジルを破って世界を驚かせた“マイアミの奇跡”で、川口能活は主役となる。度重なるピンチを防ぎ、虎の子の1点を守り切った活躍の背景には、積み重ねてきた努力への自負があった。世紀の一戦を経て、次のステップとなるA代表へと活躍の場を移していく。(取材・文=二宮寿朗/全6回の3回目)
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川口能活が初めて世界の舞台に立ったのは、1996年のアトランタ五輪である。
1996年7月21日、マイアミ・オレンジボウルで行われた優勝候補U-23ブラジル代表とのグループリーグ初戦。相手はオーバーエイジのベベット、リバウド、アウダイールをはじめロベルト・カルロス、ジュニーニョ・パウリスタらその名を世界に轟かせていた選手が揃うスター集団。金メダル獲得に本腰を入れてきたのは一目瞭然だった。
サッカー後進国の日本が勝利するなど誰も予期していなかった。スコアレスで推移していくなか、後半27分に伊東輝悦が相手の連係ミスによってこぼれたボールを押し込んで先制点を奪う。この1点を守り切ってアップセットを起こした一戦は“マイアミの奇跡”と称され、日本サッカー史に刻まれることになった。
守護神の活躍を抜きには語れない。28本のシュートを浴びながら、ゴールを許すことはなかったのだから。ゴール前にパスを出されれば鋭い出足で食い止め、的確なポジショニングと反応でシュートを確実に防いでいく。ハイボールの処理においても集中を切らさない。守備範囲は広く、ゴールポストも味方につけてしまうほどそのエリアの支配者であり続けた。
勝ちに不思議の勝ちなし――。
川口はできる限りの準備をして、この大一番に臨んでいる。30年前の記憶をよみがえらせた川口はフッと笑みを浮かべた。
「もうね、食事会場でずっとブラジルの選手たちの個人映像が流れているんですよ。ベベットにリバウド、ロナウド、ロべカル……利き足、ボールの持ち方、シュートの特徴といったものが自然と頭のなかにインプットされていました。本大会前にブラジルがニューヨークで世界選抜チームとチャリティーマッチをしていて、そこに乗り込んだスタッフが分析した情報も落とし込まれていました。
自分たちのやるべきことはクリアになっていたし、迷いもなかった。ただ、インテルでプレーしていたロベカルのFKやシュートって、世界のトップGKが集まっていたセリエAでも止められていないわけじゃないですか。自分が本当にやれるのだろうかって、当日まで不安でしかなかったです」
ブラジルを知れば知るほど、巨大に見えた。やるべきことはやったといくら自分に言い聞かせて不安を消したとて、またすぐに芽生えてきた。
だが、ふとしたことで、不思議にもその芽が取り除かれたという。
「試合直前になってリバウドやロベカルが、(GKコーチの)マリオのところに“久しぶり”みたいな感じで挨拶に来たんですよ。マリオはパルメイラスでコーチをしていましたから、ブラジルの選手たちとは顔馴染みなわけです。あの光景を目にした途端、不安がなくなってすごく落ち着きました。こんな凄い人から教わっているんだから、自分は大丈夫だって。自信を持ってやっていこうと思いました」
マリオからは選手たちのシュートの軌道なども叩き込まれていた。実際、直接FKから繰り出されるロベルト・カルロスのうなりを上げるボールを、彼は胸元に吸収するようにキャッチしている。弾いたところに、もし相手がいれば危険にさらされるが、手中に収めてしまえば相手はノーチャンス。シュートをしっかりキャッチするまで終わらなかったマリオコーチとのトレーニングの成果であった。時間が進んでいけばいくほど、川口はノッていく。自信がプレーにみなぎり、チーム全体の背中を押し続けたことが、あの奇跡の1点につながったのだ。
不安は消えなくても「本能的に向かっていけるモードになる」
心のなかに不安と自信の両方が同居していても、ピッチに立てば後者のほうに“全振り”できるのは一体なぜなのか。
「やっぱり戦う相手が目の前に現れると、本能的に向かっていけるモードになるんですよね。表現としては、それが“スイッチ”なんでしょうけど。練習では、うまくいったこともうまくいかなかったことも両方あります。でも、ずっと100%でやってきた自負はあるわけです。試合前になぜ不安になるかって、僕の場合は相手のことを考えすぎてしまう傾向があって。だけど試合になって相手を目にしたら、ふと我に返ることができる。
不安がすべて消えるわけではないですよ。でも、ほぼないような状態になるのは、練習でやってきたことを思い出して“俺はここまでやってきたんだから”というところに気持ちを持っていけるところがあるからなのかもしれません」
もし「ずっと100%でやってきた自負」がなければ、その境地に達することはできない。マリオへの挨拶はスイッチを押す一つのきっかけにすぎず、たとえこのシーンがなくとも川口はきっとどこかで探り当てたに違いない。
常に謙虚な姿勢であるように――。
これは胸に刻んできた東海大第一中時代の恩師、桜井和好の教えである。ブラジル撃破に満足することなく100%の毎日を続け、彼は次のステップに進んでいく。同年8月に、ウルグアイ代表との国際親善試合でA代表に初めて招集されると、川口の前に新たな壁が出現する。
「前川(和也)さん、下川(健一)さんと一緒にGKのメンバーに選ばれました。練習のなかでは2人との差というものをすごく感じましたね。特に前川さんは1対1での迫力、威圧感があって、これは敵わないって思いました。自分が考えていた以上に、日本代表の壁は厚いんだなって感じたことを覚えています」
一番下の序列から這い上がっていくのは横浜マリノスでもやってきたこと。前川、下川を参考にしつつ、己と向き合っていくことはA代表に選ばれてからも変わらない。研さんを続けるなか、1997年2月のキングスカップ、スウェーデン代表戦で早くもA代表デビューを果たす。
「デビューできましたけど、このままではダメだという思いのほうが強かったですね。日本代表のレベルに達していなかったので、成長しないといけない。そればかり考えていました」
本人は厳しい評価を下しながらも、加茂周監督からの信頼は高まっていく。21歳の伸び盛り。出場機会が増えていけばいくほどレベルを上げていく。守護神の座を射止めた川口は、初のワールドカップ出場に向けてアジア最終予選に臨もうとしていた。(文中敬称略/第3回に続く)
■川口能活 / Yoshikatsu Kawaguchi
1975年8月15日生まれ、静岡県出身。清水商業高校(現・清水桜が丘高校)から94年に横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に加入し、2年目の95年よりレギュラーに定着。1stステージ優勝と年間優勝に貢献し、Jリーグ新人王を獲得した。2001年にはポーツマス(イングランド)に移籍し、日本人GKとして初めて欧州でプレー。ノアシェラン(デンマーク)を経て05年にジュビロ磐田でJリーグ復帰を果たすと、13年まで在籍。FC岐阜、SC相模原でプレーし、18年のシーズン終了とともに現役を引退した。日本代表ではGKとして史上最多となる116試合に出場。W杯は1998年フランス大会から2010年南アフリカ大会まで4大会連続でメンバーに選出された。引退後は指導者の道に進み、23年より磐田のGKコーチを務めている。
(二宮寿朗 / Toshio Ninomiya)
二宮寿朗
にのみや・としお/1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『岡田武史というリーダー』(ベスト新書)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)などがある。




















