U-20代表“シゴデキ”リーダーの素顔「僕、持ってるんです」 成績は学年1位…スマホに刻む「明日への手紙」

U-20W杯に挑むメンバーに選出された市原吏音
U-20アジアカップでキャプテンを務めたRB大宮アルディージャのDF市原吏音は、代表でキャプテンマークを巻くだけでなく、年上の選手たちが多い大宮のトップチームでも副キャプテンを務める。まだ20歳という若さだが、良い意味で年齢を感じさせない落ち着いた受け答えをすることでも知られている。長く目標に掲げてきたU-20W杯の最終メンバーに選ばれたDFは、どのような人物なのか。(取材・文=河合拓/全4回中の第4回)
【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!
◇ ◇ ◇
2005年生まれの市原は、2つ上の兄・未藍との2人兄弟だ。兄の未藍の名前はイタリア1部ACミラン、弟の吏音はフランス1部オリンピック・リヨンから付けられたという噂もあるが、本人は「どうなんですかね、あんまり深く知らないんです。名前については『リヨンが由来?』とか『ライオンが由来?』とか、よく聞かれるんですけど、引き出しがない(笑)。毎回、親にも聞くんですけど、聞いても忘れちゃうんです」と苦笑した。
大学までサッカーをやっていたという父の影響を受け、未藍がサッカーをはじめ、自然と吏音もボールを蹴るようになる。ともに大宮の下部組織に入った。ジュニア(小学生)時代の市原少年は、どんな男の子だったのか。運動能力については、「小学校の時は、それなりに足も速かったし、身長も高かったですね。目立つのも嫌いじゃなかったです目立っていました」と言う。現在も、そのルックスから人気も高い市原だがモテたエピソードは記憶にないそうで、「むしろ学生時代は目立っていて、女の子には嫌われていました。うるさ過ぎました」と、過去の自分を分析した。
目立つのが好きだった市原少年は、アタッカーとしてプレーしていたという。大宮ジュニアのセレクションを受けた時も「前(アタッカー)とボランチ」として、プレーした。「前からだんだんと降りてきて、アルディージャに入ってセンターバックもやるようになりました。小学校の頃にコンバートされてからはセンターバックが少しずつ良くなったのですが、Jr.ユースでは一時的にコーチにボランチで使われました」と、振り返った。
一番走らないといけないポジションへ配置
将来的にセンターバックとして育てたい選手を育成年代の時にボランチで起用することは珍しいことではない。広い視野を持たせることやDFでプレーした際に多くのパスを出す先となるボランチの考え方を知ることで、プレーの幅を広げられるからだ。しかし、市原のセンターバックからボランチへのコンバートには別の理由があったようだ。
「中学校の頃は、ラクする癖があったんです。『別にそこに付いていかなくてもいいでしょ』『激しくいかなくても大丈夫でしょ』みたいな感じでプレーしていたら、それを見たコーチが『コイツにラクをさせてはいけない』と思ったらしく、パスを受けるためにも、相手の攻撃を止めるためにも、一番走らないといけないボランチに配置されましたね。ポジション変更することは、素直に受け入れられましたね」
センターバックとして、隙を見せてしまうのは大きな弱点になりかねない。だが、何をどこまでやれば、どのような成果が得られるかが把握できて、そのとおりに実行できるということは、要領が良い証でもある。
記者の間で評判となっている受け答えのしっかりしている市原だが、高校1年の1学期までは抜群の成績を誇っていた。テストの成績は学年1位。通知表も「オール5まではいかなかったです。美術か何かが確かダメだったので」と、ほぼオール5だった。しかし、高校2年、3年になると、年代別サッカー日本代表に選ばれて海外遠征にも行くようになり、学校を欠席することが増えたことで成績は保てなかったという。
サッカーでも、常にキャプテンを務めてきた。「結構、性格的にそういうタイプなんで。うるさいし、次男ですけど面倒見はいいし、しっかりしていると思うので。基本、なんでもこなせるし、要領もいいなと自分では思っています」。
両親がどのような教育をしてきたかが気になるところだが、ともに学校の教師を務めているという両親からは「勉強しろ」とは言われなかったという。「でも、『常に考えるように』とは言われていました。それを受けて、何事もよく考えていた気がします」と、振り返った。
自主的に考えて行動するように育てられた
