川口能活が打ち砕かれたプライド「自信失った」 チーム5番手→J優勝守護神へ…人生を変えた運命の1年

川口能活氏がプロ入り当時の苦しさを振り返った【写真:増田美咲】
川口能活氏がプロ入り当時の苦しさを振り返った【写真:増田美咲】

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:川口能活(ジュビロ磐田GKコーチ)第2回

 日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”をつないでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。

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 FOOTBALL ZONEのインタビュー連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。清水商高で日本一に輝いた川口能活は、横浜マリノスでプロとしての第一歩を踏み出す。実力者が揃うなかで自信を失いかけたものの、先輩たちのプレーを目に焼き付けながら、自分に足りないものを自問自答。不断の努力の末にプロ2年目でデビューを飾ると、そのままJリーグの頂点まで登り詰めていく。(取材・文=二宮寿朗/全6回の2回目)

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 壁に直面した時に、いかなる行動を取っていくかで己の未来が変わっていく。

 ひるまず登ろうとするか、それとも諦めるか――。

 清水商で全国制覇を果たした高校選手権のスターは、高校卒業後の1994年、横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に加入してプロのフットボーラーとなる。Jリーグが開幕して2年目。名門・日産自動車サッカー部を母体に持つマリノスには日本代表の松永成立を筆頭に浦上壮史、横川泉、2つ年上の高桑大二朗と4人の実力者がいた。

「シゲさん(松永)がトップチームの試合に出て、ガミさん(浦上)が大体サブに入っていましたよね。だからヨコさん(横川)、大二朗さんと一緒にサテライトでトレーニングしていました。累積警告でトップの試合に出られない選手やケガ上がりの選手がサテライトの練習に参加するんですけど、彼らのシュートを全然、取れない。ガミさんも大二朗さんも普通に取っているし、これがプロのレベルなのかと実感して、自信を失いましたね。各世代の日本代表に選ばれたり、高校選手権で優勝したりしてちょっとしたプライドもあったんですよ。でも完全に打ち砕かれてしまいました」

 目の前に出現した、思った以上に高い壁。川口は「ちょっとしたプライド」を砕かれながらも、壁に立ち向かおうとした。もはや練習あるのみ。フィジカルを高めていくためにストイックな生活を送り、プロのシュートに慣れるべく、現役時代にFWだったコーチの木村浩吉に練習後、ヘトヘトになるまでシュートを打ってもらった。そしてピーター・シルトンやジルマールのビデオを擦り切れるまで見た観察力を活かし、先輩たちのプレーを目に焼き付けることも忘れなかった。自分に何が必要で、何が足りないかを絶えず自問自答した。

「ありがたかったのはアトランタオリンピック代表の活動があって、マリノスでは4番手、5番手のGKだった僕を西野朗監督が呼び続けてくれたこと。試合に勝てても僕のパフォーマンスがあまり良くなくて、西野さんから『試合勘が落ちているな。試合に出られないとなると厳しいぞ』と言われたこともあります。自分も何とかしなきゃと思いながら、なかなかできない。それでも呼んでくれる西野さんの期待に応えるためにも、サテライトの2部練習に一生懸命取り組んでいました」

 へこんだことは一度や二度のみならず。特にベテランの横川には食事に連れていってもらい、激励を受けた。高桑には車で練習場まで送ってもらった。先輩たちにも支えられた。

 転機となったのが、その年の天皇杯である。高桑のケガ、横川の現役引退もあって3名のGK登録枠に名を連ね、トップチームの練習に参加できるようになった。

「大先輩である木村和司さんのFKや水沼貴史さんのシュートを僕は止められないのに、シゲさんは止めるんです。力の差を感じるなかでも、日々何とかしようとしていたら止められるようになった。サテライトでやってきたことが報われた気がしました」

デビュー戦で実感した勝利の大切さ

 年が明けたプロ2年目のシーズン、ホルヘ・ソラリ監督の目に留まって開幕戦からベンチに入ることになる。そして4月26日、東京・国立競技場での柏レイソル戦でJリーグデビューが決まった。前泊のホテルで「今までの力を出せば絶対に大丈夫だから」と緊張する川口の部屋を訪れて声をかけたのが、最後まで練習に付き合った木村コーチであった。

