ドイツからセルビアへ「自分が終わっていく」 名門移籍がW杯の“近道”…爆発させた怒り

ロシアW杯で落選…浅野拓磨がカタールW杯に懸けた思い
いよいよ北中米ワールドカップ(W杯)イヤーを迎える。前回大会、ドイツ戦で勝ち越し弾を挙げ、日本を劇的勝利に導いたFW浅野拓磨(マジョルカ)は並々ならぬ思いを抱える。2度目のW杯メンバー入りへ積み上げる日々。FOOTBALL ZONEへのインタビューではキャリアの転機や日本代表への強い思いを明かした。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全3回の1回目)
【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!
◇ ◇ ◇
目を閉じればあの光景が広がってくる。2022年11月23日、舞台はカタール・ハリーファ国際スタジアム。森保ジャパンはカタールW杯の初戦ドイツ戦を迎えた。前半33分、FWイルカイ・ギュンドアンに先制点を奪われ1点を追う展開。ベンチで目を凝らしてボールを追っていた浅野の出番は後半12分に回ってきた。4年半、待ち続けた瞬間だった。
「あの経験があるから今でも焦らずやれているところはあります」
寝ても覚めても思いを馳せた。2018年ロシアW杯のことだ。17年8月31日の最終予選オーストラリア戦でゴールを決め、W杯出場権獲得に導いた“立役者”が感じていたのは無念さだった。翌夏のロシアW杯メンバーに落選。バックアップメンバーとして同行し、第1戦コロンビア戦(2-1)をベンチから見守ったのちにチームを離脱して帰国した。あまりに悔しかった記憶。そこから4年半、カタールW杯出場を焦点に過ごしてきた。
ロシアW杯後にドイツ1部ハノーファーへ移籍。次に選んだ地はセルビアの名門パルチザンだった。
「セルビアに行くタイミングで『ここで自分が変わんないと終わっていくな』というのを感じていて。というのも、シュツットガルトで2年、ハノーファーで1年やって、やっぱ海外でやっていくには俺は優しすぎるなというのを感じていたんです。ザ・日本人なメンタルというか」
ドイツに身を置き、普段の練習で味方がパスミスしても「ごめん、ごめん」と自らが謝罪。空気を読み、仲間との調和を重んじた。もちろんチームスポーツで大事なことではあるが、日々が戦いの欧州では自分自身に物足りなさも感じた。

セルビア移籍が飛躍のきっかけ「人間性がガラッと」
「日本でそれが良くて、自負があったから変えなかったんですけど、やっぱヨーロッパに来てから、圧倒的に自分の弱みになっているなというのを感じていた。でもセルビア行くタイミングで、ここで自分が変わんないと感じたので、とにかくメンタリティーを変えましたね。味方にキレられたらそれ以上に怒ったようなトーンでけんか腰になる、とか。最初は自分の中でも恥ずかしさがありました」
“怒り”の感情を表に出すことは浅野にとって高いハードルだった。だが、欧州で生き残っていくためには殻を破ることが必要。「だんだんと味方も何も言わなくなって、セルビアの2年ではサッカー選手として大事なメンタリティー、人間性がガラッと変わった」。これもカタールW杯に出場するためだった。
なぜセルビアを選んだのか。パルチザンは首都ベオグラードを本拠とする強豪。UEFAヨーロッパリーグ(EL)にも出場し、浅野自身も結果的に2年半で計22ゴールをマークと飛躍の地となった。ドイツ・ハノーファーを離れ、パルチザン移籍を決めた最大の理由は「意地でも日本に帰りたくなかった」からだという。
「ハノーファーで試合に出ていなかったので、自分にそんなに選択肢がなかった。でも欧州でやることがW杯に行くためには一番近道だと感じた。そこがセルビアだった。特に2年目は18ゴールが取れて、成功体験になったし、次にドイツに行く時も続けることができた。セルビアの2年は僕のサッカーキャリアで一番濃かったし、必要な2年だった」
パルチザンを退団後、21年夏にドイツ1部ボーフムに入団。背番号10を付け、翌22年には負傷を乗り越えてカタールW杯切符を掴み取った。そしてドイツ戦の途中出場、ゴールにつながる。欧州にこだわり、W杯にこだわった。浅野の“不屈の精神”が生んだ劇的弾だった――。
(FOOTBALL ZONE編集部)





















