指導者転身でも貫く岡田武史の金言、ストライカー育成は「全然できる」 Jクラブ名将から習得中…大黒将志が描く未来

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:大黒将志(川崎フロンターレコーチ)第5回
日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”を繋いでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。
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FOOTBALL ZONEのインタビュー新連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。2021年の現役引退直後から指導者の道へ進んだ大黒将志は、ガンバ大阪アカデミーのストライカーコーチ、FCティアモ枚方ヘッドコーチを経て今季から川崎フロンターレのトップチームのコーチに就任した。確固たる点取り屋の哲学を持つ男は今、どんな未来を思い描き、川崎での日々を過ごしているのか。その胸の内に迫った。(取材・文=二宮寿朗/全5回の5回目)
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大黒将志はプロキャリアにおいて国内外で12クラブを渡り歩き、公式戦で200以上のゴールを叩き出してきた。
現役最後のゴールとなったのが、J2栃木SC時代の2019年8月10日、古巣でもある京都サンガF.C.戦。バックパスを受け取った相手のセンターバックに猛烈なプレッシャーをかけて奪い取るや否やロングレンジから左足を振り抜き、前に出ていたGKの横を狙うように放り込んだ。
バックパスが出て相手がどう受け取るかの先読み、GKの位置取りの把握、かつ狙った場所に蹴り込む技術。彼の真髄が詰まったスーパーゴールであった。
数え切れないほどのゴールを積み上げてきたなかで、どのゴールが強く印象に残っているのか――。そう問うと「いや、全部ですよ」と彼は言う。日本代表だろうが、クラブだろうが、どのゴールも同じという価値観を持つ人らしい返答であった。
ただ「好きなゴールで言うのであれば」と1つ挙げてくれたのが、残留争いの渦中にあったFC東京時代の2010年11月23日、前節に優勝を決めた名古屋グランパスとのアウェーマッチで決めた一発だ。前半27分、右コーナーキックの流れから梶山陽平が中央にドリブルで持ち出して縦パスを送り、ペナルティーエリア内で攻め残っていた森重真人のワンタッチパスから、大黒がそのまま相手GK楢﨑正剛の頭上を越すループシュートで奪ったゴールが決勝点となった。
大黒の記憶は鮮明だ。
「右サイドでリカルジーニョがボールを持っていて、こねてこねて(ボールが)出てこないのでオフサイドポジションでフラフラしていました。闘莉王、増川さんが僕をマークするのを捨てたのが分かって、ボールが来そうなタイミングでオフからオンに戻ったんです。たまたまオフサイドポジションにいたのではなくて、わざとオフサイドポジションにいました。相手の誰かが『たまたま』って言っていましたけど、“自分はずっとこういう練習してるのに”って心の中で思っていました(笑)。それにループシュートはFC東京の練習のなかでも決めまくっていたので、試合でも決めることができたと思っています」
指導者になった今も貫く試合をイメージした練習
そう、大黒には「消える」というストロングポイントもある。オフサイドポジションにいながら相手の警戒を緩めておいたうえで、知らず知らずのうちに絶好の位置を取る。「先生」と呼ぶイタリア代表のレジェンド、FWフィリッポ・インザーギから学んだものだ。
大黒はシュートを打つ際にGKをほぼ見ていない。「見たら遅れる」ためであり、これもイタリアで習得している。
「別に見なくても、ゴールの場所、GKがどのポジションにいるかは分かります。シチュエーションでどこにいるのかってイメージしながら、見ないで打つシュート練習もやっていたので」
すべては練習があって、本番があるということ。練習で上手くいかないものが、本番に上手くいくことなんてない。
そこに気づかせてくれたのが、まだブレイクの予感すら漂わないプロ3年目の北海道コンサドーレ札幌時代に指導を受けた、岡田武史監督の言葉だった。
「練習のなかでちゃんと試合をイメージしろ。そうやって練習からプレーしろ」
練習のための練習であってはいけない、試合を前提としない練習では意味がない。イメージするには見て、考え、それを落とし込まなければならなかった。真摯にやり続けてきたからこそ自分が目指すストライカー像にたどり着くことができた。
40歳で現役を引退した大黒は、指導者に転身してからも“試合をイメージした練習”をポリシーに置く。今季、コーチに就任した川崎フロンターレでも、心がけていることがよく分かる。
「シュート練習でも起こりそうなシチュエーションをイメージします。どういう状況でボールが来るかを想定して、動くタイミング、マークを外す動きとかを織り込みながら。例えば、プルアウェイの動きが小さいなら、大きくすることを取り入れるとか。シゲさん(長谷部茂利監督)に『前の崩しの練習をやってくれ』って言われる時があるんですけど、出し手のボールの置きどころとか、どっち足に出すとか、そういうところまで結構細かく言うようにしていますね」
指導者になっても細部までこだわることを忘れない。試合後は映像で分析し、ポジショニングや動き出しといったところまで徹底してフィードバックを伝えている。
長谷部監督の下で「学ばせてもらっている」
しかしながら大黒はFWだけを見ているわけではない。近い将来、監督になる準備を進めていくためにチーム全体に意識を向けている。この川崎にやって来たのも、2023年にルヴァンカップを制してアビスパ福岡に初タイトルをもたらした長谷部茂利監督の下で吸収したいとの思いもあったからだ。
「シゲさんの力になれるように、フロンターレがタイトルを獲れるように貢献していくことが一番大切だと思っています。と同時にシゲさんのマネジメント、戦術、振る舞いを今、学ばせていただいています。たぶん、ストライカーだけ育てようと思ったら、全然できると思うんです。ただ、いつか監督をやろうと思ったら、最終ラインもGKも全部含めて分かっていないとダメだとなんですよね。なので、そこも勉強させていただいています。
やっぱりコーチと監督は別物だと思っていますし、コーチを長くやりすぎてしまうと難しくなる部分もあるのかもしれない。なので、いつかいいタイミングに、いいオファーがあれば将来的に監督をやりたいという気持ちが強い。岡田さん、西野(朗)さんをはじめ、僕は多くの素晴らしい監督さんの下でサッカーをやらせてもらいましたから、そこで学んできたことと、いろんなクラブでやってきた自分の経験をミックスさせて指導できる監督になりたいと思っています」
いつでもどこでも生き抜いてきたさすらいのストライカーには、膨大なデータベースが己の中にある。無論、指導者になっても増えていく一方だ。探求と実践を絶え間なくループさせる大黒将志のアクションは、必ずや名指導者の道へとつながっている。
(文中敬称略)
■大黒将志 / Masashi Oguro
1980年5月4日生まれ、大阪府出身。G大阪の下部組織で育ち1999年にトップ昇格を果たす。札幌への期限付き移籍を経て、2004年にG大阪でFWとしてブレイク。翌年にはチームのJ1制覇に貢献した。06年1月からグルノーブル(フランス)、同年8月からトリノ(イタリア)でプレー。08年夏のJリーグ復帰後も得点力の高さを維持し、京都在籍時の14年には26ゴールを奪いJ2得点王に輝いた。日本代表としても活躍し、05年2月のドイツW杯アジア最終予選・北朝鮮戦で決めた決勝点で一躍国民的ヒーローに。21年に現役引退。G大阪アカデミーのストライカーコーチ、FCティアモ枚方ヘッドコーチを経て今季から川崎のコーチに就任した。
二宮寿朗
にのみや・としお/1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『岡田武史というリーダー』(ベスト新書)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)などがある。