「チームのみんなも、サポーターも不安だったと思うんです。日本代表のシゲさんじゃなくて、19歳の若造で大丈夫なのかというスタンドの雰囲気も伝わってきましたから。井原(正巳)さんをはじめ必死に守ってくれて、苦しみながらも無失点で乗り切って試合に勝つことができたのは自信になりましたね。試合経験もそうですけど、同時に“勝つ”ということがどれだけ選手にとって大切か実感できました」

 勝つことによってチームメイトとサポーターに安心感を与え、それが信頼につながっていく。レイソル戦から3試合続けてクリーンシートを達成。だがチームはソラリとの対立が明るみになった初代得点王のラモン・ディアスや松永が退団すると、ソラリまでがクラブを去った。クラブに激震が走るなか、川口は逆にそれをバネにしていく。チームは1stステージを制し。2ndステージ覇者のヴェルディ川崎とチャンピオンシップを戦うことになった。

 JSL時代から読売クラブ対日産自動車は黄金カードとしてサッカーファンの注目を集めてきた。だが読売母体のヴェルディは3連覇の懸かる絶対王者となった一方で、日産の流れを汲むマリノスはまだタイトルがなかった。新生マリノスの象徴がルーキーの松田直樹であり、プロ2年目の守護神・川口であった。

 第1戦を1-0で勝利して迎えた第2戦。重圧が背中にのしかかればかかるほど、神懸かってくるのが川口である。ロングパスに抜け出してゴール前に迫った武田修宏に対して果敢に前に飛び出して防ぎ切ると、壁下を狙ったアルシンドの直接FKも右手を伸ばしてボールを弾いた。

「武田さんが抜け出した時の1対1はラインギリギリだったので、ちょっと判断が難しかったんです。それでも咄嗟に前に出てアプローチをかけてシュートコースを限定して防ごうと考えて、そのとおりになった。アルシンドのFKは下に来るとは思っていなかったので、自分でもよく止めたなって思います。

 マリノスに入った頃は自分がチャンピオンシップに出られるなんて思ってもなかった。プロのシュートに自信を失くしていたところから浩吉さんもそうですけど、和司さん、貴史さんのシュートまで止められるようになった。だからシュートに対する反応がついたし、自分のなかで勝負できるものになっていきました」

 抜け出されても、意表を突かれてもゴールに向かってくるボールにスッと反応できる自分がいた。序列で一番下の5番手だったGKが1年後にチャンピオンシップの舞台に立ち、2試合ともに無失点に封じてマリノスの初優勝に貢献することができた。

「苦しい時期に歯を食いしばって頑張っておかないと成長はできない。そのことを強く思うことができました」

 もし目の前にそびえ立つ壁に怖気づいていたら、この日の栄光は川口に訪れなかったに違いない。(文中敬称略/第3回に続く)

■川口能活 / Yoshikatsu Kawaguchi

 1975年8月15日生まれ、静岡県出身。清水商業高校(現・清水桜が丘高校)から94年に横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に加入し、2年目の95年よりレギュラーに定着。1stステージ優勝と年間優勝に貢献し、Jリーグ新人王を獲得した。2001年にはポーツマス(イングランド)に移籍し、日本人GKとして初めて欧州でプレー。ノアシェラン(デンマーク)を経て05年にジュビロ磐田でJリーグ復帰を果たすと、13年まで在籍。FC岐阜、SC相模原でプレーし、18年のシーズン終了とともに現役を引退した。日本代表ではGKとして史上最多となる116試合に出場。W杯は1998年フランス大会から2010年南アフリカ大会まで4大会連続でメンバーに選出された。引退後は指導者の道に進み、23年より磐田のGKコーチを務めている。

(二宮寿朗 / Toshio Ninomiya)



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二宮寿朗

にのみや・としお/1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『岡田武史というリーダー』(ベスト新書)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)などがある。

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