打ち明けた「帰りたい」に「絶対あかん」 茨の道で弱音も…先輩のカツ、ドイツ挑戦救った一言

日本代表の町野修斗
日本代表の町野修斗

町野修斗はドイツ挑戦で苦難の壁にぶち当たった

 北中米ワールドカップ(W杯)まで残り7か月。大舞台でのまだ見ぬ光景を目指して、森保ジャパンは11月に今年最後の2連戦を迎える。W杯へ向け、強い気持ちを持つ日本代表FW町野修斗がFOOTBALL ZONEのインタビューに応じた。(取材・文=林遼平/全3回の2回目)

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 2023年6月、町野修斗は欧州での戦いに身を置くことになる。2022年のカタールワールドカップで味わった悔しさがきっかけとなり、次なるW杯に出場するために新たな目標を打ち出した男にとって、この挑戦は願ってもいないものだった。

 加入したチームは、当時ドイツの2部リーグに在籍していたホルシュタイン・キール。かつて奥川雅也がプレーしていたことで知られるが、2024-2025シーズンにドイツ国内最北のブンデスリーガクラブとなったチームは、そこまで日本にとって馴染み深いところではなかった。

 そこで新たな挑戦を始めたのだが、順風満帆に全てが進んだかと言えばそうではない。開幕戦で先発出場を勝ち取り、最初の4試合で2ゴール、2アシストを記録するなど、最高のスタートを切ることはできた。しかし、日本と欧州のサッカー文化の違いに慣れるのに時間がかかり、少しずつ出場機会が減少。初めてとなる海外生活への適応や言語の問題などを含め、難しい時期が続いた。

「日本だと抜かれない守備をしていたところが、やはり取りに行く守備に変わったところにかなりギャップがあって。最初は『お前何してんねん、行けよ』みたいな感じで言われることが多くて戸惑いました。日本に帰りたいと思うくらいきつかった時もありました」

 ただ、横浜F・マリノス時代やギラヴァンツ北九州時代と同様に、心が折れそうな時に支えてくれたのは周りの人間だった。

「本当にキールの選手だったり、監督だったり、それこそ佐藤孝大さんという分析官の方であったり、妻だったり。いろいろな人の支えがあって、なんとか乗り越えられました」

 特に自身の考えを変えるきっかけとなったのが、履正社高校の先輩である林大地の言葉だった。当時、ニュルンベルクに在籍していた林に悩みを打ち明けたところ、厳しくも優しい言葉で町野の背中を押してくれた。

「当時は練習が終わったら誰よりも先にシャワーを浴びて帰るような時期を過ごしていたんです。そんな時に、林大地くんにホームで試合をやった時に『やばいっす。帰りたいっす』みたいな話をしたら『絶対帰ったらあかん』みたいなことを言われて。『みんなそういう時期はあるから』という話をしてもらって、『あ、そうなんだ』と思いました。そこで1回、楽になりましたね。どんな選手もそういう道を通ってきているんだから、僕だけじゃないんだなと。その数か月後に、あの人は(ガンバ大阪に)帰っていましたけどね(笑)。でも、その後から練習が終わっても、サウナに入って、みんなとコミュニケーションを取ったり、ご飯誘ってみたりというのを積極的にやるようになって乗り越えることができました」

「自分が言葉をうまく喋れないとしても、マインドをオープンにすることでみんな喋りかけてくれたり、誘ってくれたりするようになった。心をオープンにすることは結構大事かなと思いました」

 この一連の出来事により、チームメイトとのコミュニケーションが取れるようになると、それはサッカーにもつながった。自身の特徴を周りも理解し、ピッチ上でも試合をこなすごとに信頼を勝ち取っていった。

 結局、12月中旬からは再びスタメンの座に返り咲き、そこからは昇格争いをするチームの主力としてプレー。5ゴール、6アシストと数字的には物足りない部分はあったが、組み立てに積極的に関与することや守備の貢献度を含めて万能型ストライカーとしての地位を確立し、クラブ史上初のブンデスリーガ昇格に大きく貢献することになった。

ドイツで磨いた前線からの守備

 欧州2年目で5大リーグへの挑戦が決まった。予想を超えるようなスピードで目指していた舞台にたどり着いたと言える。

 とはいえ、やはりブンデスリーガのレベルは高かった。個人としては欧州1年目と同じように開幕5試合で4得点という見事なスタートを切ることができたが、チームはなかなか勝利を得ることができず。特に失点が多かったため守備面の改善が急務となり、前線での守備の貢献度を評価してもらえなかった町野は少しずつ出番を減らしていった。

「やはり、対戦相手はみんなうまくて強い。フィジカルの部分もあるんですけど、ボールを簡単に奪えないですし、簡単にミスするようなシーンがあればすぐ失点してしまう。2部だと勝手に相手がミスしてくれたり、決定機を外してくれたりする場面もあった中で、そこをきっちり決めてくる感があった。そういうところを決め切らないと点も取れないという差がありましたね」

 町野が再びスタメンの座に返り咲くために必要だったのは“守備”だった。前線の選手に求められる守備をトレーニングの時から佐藤分析官とともに試行錯誤し、守備のクオリティーを高めていった。

「前からプレスに行って、蹴られた時に“戻るスピード”は、監督やコーチから毎試合のように言われていたところでした。そこの習慣というのはかなり癖づいたところがあって。一度、代表でもそれを言われたことがあったんですけど、そこの意識というか、その重要性を毎試合伝えられて、少しずつ習慣化できるようになりました」

 いわゆるドイツで求められるインテンシティーの高さを手に入れた町野は、年内ラストゲームとなったアウクスブルク戦で久々にスタメン起用されると、この試合で2ゴール、2アシストの活躍を披露。再び主力となりシーズン終盤には5試合で4ゴールを奪うなど、ブンデスリーガ初挑戦で2桁を超える11ゴールを記録するに至った。
 
 結局、チームは降格の憂き目に遭ってしまったが、個人としてのパフォーマンスが評価され、今夏の移籍市場ではいくつかの選択肢があった中でボルシア・メンヒェングラットバッハへ移籍を決断した。紆余曲折のシーズンを過ごしながらも、最終的にステップアップを遂げることになったのだ。

 迎えた新シーズン、新たなチームで悪戦苦闘する町野の姿がある。それでも、苦しい時期を何度も乗り越えてきた男に焦りはない。見据えるのは来年に開催されるW杯――。そこに向け、町野はさらなる進化を目指して挑戦を続けている。

(林 遼平 / Ryohei Hayashi)



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林 遼平

はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。

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