トップ昇格も…監督&責任者は別人「なぜこのタイミング」 翻弄された18歳「愛がないと」

野崎雅也がトップチーム昇格について話した【写真:(C) URAWA REDS】
野崎雅也がトップチーム昇格について話した【写真:(C) URAWA REDS】

野崎雅也が明かすトップ昇格の舞台裏「ビジョンがないといけないと思う」

 2012年に浦和レッズユースからトップ昇格した野崎雅也は、浦和での在籍2年間で公式戦の出場はわずか2試合に終わった。トップに昇格する前年から、監督も強化責任者も変わる状況に翻弄された部分があったことを明かしつつ、「なぜその選手をこのタイミングで昇格させるのかっていうビジョンがないといけないと思う」と、自身の経験からの言葉を残した。(取材・文=轡田哲朗/全6回の6回目)

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 野崎が高校3年生だった2011年、浦和はゼリコ・ペトロヴィッチ監督が率いていて、柱谷幸一氏が強化責任者だった。6月ごろにはトップ昇格が内定していたという野崎は「ゼリコ監督がめちゃめちゃ気に入ってくれてたんですよね。もう、『俺の野崎さん』みたいな、顔を見たら笑顔になるぐらい気に入ってくれて」と、何事もなければ翌年プロデビューするタイミングでの監督になる存在との良好な関係があったと話す。

 しかし、不振に陥り残留争いに巻き込まれた浦和は監督も強化責任者もシーズン中に解任されてしまう。そして、トップ昇格のシーズンはミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任し、強化責任者は山道守彦氏が務める状態だった。野崎にとっては「(トップに)上げたいと思った人と、上がってから来た人が違った」状態だった。そして「前任の人たちが上げようとしたので、後から仕方ないなって引き継いだぐらいの感じ」と、当時に受けた印象を話した。

 もちろん、鈴木啓太、阿部勇樹、柏木陽介といった日本代表レベルの選手たちが同じポジションにいたことや、現実的に優勝争いをするようなクラブが、18歳の新人にチームの成績を大きく左右するボランチを任せられるのかという面もある。よほど飛び抜けたものを見せる“超高校級”ならまだしも、トップに昇格した当時の野崎を見れば、大学進学を選んだ方が良かったようにも見えた。

 実際に昇格が決まる前には明治大学の練習にも参加した経験があり、もし昇格しなければ進路がそうなっていた可能性が高かったという。そうなると、もし大学に行っていた場合の4年間の想像と自身のキャリアを比較して「大学に行った期間で試合数の確保とか、トレーニングの環境とか、それがどのぐらい整っているのかは今のJクラブだと疑問で、学歴というのも、今持ってない自分からすると大きいなとは思います。大学の方が環境と機会があるって意味では、今は大学に行く人が多いんだと思います」という側面にも触れた。

 18歳でトップ昇格、あるいは高校から加入したもののほとんど公式戦を経験することなく去っていく選手は、どこのクラブにも少なからずいる。自身がそのような1人であることを自覚したうえで、野崎はJリーグのクラブ全般に対する意見を話した。

「なぜその選手をこのタイミングで昇格させるのかっていうクラブとしてのビジョンや、やり方がないといけないし、それは理念の中にあるのかなと。今いる選手の中で、ここが足りなくて、この選手は何年後にこのぐらいにできるから、トップに上げようっていう根拠がないと上げちゃいけないと思っていて。それが浦和だけじゃなく、Jリーグではまだまだ進んでないんじゃないかっていうのは思いますね。

 NBAなんかを見ると、取ってきた選手ってほとんど活躍するんですよ、ちゃんと。八村塁選手もそうですけど、多分、彼らの思い描いたぐらいの活躍をしていて。それって自分のチームを知ってるとか、選手の成長の速度とか度合いを知ってるとか、そういう理解があるからこそだと思うんですよね。それがじゃあサッカークラブとして、Jリーグのクラブにどれぐらいあるんだろうっていうのは疑問があります」

 各クラブに育成部門がある以上、実績としてトップ昇格の人数が欲しい事情もある。野崎も「ビジネスなんで、選手の1人の未来とクラブの未来を考えた時に、大きい方を取らなきゃいけないのは当たり前だと思います」と、現実的な理解は示している。例えば、トップ昇格と同時に下部カテゴリーのクラブへレンタル移籍とするような人事も、「クラブが自信を持って、その選手のキャリアにはそれがベストだと言えるならOKだと思います」と話す。

 一方で「やっぱり、最後は愛がないといけないと思ってます。1人1人ビジネスとはいえ、やっぱりそこは人間の血が通ってる部分がないといけないし、上げるからにはこの選手をどうしていくっていうところまで思い描いて責任を持ってあげる必要があるだろうなとは思いますけど、まだまだそこまでは至ってないだろうなっていうのも現実としてはあるかなと思います」と、経験からもくる思いを話した。

 もちろん最終的に1人のプロ選手、個人事業主として生き残っていけるかは本人次第の部分もある。ただし、同時に18歳の人生をかけた決断を左右するところにクラブがあるのも事実だ。トップ昇格を果たし、あるいはユース所属時から海外クラブに移籍するなどして華々しいキャリアを積む選手がスポットライトの下で輝くのは自然なことだが、そこまで到達しない多くの選手がどれだけ幸せなキャリアを送れるかの方が、育成部門の価値だと言えるのかもしれない。

(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)



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