JFLで味わった挫折「契約満了でした」 8年後にまさか…電話に感無量「Jリーグから」

滋賀の本吉勇貴「そのような話が来るとは本当に思ってもいなかった」
滋賀県勢初のJクラブとして、8月開幕の新シーズンに臨むJ3のレイラック滋賀に稀有なキャリアを歩むゴールキーパーがいる。MIOびわこ滋賀のクラブ名称で日本フットボールリーグ(JFL)を戦っていた2018シーズンに「1番」を背負いながら、戦力外を通告されてわずか1年で退団。地域リーグやJFLで努力を積み重ねて8年ぶりの復帰を果たし、33歳にして初めてJリーグに挑む苦労人、本吉勇貴の生き様を追った。(取材・文=藤江直人)
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古巣に復帰した、という思いはなかった。かつて在籍した2018シーズンと比べて、所属するカテゴリーと経営体制、そしてクラブ名称が変わっていただけではない。滋賀県民が待ち焦がれてきた初のJクラブとして、J3への参入を果たした滋賀の一員になったゴールキーパー、本吉が思わず苦笑いを浮かべる。
「選手が全員変わっているんですよ。僕がいたシーズンに一緒にプレーしていた選手は1人もいないので、それがよくも悪くも自分にとってはすごく新鮮で、まったく新しいチームに移籍してきたという感覚ですね」
あらためて振り返ってみると、本吉本人が驚くほど稀有なキャリアを歩んできた。
神奈川県出身の本吉は多摩大学目黒高校から上武大学をへて、2015シーズンに関東サッカーリーグ1部のブリオベッカ浦安(現ブリオベッカ浦安・市川)に加入。チームは翌2016シーズンから日本フットボールリーグ(JFL)へ昇格し、本吉も2017シーズンを合わせた2年間で計30試合に出場した。
しかし、2017シーズンの浦安は16チーム中で15位に終わってJFLから降格してしまう。迎えたオフ。JFL残留を争ったMIOびわこ滋賀、現在のレイラック滋賀から望外のオファーが届いた。
浦安時代の「16」から、守護神の象徴である「1」を託された2018シーズン。しかし、主戦キーパーだった34歳のベテラン永冨裕尚(2021シーズン限りで現役引退)の壁を越えられなかった本吉は出場7試合、リザーブ11試合、ベンチ外12試合に終わる。在籍1年でオフに滋賀を退団した理由を苦笑しながら明かす。
「退団した経緯は……契約満了でした。8年前の自分はまだ若くて、試合にもそれほど絡めないまま終わってしまったので、まずは試合に出る経験を重ねよう、重ねたい、という思いが強くなりまました」
再出発の場は関西サッカーリーグ1部のおこしやす京都AC。2019シーズン以降の3年間で出場は20試合に留まったが、それでも2021シーズンのオフに古巣の浦安からオファーが届いた。そして、2023シーズンからJFLへ復帰した浦安で30歳を越えた本吉もレギュラーに定着し、3年間で78試合に出場した。
「浦安にも出戻りという形でしたけど、キーパーは試合に出てこそ得られるものがたくさんありますよね」
こう振り返った本吉は、33歳になった自身のストロングポイントを自信満々にこう語る。
「一番はシュートストップです。もちろん自分一人だけでは絶対に守れないので、ディフェンス陣たちとコーチングでコミュニケーションを取りながら、最後に自分がシュートを止めて失点しないところだと思っています」
くしくも2023シーズンは「3年でJ3参入」を合言葉に、新体制のレイラック滋賀が再出発していた。そして前シーズンのJFLで最下位だった滋賀は快進撃を続け、2位をキープしたまま最終節を迎えた。
ヴィアティン三重に勝てばギラヴァンツ北九州とのJ3・JFL入れ替え戦に進めた滋賀は、終了5分前に追いつかれて悪夢のドローに終わる。そして滋賀を抜いてクラブ史上で最高位の2位に躍進したのが浦安だった。
