無名→J1内定の逸材「ずっとベンチでした」 予選で敗退続きも…芽生えた「自分に分がある」

樋口有斗は横浜FMに2026年シーズンから加入する
今や大学サッカーはJクラブにおいて重要な一大供給源となっており、今年も多くの大学生がJ1、J2、J3のクラブに内定をもらっている。その数多くの内定選手の中で、今回は2026年シーズンから横浜Fマリノス入りが内定した中部大学の3年生MF樋口有斗に独占インタビューを実施。第1回目は無名の存在から駆け上がった樋口の“原点”について迫った。(取材・文=安藤隆人/全5回の1回目)
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なぜ彼なのか。インタビューをお届けする前に樋口との“出会い”について触れさせていただきたい。それは他のJ1内定選手の中で高校時代は全くの無名と言っていい存在で、かつ関東でもなく、スタートが東海学生サッカーリーグ2部という経歴に非常に大きな興味を持ったからだ。実は筆者は同じ東海2部に所属する名城大学体育会蹴球部のフットボールダイレクターをしており、樋口が1年生の時に実際に対戦している。埼玉栄高校時代に選手権予選で準決勝まで勝ち進み、昌平と対戦した試合は見たことがあったため認識はしていたが、実際に前期、後期、総理大臣杯予選と対戦をしてみて、ポテンシャルに大きな衝撃を受けた。
正直、「なんで東海2部にこんな選手がいるんだ」と思うほど、プレーは創造性が豊かで、ボールを奪われない技術があった。もともと中部大は2部の中では異質の後ろからビルドアップをして、アタッキングサードではワンタッチプレーを連続させて相手を切り崩していく攻撃的なスタイル。安易に食いつけばパスで剥がされ、コースを切るように指示を出しても、今度はドリブルで仕掛けてくる。その中でもやはりボランチ、トップ下を主戦場とする樋口のプレーは異質だった。
特に剥がすという面では独特のリズムのドリブルと、突破してから強引に仕掛けるだけではなく、質の高い縦パスを差し込んで、そのままスプリントで駆け上がって3人目の動きでラインブレイクを仕掛けてゴールまで迫っていく。正直、手がつけられなかった。
その年、中部大は1部に昇格をし、2年の時は1部残留。その年のデンソーカップチャレンジの東海選抜に2年生ながら名を連ねた時は「やっぱりか」と思ったほどだった。
そのデンソーカップチャレンジで関東選抜Aを相手に0-2から逆転勝利をした試合では、ほぼボールを奪われることなく、正確なパスとボランチの位置からのドライブで攻撃のリズムを生み出し、集結したJクラブのスカウトの注目を集め、大会後に多くのJクラブから具体的なアプローチがあった。最終的にはJ1の2つのビッグクラブの一騎打ちとなったが、横浜FM入りを決断した。
無名の存在から大学屈指のボランチになるまでのストーリー、そのシンデレラストーリーを描くことができた彼の心の芯となる部分に迫った―。
高校サッカー激戦区の埼玉県で生まれ育った
埼玉県で生まれ育った樋口は川口市の東スポーツセンター少年サッカークラブでサッカーを始めた。小学校時代は楽しみながら足元の技術を磨き、中学進学と共に埼玉栄中学校に進学してサッカー部に入った。
「中学は本気で全国を目指していませんでした。でも、僕は高校に進学して全国に出たいと思っていたので、サッカー部でも熱量を持ってやっていました」
周りの空気感に流されることなく、彼は黙々とサッカーと向き合った結果、埼玉県選抜に選出されると、そこでJユースや全国屈指の強豪であるFCラヴィーダの選手たちのレベルの高さに衝撃を受けた。
「荒井悠太(昌平、現FC東京)や津久井圭祐(昌平、現鹿島アントラーズ)らがいて、みんなうまくて、僕は選抜に行くとずっとベンチでした。でも、技術面では自分が劣っているとは思いませんでした。むしろそこで全国の基準を知ることが出来た分、そのイメージを練習に落とし込んでプレーができたので、より自分を磨くことが出来たと思います」
全体練習では一切手を抜かず、味方がミスしてもそれをカバーしたり、セカンドボールを回収してもう一度仕掛けたりして、自主トレでは県選抜の選手のディフェンスをイメージしてシュート練習やパスコントロールを徹底して繰り返した。
全ては自分がうまくなるため。どんな状況に置かれても軸は一切ブレなかった。そのまま埼玉栄高校に進学。ラヴィーダの選手が中心となって構成されている昌平高を筆頭に、西武台高、武南高、正智深谷高、浦和南高など、埼玉県は多くの強豪校がひしめく激戦区。1年生の選手権予選は決勝トーナメント3回戦で武南に敗れ、2年生のインターハイ予選はベスト16で西武台に敗れると、選手権予選はまたも決勝トーナメント3回戦で西武台に敗れた。
3年生のインターハイ予選はまたもベスト16で成徳深谷高に敗れるなど、県予選で上位進出すら難しかった。
「悔しくて、悔しくて仕方がありませんでした。ずっと技術のところは絶対に負けていないと思っていましたし、僕は3月生まれなので、フィジカルの面で他の同級生よりも成長するのが遅いことは分かっていました。フィジカルが出来上がるまでは、技術で覆し続けようと。ここでもっと技術を磨いておけば、フィジカルが追いついてきた時に自分に分があると思っていました」
何度も壁に跳ね返されても、心が折れるどころかより向上心と反骨心に火をつけて行った。そして迎えた高校最後の選手権予選、埼玉栄はベスト16の壁を突き破ると、準決勝まで駒を進めた。(第2回に続く)
(安藤隆人 / Takahito Ando)
安藤隆人
あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。





