市原が考えて実行していたのは、相手に言われるであろうと思ったことを予想して、先にすることだったという。「例えば『先に宿題を終わらせなさい』とか、そういうことは全然言われなかったんです。それは自分で考えて、言われる前にやっていたからです。『先にやっておいたほうが、あとがラクだよな』とか、そういうことは小さい頃から考えていましたね。サッカーでも『今何やるべきなのか』とか、練習の時でも『どういう意味があるのかな』と、ずっと考えてはいましたね」。やはり要領が良いのだ。
先に行動しておいたことで、褒められたような経験があったのかと聞くと、「シンプルに遊びたかったんです。学校が終わってから、夕方過ぎまでは遊びたい。帰ってきてから宿題をやるよりは、絶対に今やっておいたほうがいいなと思ってやっていましたし、サッカーとかでも、『この練習どういう意図があるのかな』と考えて、どうやったら効率的かを考えていましたね。特に親には何も言われていないんです」と言ってから、「兄貴のおかげです」と付け足した。
兄については、サッカーでは「背格好も似ているし、ポジションを前から後ろに下げたところも同じです」と共通点が多いと言っていたが、性格は決定的に違うのだと強調した。「兄貴は要領悪いんで。兄貴を見て『これじゃダメだな』と思っていたので、兄貴に感謝しています」と、反面教師にしたのだと笑った。
こうした冗談を飛ばせるのも、兄弟が仲の良い証だろう。「あまりケンカもしないし、仲は良いですね。連絡もちょくちょく取りあっていて、サッカーの話やプライベートの話もします。ただ性格は正反対というか、兄貴は性格もおとなしいし、繊細な人なので。僕は全然です。何を言われても気にしないですし、人の話も聞く時と聞かない時がはっきりしているんです。言われたことについて考えて『そうだな』と納得できれば聞くし、『正しいけど、ちょっとズレてるな』とか『自分のほうが正しいな』と思ったら、もう聞かないですね」と、しっかりと自分のなかに物差しができているのだと語った。
スマホのメモ機能をフル活用
この生い立ちの話を聞く前に、市原に「世のお父さん、お母さんが子供を育てる際にも参考になるような話が聞きたい」とリクエストを出していたのだが、それを思い出したのかここまで話してから「僕、持っているんですよね。何かわからないけど。人と変わっているので、マジで参考にならないと思います」と頭を掻いたが、一つのヒントから自分で考えて、多くを学べるキャラクターであることはよく分かった。
アメリカのメジャーリーグで活躍する大谷翔平は、目標を明確にしてアイデアを整理するための思考フレームワークであるマンダラチャート(目標達成シート)を学生時代から使っていたことで知られる。市原も似たようなことをしているかと聞くと、目標は明確にしているものの「紙に書いたりはしていないなぁ」と言い、「でも、スマホのメモとかに、自分の課題だけじゃなく、(長澤)徹さんに言われたこととかは結構書いていて、試合前に必ず読んでいます」と、スマホのメモ機能をフル活用していることを明かした。
実際、何が書いてあるのかを聞くと「それは見せられません」と詳細は隠されたが、言ってくれた人ごとにいろんな言葉を残しているメモを遠目に見せてくれた。プロ1年目から指導を受けている長澤監督からのものはびっしりと書いてあった。
「徹さんには、課題というよりも、どういうメンタリティでサッカーをやるのかとか、サッカー選手としての大事なところを言われてきました。『こういうプレーをしてほしい』とか『こういうことをやってほしい』とかではなく、『サッカー選手ってこういうことが大事だよね』とかです。何かモチベーションが上がるというか、自分を奮い立たせてくれる言葉をくれるんです。教えるのは嫌ですが、結構、書いていますよ」と言いながら、何度も画面を下へとスクロールした。市原はそのすべてを毎試合前に目を通しているという。
こうした言葉は、1対1の面談の時のものはもちろん、チームミーティングでチーム全体に語りかけた際のものも入っているという。このメモについて、「試合の日の自分のために今日の自分が書いているみたいな感じです。明日への手紙みたいなことを書いていて、毎試合、読んでいるのですが、どんどん長くなっています。これが消えちゃったら結構、悲しいかも」と笑った。ちなみにU-20日本代表の船越優蔵監督のページは「ないです」とのこと。「同じようなことをテツさんも言ってくれていますし」と、その理由を説明したが、新たに船越監督の言葉集のページができるくらい、今回チリで開催されるU-20ワールドカップを長く戦ってほしいところだ。




