このときは浦安がJ3参入資格をもっていなかったため入れ替え戦は実施されなかった。最終節でFCマルヤス岡崎相手にクリーンシートを達成し、快勝と2位フィニッシュに貢献した本吉が言う。
「目の前の試合を必死に戦っていたら、そう(2位に)なってしまったというか。あのときは僕たちも『滋賀が入れ替え戦に進むだろう』と思っていたので、結果を知ったときは『えっ』という感じでした」
昨シーズンのJFLでも滋賀と浦安は2位を争い、第29節の直接対決で引き分けた結果、最終節を残して滋賀の2位が確定。J3最下位のアスルクラロ沼津との入れ替え戦も2戦合計4-3で制して悲願を達成した。
ホームの平和堂HATOスタジアムで滋賀が3-2で先勝した昨年12月7日の第1戦。MIOびわこ滋賀時代のチームメイトたちと観戦に訪れた本吉は、試合後に滋賀の内林広高社長と話す機会があった。
2018シーズンの在籍選手がいなくなった一方で、当時は滋賀の運営会社の営業部長を務めていた内林社長は、本吉をして「そのときから関わりのある唯一の方」と言わしめる存在だった。
そして、敵味方として顔を合わせるたびに、本吉が「そろそろ滋賀に呼び戻してくださいよ」とジョークまじりに挨拶。内林氏が「いやいや、お前、シュートを止めすぎやろう」と返す関係が続いていた。
もちろん第1戦の後も挨拶をかわしただけだった。だからこそ、滋賀のJ3参入決定からしばらくして、内林社長からかかってきた電話で切り出された獲得オファーに、本吉は感無量の思いを抱いている。
「Jリーグに上がるチームから、そのような話が来るとは本当に思ってもいなかったので」
そもそも滋賀はなぜ、実に7年もの歳月をへて本吉を復帰させたのか。内林社長が言う。
「2018シーズンを振り返れば、どちらかと言えば彼にチャンスというものがなかった。その後の経歴は素晴らしいものがあるし、実際に彼にはシュートを止められまくって、ウチもかなり苦しめられてきたので」
最後まで滋賀を苦しめた昨シーズンの浦安の総失点25は、実は三重と並ぶリーグ最少だった。2026シーズンの構想のひとつとして、守護神の櫛引政敏、在籍5年目の伊東倖希、36歳の笠原淳で形成してきたキーパーチームを4人とする方針を決めていた滋賀にとって、本吉は唯一無二の補強候補だった。内林社長が続ける。
「言い方がちょっと悪くなりますけど、数合わせ的に若い選手を入れるのではなく、チーム内で競争を生み出す必要がありました。ウチはまだJ3という立ち位置で、もっともっと上を目指していかなければいけないので」
2度目の滋賀で本吉は「41番」を選んだ。そこには「21」の櫛引と「1」の伊東、さらに「31」の笠原と全員が「1」絡みの番号を背負うキーパーチームで切磋琢磨する決意が込められている。なかでも同じ1992年度生まれで、J1出場経験があり、2016年のリオデジャネイロ五輪代表にも名を連ねた櫛引に憧憬の思いを抱いてきた。
「僕の世代のスーパースターですし、オリンピックを含めて、高校時代からずっと見てきたので」
J2・J3百年構想リーグをへて、8月に開幕する新シーズンでは大学卒業後から夢見てきたJリーグの舞台に初めて挑める。9月には34歳になる本吉が、関わってきたすべてのチームに感謝しながら決意を新たにする。
「滋賀は選手、スタッフ、ファン・サポーターとチームに関わる全員が常に一丸になって戦っていましたし、敵としてすごく戦いづらい印象がありました。そのチームで少しでも成長した姿を見せていきたい」
何度も挫折に直面しても絶対に下を向かなかった。キーパーには経験が必要だと自らに言い聞かせながら、地域リーグやJFLで積み重ねてきた努力が、稀有なキャリアにいぶし銀の輝きを添えようとしている。
(藤江直人 / Fujie Naoto)
(藤江直人 / Fujie Naoto)

藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。













